TAP the SONG

祝還暦・桑田佳祐~勝手に売れたわけではなかったサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」①

2016.02.26

Pocket
LINEで送る

サザンオールスターズのデビュー・シングル「勝手にシンドバット」は、1978年6月25日にビクター・レコードから発売された。

それにさかのぼる6月9日、NHK-FMのラジオ番組『甲斐よしひろの若いこだま』では、「ロックの日」と称して「夏よ来い!ロックンロール大特集」がオンエアされた。

甲斐バンドの「狂った夜」を皮切りに、サディスティック・ミカ・バンドの「ダンス・ハ・スンダ」、内田裕也のアルバム『ア・ドッグ・ランズ』、四人囃子の「空と雲」、パンタ(PANT)の「屋根の上の猫」などが選曲されていた。
そしてDJの甲斐よしひろはその夜の最後の曲に、「これは絶対、売れる!この曲が流行んなきゃ、甲斐バンドも流行んないかも知れない」と、かなり力を込めた調子で「勝手にシンドバッド」を紹介した。

まだデビュー前の新人バンドが持っていたとてつもないポテンシャルを、同じロック・ミュージシャンとして強く感じ取っていたのが明らかだった。

そして勢いよく「♪ラララ……」というコーラスから始まったアップテンポの曲は、それまで誰も聴いたことがないタイプの日本語ロックだった。

砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて
夏の日の想い出は 
ちょいと瞳の中に消えたほどに
それにしても 涙が止まらないどうしよう
うぶな女みたいに
ちょっと今夜は熱く胸こがす
さっきまで俺ひとり
あんた思い出してたとき
シャイナハートにルージュの色がただ浮かぶ
好きにならずにいられない
お目にかかれて
今何時 そうねだいたいね
今何時 ちょっと待っててオー
今何時 まだはやい
不思議なものね あんたをみれば
胸さわぎの腰つき 胸さわぎの腰つき
胸さわぎの腰つき


一聴しただけでは歌詞の意味はまったく不明、真面目なのか冗談なのか、はたまたふざけているだけなのか。
歌詞カードを見なければまるでわけがわからない、否、見てもよくわからないその変な歌は、リスナーをただ驚かせただけでなかった。
ぶっ飛んでいて理解不能であるがゆえの魅力と、音楽的にも斬新そのものだったことから、圧倒的なインパクトを与えたのである。

サザンオールスター「勝手にシンドバッド」

サンバ風のパーカッシブなロック・サウンドには、ファンクとソウルの要素が埋め込まれていた。
しかもタイトルが前の年に大ヒットした沢田研二の「勝手にしやがれ」と、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」から来ているように、バックグラウンドには歌謡曲のテイストがあった。

桑田佳祐によれば「勝手にシンドバッド」の原型はザ・ピーナッツのヒット曲「恋のバカンス」のようなものだったらしく、あえて歌謡曲を意識して作ったのだという。

勝手にシンドバットというのは、売れる売れないっていうんじゃなくて、自信作だった。
作ったのは1977年かな。アマチュア時代にも歌ってた。
もっとテンポ遅かったけど。

何かロックを歌謡曲のレベルまで引き下げて歌いたいっていう願望が強くあった。
所詮、日本人ってのは歌謡曲だから。


最初に曲を作ってバンドメンバーのところへ持っていったときは、歌謡曲的なテイストのせいか「冗談じゃないよ」という感じでいやがられたらしい。

1977年にヤマハが主催するコンテスト「イースト・アンド・ウェスト」で、サザンオールスターズはビクターのディレクターだった高垣健の目と耳にとまって、これがレコード・デビューにつながった。

ただし「勝手にシンドバッド」は、すんなりとデビュー曲に選ばれたわけではない。

デビュー・シングルを「勝手にシンドバッド」で行きたい桑田佳祐と、「別れ話は最後に」を推す高垣の意見が折り合わず、話し合いが持たれた。
そのときに決め手となったのは所属していた事務所、アミューズの社長である大里洋吉の判断だった。

サザンオールスターズはレコード会社からのデビューが決まりかけたところで、キャンデーズのマネージャーだった大里が前の年に設立した新しい事務所、アミューズに所属していたからだ。

やっぱり俺としても”勝手にシンドバット”に執着があったんだ。
自分で聴いて新鮮というか、オリジナルの中では一番受けがいいだろうと思ったね。漠然と。
ただあそこまで売れるとは夢々思わなかった。


6月25日に発売された「勝手にシンドバット」は、オリコンのチャートでは初登場132位だった。

甲斐よしひろは7月7日、ふたたび「若いこだま」でオンエアしてプッシュした。
そして7月23日には甲斐バンドが日比谷野外音楽堂で開催したコンサートに、サザンオールスターズはオープニング・アクトとして出演し、短い時間ながらライブも大好評だった。

記念すべき初めてのテレビ出演は7月31日、フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオ』である。
バンドのメンバーはタンクトップとジョギングパンツ姿で、リオのカーニバルのダンサー達をバックに熱唱した。
あまりの早口で歌詞が聞き取れないであろう視聴者のために、その日は日本語なのに歌詞がテロップで流れた。

学生バンドらしくアマチュアっぽいルックス、歌詞の字面を追ってもほとんど意味不明の日本語、それまでとは全く異なるタイプのバンドは大きな反響を呼んだ。

当時はほとんどのロックバンドがテレビとは無縁で、声がかかっても背を向けていた時代だったが、彼らは積極的に出演するようになる。

このあたりからレコードの動きが、少しづつ良くなってきた。
そして決定打となったのがその年から始まった人気音楽番組『ザ・ベストテン』への出演で、それを可能にしたのは大里のアイデアだった。


<続きはこちらで>
勝手に売れたわけではなかったサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」②



(注)桑田佳祐の発言は単行本 「ブルー・ノート・スケール 」 (桑田佳祐・著 ロッキング・オン発行)からの引用です。

Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

関連アーティスト

関連するコラム

[TAP the SONG]の最新コラム

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑