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「過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことなんてないんだ」~大瀧詠一

2023.12.19

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”歌謡曲の生みの親”と目されている作曲家の中山晋平と、”最高のポップス職人”を目指して生涯を全うした大瀧詠一が、実は同じ命日だったということに最近気がついた。

大瀧詠一にはこんな名言がある。

歌は世につれ、というのは、ヒットは聞く人が作る、という意味なんだよ。ここを作る側がよく間違えるけど。
過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことなんてないんだ。作る側はあくまで”作品”を作ったのであって”ヒット曲”は聞く人が作った。


聞く人、すなわち音楽を受容する力を持つひとりひとリのリスナーが、好みの歌を発見していくことで、ヒット曲が作られると言っているのだ。


1970年代から自分がDJを務めるラジオ番組を中心にして、日本の大衆音楽の歴史をポップスという視点から研究した大瀧詠一は、その総論として『大滝詠一の日本ポップス伝』という番組を作りあげた。(注)

そこで中山晋平が最初に作った曲「カチューシャの唄」についてはこう述べている。

中山晋平さんが苦労したあげくに作ったのが「♪カチューシャ可愛いや別れのつらさ♪」っていう。これをまぁ近代大衆歌謡の第1号ではないかという風に言われております。


野口雨情が新民謡として書いた「枯れすすき」に中山晋平が作曲した歌は、後に日本調といわれる四七抜き短音階の大ヒット曲となり、今では日本調の歌の原点と目されている。

四七抜き短音階とはドレミファソラシという七音のうち、四番目のファと、七番目のが抜けている五音階の短調という意味だ。

己(おれ)は河原の 枯れ芒(すすき)
同じお前も かれ芒
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯れ芒


その暗くてやるせない歌詞を受け取った中山晋平は、一向に作曲をする気にならなく一年近く放っておいた。
だが野口雨情に請われて歌の舞台となった茨城県の利根川水域を旅していて、地元の民謡を聞いて浮かんだメロディから哀切きわまりない歌を完成させた。

1921年から22年にかけての日本は不況に陥り、世の中にはじわりじわりと閉塞感が漂いつつあった。
暗い時代の空気が強まっていく中で、「船頭小唄」を広めたのは巷の演歌師たちである。

看板も後ろ盾もない一匹狼だった演歌師たちが好んで歌ったことで、「船頭小唄」はヒット曲になっていく。
1923年春には当時の人気絶頂だったスターの栗島すみ子が主演した映画『船頭小唄』がヒットして、3枚組のレコードは10万組を売ったとも伝えられる。

そして「船頭小唄」が爆発的に流行していたその年の9月1日。相模湾沖を震源地とする関東大震災が起こって、東京と横浜は火の海となって壊滅。多数の死者を出したのだった。

地震を予知していたのではないかという説まで流れて、政府からも軟弱な歌だとクレームがついて、「船頭小唄」のような歌を歌うから関東大震災が起きるのだとまで言われたという。

しかし、哀切きわまりない5音階のメロディは日本人のウェットな心情にはまり、戦後になると演歌というジャンルに受け継がれていく。

ちあきなおみ「船頭小唄」


大人になるとなぜ哀切きわまりないメロディに惹かれるのかについて、大瀧詠一が2000年のお正月明けに放送されたラジオ番組で、パーソナリティの山下達郎とこんな会話をしている。(FM東京「Sunday Song Book 新春放談パート2」)

山下「お風呂で鼻歌、歌います?」
大瀧「歌うね」
山下「どんなの歌います?」
大瀧「『達者でな』だな、やっぱり(笑)」
山下「僕、ここ週間、『船頭小唄』なんですよ」
大瀧「ほぉー、出て来たね、地が(笑)」


「達者でな」は、三橋美智也が1960年から61年にかけて放ったヒット曲だ。
田舎ではまだ荷馬車や畑仕事で農耕馬が使われていた時代に、町へ売られていく馬との別れを歌った牧歌的な作品だった。
岩手県の地方都市に生まれ育った大瀧詠一は、歌が流行したとき12歳だったから日常に見ていた風景の歌だろう。

「船頭小唄」は戦後になって映画『雨情物語』(1957年)で、森繁久彌が歌ったことからスタンダード化していったので、山下達郎が聞いたのは4歳か5歳の頃だろう。
そんな聞くともなく聞こえていた歌が、無意識のうちに心に植え付けられて、その人の音楽的な「地」は形成される。
   

子供の頃聞いてました。
メロディーラインが出てくるんです。
それが意外と自分の節回しに合ってるんじゃないかと思って。
風呂で何かちょっとやってみると、おお、自分に合ってるような気がするんです。
自分でも不思議でね。
そういう年回りになったのかなと。
いいメロディーだと思いますね。


子供の頃に聞くともなく聞こえていた音楽は、いつのまにか身体の奥底まで入り込んで、大人になってから急に蘇ってくることがある。
それは日本の風土の持つ影響力なのだろうか、それとも歌に力があるということなのだろうか。



(注)1995年8月にNHK-FMの特別番組として5夜連続で放送された。なお文中の大瀧詠一の発言は、「ポップス普動説」(「KAWADE夢ムック 文藝別冊 増補新版 大瀧詠一」河出書房新社)からの引用です。



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