TAP the SONG

カウンター・カルチャーが台頭した70年代、「プカプカ」を歌い継いだのは役者やダンサーだった

2014.09.13

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カウンターカルチャーの時代にアイコンだった安田南が前ぶれもなく、ふいに表舞台から姿を消したのは1978年のことだった。

それからというもの消息はほとんどわからず、彼女の名前は「プカプカ」のモデルとなったジャズシンガーとして、音楽ファンの間で語られることになった。

テレビの演出家で作家の久世光彦は歌をめぐる名エッセイ集、『マイ・ラスト・ソング』で「プカプカ」をこんなふうに取り上げている。

あの変な歌を聴いたのは、いつごろだったろう。たぶん七十年代のはじめごろ――そのころの私はずいぶん疲れていたような気がする。
フェリーニのサーカス小屋の伴奏音楽みたいだと思ったのを覚えている。

いわゆる七十年代フォークなのだが、私には、この「プカプカ」だけが、ある日は哀れなサーカスのジンタの音(ね)のように、そして明くる日は教会の讃美歌みたいに聞こえる、奇妙で忘れられない歌だった。


そんな”奇妙で忘れられない歌”に惹かれた人たちが、愛聴するうちに自分でも歌うようになって、詠み人知らずの歌と同じように口伝えで広まっていった。
作者だったシンガー・ソングライターの西岡恭蔵の手を離れて、歌だけが夜の巷をひとり歩きしてしまったのだ。

原田芳雄タバコ
1970年を迎えて新しい時代のスターとして脚光を浴びていた原田芳雄が、いつからか「プカプカ」を歌うようになったのが、静かなブームの発火点になったとも言われている。

新宿ゴールデン街や花園一番街といった場所にあった映画や演劇の関係者、小説家や編集者たちが集う小さな飲み屋やゲイバーなどで、「プカプカ」は70年代の前半から半ばにかけて局地的に流行り始めた。

それは「プカプカ」が一人で聴くだけの歌ではなく、時代や価値観を共有する友や仲間と聴ける歌だったからだろう。

harada
日活ニューアクションの名作『反逆のメロディー』(1970年)や『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』(1970年)、『野良猫ロック 暴走集団’71 』(1971年)と、立て続けにアクション映画で主演した原田芳雄は、1970年代という時代を体現する存在だった。
そして桃井かおりや松田優作などの後輩たちに慕われて、常に大きな影響を与えていたのである。

安田南と原田芳雄は、俳優座養成所時代からの仲間でもあった。


役者の原田芳雄が歌う「プカプカ」は、小手先の技術や歌の巧みさなどを超えて、本音で生きる人の心にまっすぐに届く歌だ。

小学生の時から美空ひばりに憧れて歌い手を目指していたという原田芳雄は、シンガーとしてもプロレベルだった。
中学生でジャズのスタンダードを歌うようになり、「素人ジャズのど自慢」という番組にも出たことがあった。
しかしエルヴィス・プレスリーの登場で、その圧倒的なエネルギーに太刀打ち出来ないと、歌手の道をあきらめたという。

俳優座養成所時代には自分たちで作ったさまざまなオリジナル・ソングを、芝居が終わってからも座興でうたっていた。
やがて役者となって成功した後は、本音だけで語られる「プカプカ」の歌詞が、役から解放されてうたう時にぴったりだった。

そもそも歌い手が歌唱技術をもって演じる歌ではないから、「プカプカ」は演歌といわれるジャンルの歌手がほとんど誰も取り上げていないのだろう。

いつもは仕事で他人を演じる俳優や役者たちが、素になったプライベートの時間に好んで歌ったのも偶然ではなかった。

プカプカ オリジナル ジャケット

「プカプカ」をカヴァーした最初のシングル盤を出したのは、日劇ダンシングチーム出身でストリップの日劇ミュージックホールに移ってから花形になって、女優としても活躍したダンサーの殿岡ハツエだ。

そして1974年に出たレコードで、バックの演奏とアレンジを務めたのは細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆からなるキャラメル・ママ、後のティン・パン・アレーだった。

サブカルチャーとメインカルチャー、アンダーグラウンドとオーバーグラウンド、それらが奇妙に交錯した場所と時代を得て、同時代を生きている人たちの間に漂っている煙のように、「プカプカ」はどこの誰ということもなく歌い継がれていった。

そんななかで1999年4月3日、西岡恭蔵が自宅で自ら死を選んだ。

おれのあん娘はうらないが好きで 
トランプ スタスタ スタ
よしなって言うのに おいらをうらなう 
おいら 明日死ぬそうな・・・
あたいの うらないが ピタリと当るまで
あんたとあたいの 死ぬ時わかるまで
あたい トランプ やめないわ  
スタ スタ スタスタ スタ・・・


妻に先立たれて三回忌を迎えるの前の日のことだった。

最愛の妻で作詞家だったKUROこと安希子さんを3年前に病気で亡くして以来、西岡恭蔵は「寂しい、寂しい」とたびたび言っていたという。
享年50。惜しまれる死だった。

しかし「プカプカ」は作者がいなくなっても、今日もまたどこかでたくさんの人に歌われることで、新しい生命を与えられて生きている。



(注)文中の引用は久世光彦著「ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング」 (文春文庫)


<「プカプカ」のコラム第1回と第3回は、こちらからご覧いただけます>

(1)「プカプカ」のモデルとなったのは、激動の時代を駆け抜けたジャズ・シンガーだった

(3)「プカプカ」を歌っただけでなく、アンサーソングまで作った女優の桃井かおり


『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』 (文春文庫)
久世光彦




安田南『サニー』
ユニバーサル ミュージック クラシック


西岡恭蔵『ゴールデン☆ベスト』
SOLID





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