TAP the SONG

「群青色の朝」と「鈍色の雨」という言葉で始まった日本語のロック~はちみつぱい「塀の上で」

2016.03.18

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2000年夏、”5人で歌う、5人の“ビューティフル・ソングス”というキャッチコピーがついたコンサート、「Beautiful Songs(ビューティフル・ソングス)」が開催された。

それぞれの活動の中で信頼関係を育んできた5人、大貫妙子、奥田民生、鈴木慶一、宮沢和史、矢野顕子による全国7都市を回ったツアーは大好評で、2003年の3月から4月にかけてふたたびスペシャル・ライブが行われた。

ビューティフル・ソングス
そのコンサートで全員が歌うハイライト・シーンに歌われたのが、はちみつぱい時代の鈴木慶一が書いた楽曲「塀の上で」だった。
矢野顕子が言った次のひとことは、今でも鮮やかな印象となって残っている。

「『センチメンタル通り』がある限り日本の音楽は大丈夫!」


はちみつぱいのファースト・アルバム『センチメンタル通り』は1973年11月に発売された。
今では“日本語のロック”を切り拓いた不屈の名盤と言われているアルバムで、1曲目を飾ったのが「塀の上で」だった。

A面
1.塀の上で
2.土手の向こうに
3.ぼくの倖せ
4.薬屋さん

B面
1.釣り糸
2.ヒッチハイク
3.月夜のドライブ
4.センチメンタル通り
5.夜は静か通り静か」


センチメンタル通り ジャケ写

はちみつぱいはザ・バンドやグレイトフル・デッドに影響を受けていたロックバンドで、リーダーの鈴木慶一による日本語のロックは、先輩格に当たるはっぴいえんどと並んで当時としては最も先駆的なものだった。
歌いだしの「群青色の朝」と「鈍色の雨」という言葉の使い方には、それまでの歌謡曲には使われたことがない、日本語の新しい表現だと思わせるものがあった。

空は未だ群青色の朝
外はそぼ降る鈍色の雨
窓にこびりついた残り顔流し
牛乳瓶に注ぎ込む朝よ


スローでゆったりとしたビートで歌われる鈴木慶一のヴォーカルには、どこか浮遊するようでいて沈鬱な感覚がある。

「鈍色(にび)色」「こびりついた」「牛乳瓶(びん)」と、「び」の音韻を繰り返してビートを作り上げていった非凡な才能には驚かされた。
はっぴいえんどの松本隆とは異なるアプローチで、鈴木慶一はロックにおける日本語の使い方を編み出したのだった。

落ち着きとともに不安な表情をのぞかせながら、恋人に去られてしまった男の心象風景が、「若さ」「馬鹿さ」「するさ」と、今度は「さ」の音韻を使って描き出されていく。

惚れられ惚れて早一年経って 
若さと馬鹿さ 空回りするさ 
ヒールが七糎のブーツを履いて 
僕を踏み潰して出ていった朝よ
塀の上で 塀の上で
ぼくは雨に流れみてただけさ


1コーラスが終わっても歌われているシチュエーションがいまひとつ理解し難い歌詞は、2コーラスに入ってしばらくすると、一瞬にしてリアルな物語になる。
それも劇的に、だった。

「ヒールが七糎のブーツを履いて」自分を捨てて出て行った恋人は、羽田から飛行機でロンドンへお嫁に行ってしまう。
鈍色の雨が降る羽田の町に置き去りにされた主人公は、孤独に突き落とされたまま、悲痛さを抱え込んで塀の上で雨に流れるしかない。

誘導灯が流し目くれて
広告塔が空に投げキッス
羽田から飛行機でロンドンへ
ぼくの嘆き持ってお嫁に行くんだね
今日は 塀の上で 塀の上で
ぼくは雨に流れみてただけさ


結成時から流動的だったはちみつぱいのメンバーだが、唯一のオリジナル・アルバムを作ったときのメンバーは鈴木慶一(ヴォーカル、ギター、ピアノ)、本多信介(ギター)、武川雅寛(ヴァイオリン)、和田博巳(ベース)、かしぶち哲郎(ドラムス)、駒沢裕城(ペダルスティール)だった。

しかし『センチメンタル通り』から1年後、はちみつぱいは1974年11月に解散してムーンライダーズへと変わっていく。
その解散コンサートの最後に、「それでは、また、いつか、どこかでお会いしましょう」という鈴木慶一の言葉とともに演奏されたのも「塀の上で」だった。


塀の上で~はちみつぱい(1972年 東京草月会館)



<はちみつぱいの歩み>

1970年、鈴木慶一はあがた森魚らと共にあがた精神病院を結成。後にあがた森魚と蜂蜜麺麭(はちみつぱい)と名前を変えて、あがた森魚のサポートを中心に活動を行っていた。

1971年からは蜂蜜ぱいと名乗り、独立したロックバンドとしての活動を行うようになる。渋谷百軒店のライブハウスであるBYGへの出演を活動の中心に、岡林信康やあがた森魚、西岡恭蔵などのアルバムのレコーディングに参加した。

1971年8月、鈴木慶一、渡辺勝、本多信介の3名で第3回全日本フォークジャンボリーに出演。これをきっかけに和田博巳が加入。1971年秋頃にはセッションを通じて武川雅寛が、オーディションにより、かしぶち哲郎が加入。1972年春頃、表記を“はちみつぱい”に改めた。

1972年9月、渡辺勝が脱退し、これに入れ替わる形でペダルスティールの駒沢裕城が加入。ヴァイオリンの武川と共に、はちみつぱいのサウンドを独特なものとした。

1973年11月、キング・ベルウッドよりファーストアルバム『センチメンタル通り』を発売し、1974年5月にはシングル『君と旅行鞄(トランク)』を発売する。しかし1974年11月20日、山野ホールでのコンサートを最後に解散。

1988年6月9日、汐留PITにて1日限りの再結成コンサートを開催。ゲストにはあがた森魚、斉藤哲夫、高田渡らが出演し、はちみつぱいをバックに歌った。

2015年12月、鈴木慶一音楽活動45周年公演に出演するために、メンバーが集結。はちみつぱい名義で、27年ぶりにライヴを行なった。この邂逅をきっかけに、結成45周年の今年は大阪と東京でライヴを行なう予定。

・大阪公演 
5月9日(月)ビルボードライブ大阪
1stステージ 開場17:30 開演18:30
2ndステージ 開場20:30 開演21:30

・東京公演 
5月15日(日)ビルボードライブ東京
1stステージ 開場15:30 開演16:30
2ndステージ 開場18:30 開演19:30

故 かしぶち哲郎の長男である橿渕太久磨と、ムーンライダーズのサポートドラマーとして、かしぶち哲郎の薫陶を受けた夏秋文尚がツインドラムで参加する。

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