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高倉健の代表曲「網走番外地」は、なぜ放送禁止歌として扱われていたのか

2023.11.09

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報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に数々の映像作品を手がけるほか、作家としての著書も数多くある森達也が書き記した「放送禁止歌」(知恵の森文庫)は、放送禁止歌のドキュメンタリー番組を制作する過程で出くわした問題や、その背景にある様々な事実にもとずいて書かれたノンフィクションだ。

それによると1959年に発足された日本民間放送連盟の「要注意歌謡曲指定制度」とは、あくまでも放送局や番組制作者が番組をつくる際のガイドラインを一覧表で指定したものだったという。

ところが拘束力がなかった自主規制だったにもかかわらず、音楽業界やラジオやテレビの放送関係者の誰もが、民放連によって電波にのせて流すことが禁じられたのだと思い込んでいた。

その結果、1960年代から70年代にかけてザ・フォーククルセダーズの「イムジン河」、岡林信康の「手紙」や「チューリップのアップリケ」、高田渡の「自衛隊に入ろう」、赤い鳥の「竹田の子守唄」など、若者の支持があった多くの歌が放送メディアから閉めだされた。

網走番外地

高倉健が主演して大ヒットした映画『網走番外地』シリーズの主題歌は、長きにわたって放送禁止歌としても知られてきた。

網走刑務所での服役を終えた伊藤一が1959年に出版した小説「網走番外地」を、同名のタイトルで最初に映画化したのは日活だった。
それから6年後、1965年に東映で石井輝男監督がリメイクした『網走番外地』は、アメリカ映画『手錠のままの脱獄』を換骨奪胎した、豪快なアクション映画だ。

網走刑務所という舞台設定と「網走番外地」からタイトルだけをもらったこの映画は、2本立て映画の添え物として高倉健の主演で制作されたが、予想外のヒットになった。


同じ年に続編として『続・網走番外地』と『網走番外地・望郷篇』が作られると、どちらも一作目を凌ぐ大ヒットになり、高倉健は一気にスターダムにのし上がった。

もとはといえば刑務所の受刑者たちの中で歌心のある者が、歌謡曲のメロディーに乗せて、囚われの身の心情を替え歌にして歌っているうちに口伝で広まったものだ。
そのため自然発生的に多くの歌詞が残っていて、映画でもさまざまな歌詞のヴァージョン違いが歌われてきた。

素人でも歌いやすくてメロディが覚えやすい主題歌に、決して上手ではないが朴訥と歌う高倉健の声が果たした役割は大きい。
初レコードとなったこの歌のレコーディングには、ジャズ・シンガーで映画やミュージカルで大活躍していた夫人の江利チエミが、リハーサルにつきっきりで歌唱指導していた。

網走番外地レコード

しかし「酒(きす)ひけ」などの隠語が歌詞に使われて、刑務所を美化する内容だという理由で、「要注意歌謡曲」のA指定を受けたことによって、「網走番外地」はラジオやテレビから完全に閉めだされてしまった。
それでも映画の圧倒的な人気で、目立たないながらもレコードは静かに売れ続けた。

その後、民放連の「要注意歌謡曲指定制度」というシステムは、1983年12月10日を最後に刷新されなくなり、やがて効力を失った。
したがって放送禁止歌なる取り決めは、すでになくなっていたのである。

しかもAランクの放送禁止歌と噂されていた「網走番外地』」も、「イムジン河」や「チューリップのアップリケ」、「手紙」、「自衛隊に入ろう」、「竹田の子守唄」なども、その一覧表には記載されてはいなかったそうだ。
にもかかわらず放送禁止歌の概念はなくならないまま、長い間にわたって多くの歌を封殺し続けてきた。

それらが実は番組制作者サイドの”ことなかれ主義”、あるいは”臭いものには蓋”という逆差別意識の産物だったことを、森達也は「放送禁止歌」で明らかにしたのだった。

高倉健の少しくぐもったような声によって命を吹きこまれた「網走番外地」は、今もまだ日陰の存在のままであるが、この度の死をきっかけに静かに歌い継がれていくのだろうか。

それとも、”臭いものに蓋をしろ”という世の中の流れの中で、このまま命を断たれてしまうのだろうか。


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