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知られざる日本の名曲シリーズ~画期的な作曲コンテストから誕生した「片想い」

2021.04.14

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最初に「片想い」をオリジナル曲として唄ったのは、23歳の槇みちるだった。
大阪出身の彼女は渡辺プロにスカウトされて歌手になり、1965年にビクターから洋楽カバーの「可愛いマリア」でデビューを果たす。

それは渡辺プロにとって、ザ・ピーナッツから始まった王道ともいえる手法だった。
素質ありと見なされた新人歌手は、まず洋楽のカバーポップスでデビューする。
マスメディアへの露出やテレビ出演によって、そこからじっくり知名度を上げていく。
そしてある程度、音楽ファンの間に存在が認知されたところで、オリジナル曲をヒットさせることによって人気を確立する。
それがテレビの黎明期における、若手歌手の成功パターンになっていった。

しかし、槇みちるは歌唱力を認められても、いまひとつ個性を強く打ち出せないまま、次第に存在感が薄くなってしまう。

そんな状況を打破しようとつくられたのが、安井かずみの作詞、宮川泰の作・編曲による「若いってすばらしい」である。
1966年の春に発売されたシングル盤は、槇みちるにとって初めてのヒットになった。

ただし、当時は合格点という程度のヒットにとどまり、そこで一気にブレイクとまではいかなかった。
彼女はそこからふたたび、やや目立たない状態が続いて、2年という時間が過ぎてしまう。
いわゆる器用な順応性性がなかったせいか、タレントとしての人気につながらなかったのだ。

そんな時期に三重県の「ヤマハリゾート合歓の郷」で開催されたのが、日本で最初の作曲家によるコンテスト「合歓ポピュラーフェスティバル‘69」である。
これは当時の音楽シーンで活躍していたフリーの作曲家25名が、イベントのために書き下ろした楽曲を持ち寄って、観客の前で初めて披露するという音楽祭スタイルで、実に画期的な試みになった。

そこで川口真の指名によって唄うことになったのが、安井かずみの作詞による「片想い」だった。
しかし曲調が地味だったせいかコンテストでは、審査員から高い評価を得ることが出来なかった。
そのために彼女は芸能界をひとまず引退し、自分の資質にふさわしい歌手になろうと決意する。

そうした事情もあって、1969年の11月に発売された「片想い」は、「鈴の音がきこえる」のB面という扱いだったので、ほとんど目立たないままに終わった。



ところが槇みちるが「片想い」を唄わなくなるならば、ぜひ自分に唄わせてほしいとアピールしてきたのが、渡辺プロの先輩にあたる人気歌手の中尾ミエである。

彼女も合歓の郷に出演していたが、槇みちるの「片想い」を会場で聴いたときに、もしも可能性があるならば自分で唄ってみたいと思ったのだという。

ここから「片想い」の当事者になっていった中尾ミエは、そのときの心情をこのように語っていた。

私、『片想い』に一目惚れだったんです。一度聴いただけで、『何が何でもあの歌を歌いたい』と会社に直訴したんです。そんなことは、私の中人生の中でははじめてのこと。
(島崎今日子『安井かずみがいた時代』集英社 49ページ)


そしてレコーディングが行われた中尾ミエの「片想い」は、1971年11月5日にA面となってシングル発売された。



しかし、このときはマーケットの反応がいまひとつで、期待したようなヒットにはつながらなかった。
こうして誰もがいい曲だと思ったのに、「片想い」はなかなか日の目を見なかった。

やがて関係者もレコードの存在を忘れた頃になって、北海道の札幌地区で局地的にヒットしているという、予期せぬ情報がもたらされた。
調べてみると確かに有線放送で、リクエストの上位にランクされていたのである。

そこで廃盤の扱いだったシングル盤が、もう一度、再発売されることになったのだ。
レコード会社にしてみれば予想外の展開だったが、中尾ミエにはようやく巡ってきたチャンスだったので、当然ながらプロモーションにも熱が入った。

1977 年6月10日にマーケットに出荷されたレコードは、オリコンチャートで最高28位にまで上昇した。
「片想い」はその後もロングセラーになって、1977年度の年間チャートでも99位に食い込んだ。

そこから長い時間が経過した21世紀になって、中尾にとって“永遠の歌”になったのは、ステージのエンディングを飾る曲として唄われてきたからだ。

安井さんの歌詞って、今、歌っても全然古くはならなくて、普遍的なんです。亡くなる前、あるパーティーで『片想い』を歌ったら、安井さんもご夫婦でいらしていて、まだ歌ってくれてるの、ありがとうねと言われました。
(島崎今日子『安井かずみがいた時代』集英社 49ページ)


こうしてスタンダード曲に成長した「片想い」は、その後も柏原よしえ、河合奈保子、香坂みゆきらによってカバーされている。

さらに決定打になったのが、中森明菜によるカバー・ヴァージョンだった。
1994年にシングルとして発売された「片想い」は、オリコンチャートで18位まで上昇した。



なお、槇みちるはその後、スタジオ・ミュージシャンになり、表舞台には名前は出ないがバックコーラスのプロとして活躍したことで、知る人ぞ知るアーティストになった。
CMソングだけで、生涯で2000曲もレコーディングしたという。

そして最近は芸名を「まきみちる」にあらためて、ジャズ・シンガーとして復活している。

2019年11月にはニューヨーク録音によるジャズのアルバム『マイ・ソングス・フロム・ニューヨーク(My Songs from New York)』を発売した。

ここでのマイ・ソングスは、日本のスタンダード曲で占められていた。
古くは服部良一の「胸の振り子」と「蘇州夜曲」、中村八大の「黄昏のビギン」、平岡精二の「爪」、いずみたくの「見上げてごらん夜の星を」、宮川泰の「君をのせて」と、ベテランらしい王道の趣きが伝わってくる。

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