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「中島みゆき」発「ちあきなおみ」経由、フェイ・ウォン(王菲)によってアジアに広まった名曲「ルージュ」

2020.01.30

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1989年6月4日に起きたの天安門事件の後、テレサ・テンは日本以外での音楽活動を封印するかのごとく沈黙していった。
それに代わってアジアの中国語圏で、絶大な人気を誇る歌姫になったのは大陸の北京に生まれ育った王菲(フェイ・ウォン)だった。

1989年に王靖雯(シャーリー・ウォン)の名前で香港のレコード会社からデビューしたフェイ・ウォンは、2年間で3枚のアルバムを発表した時点までは、若手ポップス歌手のうちの一人にすぎなかった。

しかし1991年から1992年にかけての約半年間ほど、アメリカ合衆国に留学して帰国してから、クールで透明感のある歌声に開眼したかのように、そこから大きな成長を見せていく。

アルバム『Coming Home』に収められた「容易受傷的女人(傷つきやすい女性)」の広東語ヴァージョンが、柔らかな裏声を活かした独特の歌い方で、香港やシンガポールばかりか、広東語を使う華僑たちが住む世界各地の華人社会で大ヒットしたのは1992年である。
フェイ・ウォンはこの時に、英語名をFaye Wongと改めている。


そのヒットは大陸や台湾にも波及していたが、あらためて北京語ヴァージョンが発表されるとそちらも大ヒットし、フェイ・ウォンはテレサ・テンの後を継ぐスーパースターとなっていく。

ところで「容易受傷的女人」の原曲は、1977年4月にちあきなおみがシングルで発表した「ルージュ」である。
だが当時の日本ではヒットにまでは至らなかった。

ちあきなおみ


作詞作曲した中島みゆき自身も1979年のアルバム『おかえりなさい』でセルフカバーしたが、それでもさほど知られた歌ではなかった。
そんな目立たなかった作品を10数年後に世界的なヒット曲として蘇らせたのは、フェイ・ウォンの声そのものが持つ魅力と、表現力の豊かさによるところが大きい。

母音を伸ばして歌う日本語とは対照的に細かく語尾が切れる中国語の発音を活かして、フェイ・ウォンは見事に自分のビート感と共振させていたのだった。。

そして伸びやかな声の響きを際立たせることで、オリジナルにはなかった新たなる生命を吹き込んだ。

素晴らしい才能のシンガーを媒介にして異文化が出会った瞬間に、本来のメロディが持っていた美しさが発見されたことで、アジアの新しいスタンダード・ソングが生まれたのである。


(注)本コラムは2014年6月6日に公開されました。

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