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加藤和彦が「ミカと結婚するから、その祝いに作ったことにしよう」と言った歌~「あの素晴しい愛をもう一度」

2023.10.16

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ザ・フォーク・クルセダース時代からパートナーを組んでいた加藤和彦と北山修(きたやまおさむ)、この二人のソングライターが作った歌の中で、もっとも知られる代表曲が「あの素晴しい愛をもう一度」だろう。
この歌が誕生したことについては、二つの異なる説が存在していた。

ひとつは1970年に日本の若者たちが北米を回る「ヤングジャパンツアー」の途中、カナダのバンクーバーで行われた加藤と福井光子(ミカ)との結婚セレモニーで、きたやまがお祝いのプレゼントに歌詞を贈ったというものである。
しかし結婚のお祝いにしては歌詞の内容がそぐわないと、不思議に思う人は多かった。

ふたつ目の説が流布し始めたのはいつごろからだったのか、今ひとつ明らかではないがかなり前のことだった。
そこではシモンズにデビュー曲を依頼された時、あまりにもいい作品が出来たので自分たちのためにキープしたという話になっていた。

大阪府出身の田中ユミと玉井タエによる女性フォーク・デュオのシモンズは、サイモン&ガーファンクルのファンだったので、ポール・サイモン(Simon)のローマ字読みをグループ名にしたという。

シモンズ

シモンズは毎日放送ラジオの『ヤングタウン』のオーディションで合格して、RCAレコードからデビューすることになった。
高校時代からベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」や「恋人もいないのに」を歌っていたので、それらを手がけた加藤ときたやまに楽曲依頼が来たのはごく自然の流れだった。

その点についてきたやまおさむは、2010年に加藤が自殺した後で次のような経緯を公にした。

この歌はあるデュオに頼まれて加藤が作曲した。
僕の自宅の留守番電話に「ラランララン」とメロディーを吹き込んでくれた。
僕はその曲に乗せて詞を作り、彼の留守電に入れた。
「いいのをありがとう」って加藤は叫んだよ。


きたやまは追悼文で、「二人の加藤がいたと思う」という発言をしている。(注1)
一人はミュージシャンで舞台の前面で演奏するアーティストであり、もう一人はその演奏を厳しく見つめて批評する加藤である。

稀代の天才は表面的には遊んでいるように見えて、それを厳しく見つめる評論家のような分身を自らの内に抱え込んでいる。
厳しい加藤は、もちろん自分自身にも、そして共作者の私も厳しかったし、私が何回書き直してもダメ出しが続いたものだ。
ところが、良い作品ができた途端に、天使のように微笑んでくれた。
忘れもしない、「あの素晴らしい愛をもう一度」の歌詞ができた日、「最高だよ最高」と言ってはしゃぐ電話の声が今でも耳に聞こえる。
時間にして、彼の作曲が1日、私の作詞が1日という短さだった。


まず加藤がシモンズのために書いた曲を、きたやまの留守番電話に吹き込んだ。
それを聴いたきたやまは翌日、一晩で書いた歌詞を留守番電話に吹き込んで伝えた。
すると加藤から連絡が入って、「最高だよ最高」とはしゃぐほど満足してもらえたのだ。

ザ・フォーク・クルセダーズ解散後、音楽家として生きていく道を選んだ加藤は、新しい音作りや新しい録音方法を熱心に探っていた時期だった。
だから1971年の春に自分たちが歌ってレコーディングする時も、アレンジやサウンドにはこだわった。
ドラマーとして参加したつのだひろによれば、ドラムの他に加藤が自宅から持ってきたインド製のイスを叩いたという。

参考にしたのはサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」で、加藤の弾く複雑なスリーフィンガーの12弦ギターの音色と、リズミカルなドラムとパーカッションでベーシックなサウンドを作った。
その上に夕焼け空を流れゆく雲のような、流麗なストリングスが入って秀逸な青春への挽歌が完成したのである。


若者たちの間に”シラケ”や”喪失感”が浸透していた1970年代の初頭は、いたるところに重苦しいムードが漂っていた時代だった。
1971年4月5日に発売された「あの素晴しい愛をもう一度」は、リズミカルで軽やかなサウンドと爽やかなメロディで大ヒットした。

ところで誕生にまつわる事実がわかっても、まことしやかな作り話は何故だったのかという疑問が残る。
きたやまはそれについて、「フォークルを解散したはずなのに、どうしてまた二人でレコードを出したのか」と質問された時に、すんなり納得してもらうために理由が必要だったと語った。

加藤が言ったよ。
「それじゃ、ミカ(福井ミカ=加藤が70年代に入ってすぐに結成したサディスティック・ミカ・バンドのボーカル)と結婚するから、その祝いに作ったことにしよう」ってね。
別れの詞なのに、むちゃくちゃだ。(注2)


なお幸いなことにシモンズは「五つの赤い風船」のリーダー、西岡たかしによるデビュー曲「恋人もいないのに」がヒットして、順調に音楽活動をスタートさせることができた。
それを聴けばすぐにわかるのだが、アレンジは大ヒットしていた「あの素晴しい愛をもう一度」にも通じるものだった。


(注1)北海道新聞2009年10月19日夕刊「音楽家・加藤和彦さん追悼 きたやまおさむ 私は生き残ってやる。それが最後の共作」からの引用
(注2)朝日新聞2014年12月3日夕刊 「人生の贈りもの 精神科医・作詞家、きたやまおさむ:3」 加藤和彦との、あの素晴らしい日々

<参照コラム・1970年に北米を回った加藤和彦から生まれた「あの素晴しい愛をもう一度」






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