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自衛隊への勧誘キャンペーン・ソングと誤解された高田渡の反戦歌「自衛隊に入ろう」

2024.04.15

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1968年8月9日〜11日、京都の山崎にある「宝積寺」では3日間に渡って「第3回関西フォーク・キャンプ」が開かれ、約300名の参加者が集まった。

出演したのは高石ともや、五つの赤い風船、岡林信康、加川良、ジローズ、中川五郎、ザ・フォーク・クルセダーズ、豊田勇造、遠藤賢司、西岡たかし、金延幸子などの関西フォークの面々。

明治・大正時代の演歌師たちが、風刺を利かせた歌で世の中のさまざまな出来事を取り上げた方法に習って、アイロニカルな歌を作っていた高田渡は、「よし、冷やかしに行こう」と小室等や遠藤賢司、南正人らと東京から京都へ向かった。

東西のフォークシンガーたちが初めて一同に介した3日間で最も観客に衝撃を与えたのは、飄々とした態度で「自衛隊に入ろう」を唄った高田渡だったと言われている。

名前も聞いたことのない歌い手がギター一本抱えて、いきなり”変な歌”を歌い出したのを目にした関西の聴衆は、しばし呆気にとられたという。
当時の高田渡は20歳、アルバイトをしながら都立市ヶ谷高校の定時制に通う高校生だった。


自衛隊を風刺する痛烈な皮肉が込められている歌詞は、1968年6月にTBSの『ポーラ夫人ニュース』という番組に出て高田渡が歌った時、関東地方でのみだったが、少しだけ評判になった。

要するに逆説で何かを言ってみたいというのがあったんです。ちょうどその頃、自衛隊がそこいら中で募集をしてましたでしょ。ボーナスが2回とか。だから学校へ行けないような人は、もう本当に、ふっと行っちゃうんじゃないかって。で、むこうの(宣伝)文句をそっくりひっくり返した。


それを聞いた防衛庁(現:防衛省)から、「いい歌だから、ぜひうちのPR曲に使わせてくれないか」という申し出があった。
ひっくり返されていた宣伝文句が、まともに受けとめられてしまったのである。

しかしそこに気づいた防衛庁は、すぐに断りの電話を入れてきたという。

大学のキャンパスや職場のサークルに口コミで広まっていったこの歌が、マスメディアを通じて全国に広がったのは、翌年2月にURCレコードから発売されたファースト・アルバム『高田渡/五つの赤い風船』に収録された後からだった。

ところが「自衛隊に入ろう」は日本民間放送連盟による自主規制で、要注意歌謡曲に指定されて放送禁止となってしまう。
レコードが出た1969年の初頭は反安保闘争やベトナム反戦運動、全共闘運動がピークを迎えていたので、自衛隊を題材とする歌は放送の現場から締め出されたのだ。

それから間もなくして高田渡がこの歌をレパートリーから外したのは、歌の役割がもう終わったと思ったからだという。

しかし2015年の今になって「自衛隊に入ろう」を聞くと、そのまま自衛隊の入隊キャンペーン・ソングとして通用しそうなほど、ここ数年で時代が大きく変ってきていることがわかる。

この歌が生まれた1968年には皮肉が通じたけれど、21世紀には意味が逆転して、ストレートにとられても不思議ではない状況になってきた。

「祖国のためならどこまでも 素直な人を求めます」という歌詞を大笑いして、のんびりと聴いていた60年代のような余裕は、この社会から追放されつつある。



<2014年5月23日公開のコラムを、特集に合わせて加筆訂正いたしました。佐藤剛>

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