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「ハイサイおじさん」①細野晴臣 なにかぞくぞくしてくるものを感じたレコード

2015.09.25

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1974年の秋にソロ・アルバムのレコーディングを始めたまでは良かったが、途中から悩んでしまって中断し、ずっと悶々としていた細野晴臣を訪ねて来たのが久保田麻琴だった。

この出会いのイントロダクションは、沖縄を旅行中だった久保田から細野に送られてきた一枚の絵葉書だった。

そこには「興奮を抑えきれない音楽と出会った」と書いてあった。

OKINAWA

無人島だった西表島で久保田が観光用のマイクロバスに揺られていたときのこと。
そこで流れていた沖縄民謡のカセットの途中で、いきなり胸騒ぎのする不思議な音楽に出会ったのだ。

「喜納昌永さん-昌吉のお父さんですね、その昌永さんの民謡のカセットが、たまたま、かかっていたんです。
マルフク・レコードという、地元の民謡・古典音楽のレーベルのカセットです。
そのアルバムに、息子の昌吉が二曲だけ入れていて、これを聴いて驚いた。
急にドラムもエレキも入って来たので、驚いてバスの運転手さんに、『これなんですか』って聞いたら『民謡だ』。
『ええ?民謡じゃないだろ』(笑)。
他の曲は三線でチントンやっているのに。
チャンプルーズという昌吉のバンドの演奏だったわけです」


偶然に「ハイサイおじさん」を聴いた久保田は、帰京する前に那覇市内にあったマルフク・レコードに行った。
そこで買った喜納昌吉のレコードを、細野晴臣へのお土産として手渡したのである。

ハイサイおじさん

細野はそのレコードを一聴してすぐ、「なにかぞくぞくしてくるもの」を感じたという。

当時の日本では録れない、ジャマイカのレコーディングのような音でした。
スカの古いレコードみたいな音がしてたんです。
音もそれに匹敵するインパクトがあったんで、びっくりした。


こんな音楽が日本にあるということを初めて知った細野は、最高に楽しい気分になったという。
当時からよく聴いていたニューオーリンズの音楽、ドクター・ジョンのアルバム『ガンボ(Gumbo)』などとも、「ハイサイおじさん」は違和感なく繋がっていたのだ。


細野と久保田は二人で「次はチャンプルーだ!」と盛り上がった。
ニューオーリンズにとってのジャマイカのように、二人には日本における沖縄が見えてきたのだった。

チャンプルーは沖縄のゴッタ煮料理のことで、細野はまだ沖縄料理を一口も食べたことがなかった。
それでも面白い音楽はどれも異文化混合、料理で言えばごった煮=チャンプルーではないのか、そう気づいた。

本当はどんな音楽が好きなのかという話を久保田としているうちに、ブラジルのサンバ歌手でハリウッド・スターになったカルメン・ミランダ、マーティン・デニーやレス・バクスターのようなエキゾチック・サウンド、アメリカにとっての楽園イメージであるラテン・リズムや南国ムードが浮かんできた。

そこに久保田が決定的な一言を発する。

彼が、『細野さんは、トロピカル・ダンディーだよ』って言ったんだ。
人にいわれてはじめて気がついて、そうか、好きなことをやればいいんだと思って。


そのことがきっかけでニューオリンズのガンボ(ごった煮)や、ニューヨーク・ラテンのサルサ(ソースの意)ともつながり、味つけや匂いというのは、音楽とも大いに関わりのあるということにも気づかされた。
香りと音楽は記憶を甦らせてくれる、そんな話で細野と久保田の二人はハイになっていった。

カルメン・ミランダ

久保田とトロピカル・ダンディーの話をした翌日、細野は用事があってヤマハ音楽振興会の『ライトミュージック』編集部を訪ねた。
そこで当時はまだジャーナリストだったS-KENから、『細野さん、チャイニーズ・エレガンスはいいですね』と言われる。

トロピカルチャイニーズエレガンスという言葉が、はじめてコンセプトになってきた。
好きだったのに整理されていないままだった自分の嗜好のなかに、漠然としてだが答えが見えてきた。

「その前ずっと、僕は神経症の発作みたいなものにさいなまれていたんだけど、それを克服する方法が見つかったんです、そのころ。ものすごい解放感。目の前がワーッとひらけちゃった」


細野がスタジオでレコーディング作業を再開したのは、年が明けた1976年の2月だった。
2枚目のソロ・アルバム『トロピカル・ダンディ』は、それから2ヶ月後に完成したのである。

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