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「教訓Ⅰ」が21世紀になって浜田真理子や大友良英に歌われるまで

2017.04.06

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「御国」のために大切な一人ひとりの生命を棄てることが、さも美徳であるかのように教えこまれていた戦前や戦中を想い起こさせながら、ユーモアのある語り口調で国家権力への抵抗を歌ったフォークソングが「教訓Ⅰ」だ。

これを作った加川良はURCレコードの系列となるアート音楽出版の社員で、担当する高田渡の運転手兼マネージャーとして現場に付いていた。
ところが1970年に開かれた第2回中津川フォークジャンボリーで、自らが飛び入りで出演することになり、初めて人前で自作の「教訓Ⅰ」を歌った。
それが思わぬ評判を得たことでレコード・デビューした。

教訓Ⅰ 作詞/作曲 加川良

命はひとつ 人生は一回
だから命を棄てないようにネ
慌てるとつい フラフラと
御国のためなのと 言われるとネ
青くなってしりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい


教訓

1945年8月15日に終戦を迎えてアメリカによる占領政策のもとで復興した日本は、1956年に発表された「経済白書」で「もはや戦後ではない」と明記されるまでに経済は回復した。
だが1960年の安保改定のときも、1970年の安保延長でも、アメリカとの安全保障条約が改定される前には、ふたたび戦争に巻き込まれるのではないかという不安、あるいは疑念から、学生たちを中心とする若者たちによる激しい反対運動が吹き荒れた。

しかし1969年を境に学生運動は暴力のエスカレートを招き、セクト間の争いが生じて内ゲバが日常化し、運動そのものが内向きになって一般からの支持を失い、急速に衰退していった。
そんなシラケの時代に忽然と登場してきたのが、スローテンポで牧歌的な雰囲気を漂わせながら、ユーモアのなかに厭戦のメッセージが込められた「教訓Ⅰ」だった。

ただし「教訓」は必ずしも反戦に限った歌ではないから、オリジナルの歌詞のままずっとうたい続けることが出来たと加川良はいう。

当時はベトナム戦争があってましたから反戦の歌だと思われがちですけど、ほんとは命の歌。生きているからこそ良き人と出会っていい時間を持てる。生活も大笑いも大泣きも…年取るってそんな悪いもんじゃない。命は一つでも100回生きたという人もいるでしょうし。やっぱ生きてないといかん、という歌ですから。(2014/11/16付 西日本新聞朝刊)


かっこわるくとも臆病者として生きることをすすめる「教訓1」を、加川良は全国を1年かけて一巡するライブを重ねながら、マイペースでずっと歌い続けてきた。


そんな普遍的な歌がふたたび注目を集めたのは、21世紀に入ってからのことだった。
島根県の松江市のシンガー・ソングライター、浜田真理子が自分のレパートリーとして「教訓Ⅰ」を歌うようになったのだ。

20代の頃の浜田は松江市にある「ボガート」というクラブで、毎晩ピアノの弾き語りをしていた。
そして仕事帰りには「ビーハイブ」という店へ飲みに寄った。

ビーハイブは二階にある狭いバーだが、ギターやピアノなどの楽器が置いてある。
音楽好きの若者がたくさん集まる店で、ときには客同士で突然セッションが始まったりする場所だった。
浜田はその店で、加川良の音楽に出会った。

そのビーハイブで加川良さんブームがあって、そこでは実際に加川良さんのライブがありました。それで加川良さんのファンになり、CDをたくさん聞くようになりました。
好きな歌のひとつが「教訓」でしたが1990年代で特に戦争のことを歌うのにも時代的にピンとこず、そのまま覚えたけれど歌えないままでした。


後にOLをするようになった浜田は会社で大規模なリストラがあった時、お国を会社になぞらえてなら歌うことができるかもと思って、歌い始めたのだという。

浜田真理子

御国は俺達 死んだとて
ずっと後まで残りますヨネ
失礼しましたで 終わるだけ
命のスペアはありませんヨネ
青くなってしりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい


澄んだ真っ直ぐな女性の声で歌われると、同じ歌でも印象がすっかり変わって祈りの歌となった。
浜田の「教訓Ⅰ」から伝わってくるのは母が子供に、あるいは姉が弟に語りかけているような切実さだ。

その後まもなくアメリカでは9.11が起こり、浜田は時代が歌の本来の意味に近寄って来たと感じて、自分で歌う必要を感じるようになっていった。

2002年8月にTBS系「筑紫哲也News23」の終戦特集で、エンディングでフル・コーラスが放映されると、局に問合せが殺到した。


でもそのころはまだ外国の話だと思っていたのですが、このごろはより身近になってしまいました。
もともと島根は広島に近いので、平和教育は子供の頃からされていたと思います。
なので、反戦の歌を歌うのはちっとも違和感はなかったのですが、ライブではなかなか歌えませんでした。


反戦の歌が身近になったと感じた浜田がライブで歌うようになった「教訓Ⅰ」を聴いたのが、フリー・ジャズとノイズ・ミュージックの第一人者である大友良英だった。

わたしの大好きな浜田真理子さんがカバーした「教訓1」。
この曲を自分も歌おうと思ったのは、この浜田さんのバージョンを聞いたのが切っ掛けです。


歌手ではない大友が敢えてフォークソングの弾き語りというスタイルで、「教訓Ⅰ」をうたったということは2011年に起こった東日本大震災とも深いところでつながっている。

人が本当に必要とする歌はこのようにして発見されて、後世にうたい継がれていくのだろう。
加川良の歌には発見されていない歌が、まだまだたくさん残っている。

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