「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

「東京ドドンパ娘」~大阪のクラブで生まれたラテン・リズムが東京から大ヒット

2016.06.24

Pocket
LINEで送る

かつてビクターにこの人ありと言われた名物ディレクター、磯部健男は雪村いづみや浜村美智子、松尾和子、フランク永井、森進一、青江三奈を世に出した人物である。

1960年に「大阪では変なダンスが流行ってるらしい」という情報を耳にしていた磯部は、「ドドンパ」というリズムに興味を持ち、それを活かしたオリジナル曲を作って17歳の少女歌手、渡辺マリに歌わせることにした。

東京ドドンパ娘

渡辺マリが吹き込んだ「東京ドドンパ娘」が大ヒットしたのは、1961年の春だった。

これがデビュー曲だと思った人は当時から多かったが、渡辺マリは前年に「ムスターファ」というトルコ産の外国曲でデビューしていた。
このときは老舗だったビクターから出た渡辺マリの「ムスターファ」以外にも、テイチクでラテン歌手のアイ・ジョージが自分で作詞してカヴァーした。
新しく創業する東芝レコードに移籍したダニー飯田とパラダイスキングも、売出中だった放送作家の青島幸男によるヴァージョンを出して競作になった。

その中で大ヒットしたのが、コミカルな日本語詞がついた東芝の「悲しき60才」である。
それを歌ったのは、くったくのない笑顔に特徴があった少年、18歳の坂本九だった。

ここからは坂本九は、アイドル的なスターになっていく。



ところで「ドドンパ」は、純国産の新しいリズムという触れ込みで登場した。

ドドンパ・ブームを仕掛けたのは、大阪における最大のナイトクラブ「クラブ・アロー」の支配人だった古川益雄だった。
アローの専属歌手としてアイ・ジョージや坂本スミ子を育てて売り出し、自らプロデュースとマネージメントをしていた古川は、フィリピン人のバンドが持ち込んだリズムに「いける」と感じた。

アイ・ジョージが残した著書「ひとりだけの歌手」(1963年/音楽之友社)に、そのいきさつが語られている。

ぼくたちはレコーディングのスタジオで、いつもメンバーが集まるまでの時間や、休憩時間に、ドラム、コンガ、ボンゴ、ティンバル、コーバル、ギロ、タンバリンなど、ありとあらゆる打楽器で、即興的にリズムを演奏して楽しむのだ。
(略)
ある日、ふと誰かが、こんなことを言い出した。
「フィリッピンのペペ・モルト楽団が、変わったリズムをやっとったで」
「どんなんや、やってみいな」
そこで紹介されたのが、チャチャチャを変型したオフ・ビート・チャチャチャである。
二拍目に馬鹿に強いアクセントがあり、奇妙な面白さがあった。


そのリズムに合わせた「ドドンパ」のダンスが踊られたりして、仲間同士で音楽を楽しんでいるときに、アイ・ジョージがアイデアを思いついた。


「三拍目を三連音符にしたらどうだろ。よけい変わって面白いかもしれないよ」
三連音符くらいの用語はぼくだって知っている。やってみた。
ンパ、ドドド、タタ、ンパ……これで一、二、三、四、一、二というくり返しになる。
そこへ古川さんがやって来た。
「古川さん、新しいリズム作りましたよ。どうです、ちょっと聞いて下さいな」


古川は面白がったが、「オフ・ビート・チャチャチャ」では名前がむずかしすぎので、新しい名前をつけようとみんなに考えさせた。
思いついたのはアイ・ジョージだった。

「ドドンパ!」
「それや、それがええわ。ドドンパ!いかしとるで。秋田のドンパン節みたいなもんや。純国産リズム、ドドンパ。よっしゃ今年の夏にアローで大デモンストレーションやって大いに流行らしてやろうやないか……」


こうして大阪で自然発生的に生まれた「ドドンパ」を、古川は意図的に新しい純国産リズムとして売り出した。

それを実際に成功に結びつけたのが、東京のレコード会社の敏腕ディレクターだったということになる。
磯部は東京キューバンボーイズの専属シンガーだった渡辺マリの持つ伸びやかな声と、日本人ばなれしたグルーヴ感を活かしたいと思い、自分が信頼する鈴木庸一と宮川哲夫に曲と詞を依頼した。

それがものの見事に決まった。
「東京ドドンパ娘」のヒットで、「ドドンパ」のリズムはその年のに流行なった。



だが、意外にも後にヒット曲が続かず、尻すぼみに終わってしまった。
渡辺マリにもその後はヒット生まれず、育ちの良かった本人も芸能界の水が合わないと判断し、早々に引退した。

それでも1962年にヒットした青春歌謡、北原謙二の「若いふたり」ではイントロからドドンパのリズムが鳴っていた。
1964年に爆発的なヒットを記録した松尾和子&和田弘とマヒナスターズの「お座敷小唄」も、アレンジはドドンパがベースになっている。

しかしその頃から「エレキギター」のブームが起こり、1966年のビートルズ来日公演を契機に、日本の音楽シーンは大きく変わっていく。
海外から輸入されるリズムの流行は、ロックの時代になるとほぼ自然に消滅していった。


Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the SONG]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ