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21世紀になってもたくさんの人たちに歌われている加川良の「教訓Ⅰ」

2024.04.03

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「御国」のために大切な生命を差しだすことが、さも美徳であるかのように教えこまれていた戦前や戦中を想い起こさせながらも、ユーモアのある語り口で国家権力への抵抗を歌った「教訓I」。

これを作った加川良はURCレコードの系列となるアート音楽出版の社員で、担当する高田渡の運転手兼マネージャーとして現場に付いていた。
ところが1970年に開かれた第2回中津川フォークジャンボリーで、自らも飛び入りで出演することになり、初めて人前で自作の「教訓I」を歌った。
それが思わぬ評判を得たことで、レコード・デビューが決まった。


1945年8月15日に終戦を迎えてアメリカによる占領政策のもとで復興した日本は、1956年に発表された「経済白書」で「もはや戦後ではない」と明記されるまでに経済は回復した。
だが1960年の安保改定のときも、1970年の安保延長でも、アメリカとの安全保障条約が改定される前には、ふたたび戦争に巻き込まれるのではないかという不安や疑念から、学生たちを中心とする若者たちによって激しい反対運動が吹き荒れた。

しかし1969年を境に新左翼の学生運動は暴力のエスカレートを招き、セクト間の争いが生じて内ゲバが日常化し、運動そのものが内向きになったことで、一般からの支持を失つて急速に衰退した。

そんなシラケの時代に忽然と登場してきたのが、スローテンポで牧歌的な雰囲気を漂わせながら、ユーモアのなかに厭戦のメッセージが込められた「教訓I」だった。

ただし「教訓I」は必ずしも反戦に限った歌ではないから、オリジナルの歌詞のままずっとうたい続けることが出来たと、加川良は語っていた。

当時はベトナム戦争があってましたから反戦の歌だと思われがちですけど、ほんとは命の歌。生きているからこそ良き人と出会っていい時間を持てる。生活も大笑いも大泣きも…年取るってそんな悪いもんじゃない。命は一つでも100回生きたという人もいるでしょうし。やっぱ生きてないといかん、という歌ですから。(2014/11/16付 西日本新聞朝刊)


かっこわるくとも臆病者として生きることをすすめる「教訓I」を、加川良は全国を1年かけて一巡するライブを重ねながら、マイペースでずっと歌い続けてきた。

そんな普遍的な歌がふたたび注目を集めたのは、21世紀に入ってからのことだった。
島根県の松江市のシンガー・ソングライター、浜田真理子が自分のレパートリーとして「教訓I」を歌うようになったのである。

20代の頃、浜田は松江市にある「ボガート」というクラブで、毎晩ピアノの弾き語りをしていた。
そして仕事帰りにはしばしば、「ビーハイブ」という店へ飲みに寄ったという。

ビーハイブは二階にある狭いバーだったが、ギターやピアノなどの楽器が置いてあった。
音楽好きの若者がたくさん集まる店で、ときには客同士で突然セッションが始まったりする店だった。
浜田はその店で加川良の音楽に出会った。

そのビーハイブで加川良さんブームがあって、そこでは実際に加川良さんのライブがありました。それで加川良さんのファンになり、CDをたくさん聞くようになりました。
好きな歌のひとつが「教訓」でしたが1990年代で特に戦争のことを歌うのにも時代的にピンとこず、そのまま覚えたけれど歌えないままでした。


後にOLをするようになった浜田は、会社で大規模なリストラがあった時に、お国を会社になぞらえてならば歌うことができるかもしれないと思って、「教訓I」を歌い始めたのだという。

浜田の澄んだ真っ直ぐな歌声で唄われると、同じ歌でも印象がすっかり変わって、祈りの歌となった。
浜田の「教訓I」から伝わってくるのは、母が子供に、あるいは姉が弟に語りかけているような、愛をともなう切実さだった。

その後まもなくアメリカでは9.11が起こり、浜田は時代が歌の本来の意味に近寄って来たと感じて、自分で歌う必要を意識するようになっていった。

2002年8月にTBS系「筑紫哲也News23」の終戦特集で、エンディングでフル・コーラスが放映されると、番組が終了した後で局に問合せが殺到した。


でもそのころはまだ外国の話だと思っていたのですが、このごろはより身近になってしまいました。
もともと島根は広島に近いので、平和教育は子供の頃からされていたと思います。
なので、反戦の歌を歌うのはちっとも違和感はなかったのですが、ライブではなかなか歌えませんでした。


反戦の歌が身近になったと感じた浜田がライブで歌うようになった「教訓ⅠI」を聴いたのが、フリー・ジャズとノイズ・ミュージックの第一人者である大友良英だった。

わたしの大好きな浜田真理子さんがカバーした「教訓I」。
この曲を自分も歌おうと思ったのは、この浜田さんのバージョンを聞いたのが切っ掛けです。


歌手ではなかった大友が敢えて、フォークソングの弾き語りというスタイルで「教訓I」を唄ったのは、2011年に起こった東日本大震災とも深いところでつながっている。

人々が本当に必要とする歌は、このように個人に発見されることで、人から人へとつながることで、後世に唄い継がれていくのだろう。



(注)本コラムは2017年4月6日に公開されました。

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