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青山ミチの「叱らないで」から生れた藤圭子のデビュー曲「新宿の女」

2016.08.22

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青山ミチという歌手がいた。
アメリカの影を背負った生まれで、才能はあったが不器用で、行動が危なっかしい少女歌手だった。
わずか13歳で和製ポップスでデビューしたがヒットに恵まれず、「ミッチー音頭」などで注目されたが、いつしか暗い方向へと流されていった。
そんななかで唯一、賛美歌のような「叱らないで」が1968年に少しだけヒットした。

 「叱らないで」
 作詞:星野哲郎 作曲:小杉仁三

 あの娘がこんなに なったのは
 あの娘ばかりの 罪じゃない
 どうぞ あの娘を 叱らないで
 女ひとりで 生きてきた
 ひとにゃ話せぬ 傷もある
 叱らないで 叱らないで
 マリヤさま


歌手になるために北海道から家族で上京してきた17歳の少女(後の藤圭子)と出会って以来、作詞家の石坂まさおは何とかしてレコード・デビューを実現させようと、マネージャーになった。

ある日、「新歌謡界」という作詞家の同人誌仲間から未発表の詞を見せられて、頭のなかで何かがひらめいた。
 

 灯りをともして 吹き消した
 バカだな バカだな だまされちゃって


石坂の頭のなかで”バカだな バカだな だまされちゃって”というフレーズに、何かがつながった。
そのとき口をついて出てきたのが、青山ミチの「叱らないで」のメロディだった。

伏線はあった。
それは数カ月前、作詞家の星野哲郎のところに行って、少女の歌を聴いてもらった時のことだ。
少女は星野が作詞をした、青山ミチの「叱らないで」を歌った。

「叱らないで、叱らないで、マリア様」と切なく訴えるこの歌は、少女が”流し”をしていたときの持ち歌だった。

「すごく、いいよ。彼女は、すごくいい」と、少女は星野に認められた。
だが石坂は、「あなたが彼女の歌を書くんだろ。いや、あなたが書くべきじゃないのかな」と言われた。

実力者の星野に作詞をしてもらえば、レコード・デビューにこぎつけられる可能性が高くなる。
そう考えたマネージャー的な狡さを見透かしたような言葉に、石坂は自分を恥じるしかなかった。




青山ミチは米軍の兵士だった父と日本人の母から生まれたハーフで、歌手としては天性のリズム感と力強い声の持ち主だった。
横浜のジャズ喫茶「テネシー」のコンテストでスカウトされて、すぐにレコード会社に見出されて「ひとりぼっちで想うこと」でデビューした。

しかし夜の勤めでわが子にかまってやれなかった母親が過保護に育てたせいなのか、きつく注意されたり困難に直面したりすると、すぐどこかにいなくなってしまった。
精神面の弱さがついてまわったために、将来性を嘱望されながらもヒット曲にめぐまれず、たびたび失踪事件を起こした。

そんな彼女が2度めのレコード会社となるクラウンに移籍して放った唯一のヒット曲、それが1968年に発売された「叱らないで」だった。
ブルース調の歌謡曲なのだが、どことなく賛美歌を感じさせる歌である。


石坂は子供用のトイ・ピアノで、「叱らないで」の歌いだしのメロディをたたいてみた。
歌いだしで「ソ・ミ・レ・ド」が二回くり返されているのを確認し、それを逆から弾いて鍵盤をたたいてみた。
すると同人誌仲間が書いた歌詞に、メロディがついてしまったのだ。

歌い出しで「ド・レ・ミ・ソ」が二回くり返される、素朴な歌がこうして生まれた。





「新宿の女」
 作詞:石坂まさを・みずの稔 作曲:石坂まさを

 私が男になれたなら
 私は女を捨てないわ
 ネオンぐらしの蝶々には
 やさしい言葉がしみたのよ
 バカだな バカだな
 だまされちゃって
 夜が冷たい 新宿の女


その年の7月5日に18歳になる予定だった少女にとって、歌詞の内容にはほとんどリアリティがなかった。
メロディも素朴なところが取り柄だが、ありふれた嘆き節にすぎない。
ところが少女はそれを難なく自分のものとして歌えたのである。

少女は歌の主人公の心に入り込んで、心の底まで降りて行って、その情念や怨念を自らのものとして、振り絞るように声に出して歌った。

ありふれた言葉による不幸なホステスの嘆き節なのに、圧倒的な哀しみと切なさをもって伝わってきたのは、少女が歌が驚異的にうまかったからだ。

ビート感が圧倒的にすぐれているというだけでなく、声そのものが特別にハスキーで、見事なヴィブラートを持っていた。

こうして新人歌手、藤圭子が誕生したのだった。

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