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エルヴィス・プレスリーの「ラヴ・ミー・テンダー」と、忌野清志郎による日本語詞のカヴァ―

2013.11.15

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エルヴィス・プレスリーの初主演映画は南北戦争を舞台にした西部劇、「The Reno Brothers(原題・リノ兄弟)」のために作られた「ラヴ・ミー・テンダー(Love Me Tender)」は、レコードが発売される前からすでにゴールド・ディスクと認定された。

1956年9月にエルヴィスがテレビの人気番組「エド・サリバン・ショー」に出演してこの曲を歌ったところ、翌日に100万枚を超える予約が入ったからである。

その年の年頭に「ハートブレイク・ホテル(Heartbreak Hotel)」を大ヒットさせたエルヴィスは、全米中にセンセーションを巻き起こしていた。
ロックンロールの体現者として登場したエルヴィスに熱狂する若者たちの反応に、警戒の念を抱いていた大人たちからは非難の声が上がっていった。

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ところが「どんなことがあってもエルヴィスだけは自分の番組に出演させない」と宣言していた、良識ある大人の代表であるエド・サリバンが、自分がホストを務める番組「エド・サリバン・ショー」に立て続けに出演させたことによって、世間の風向きは急速に変わっていく。

そしてアメリカ南部に住む白人ならば誰もが聞き覚えのある懐かしい「オーラ・リー(Aula Lee)」のメロディーを、「ラヴ・ミー・テンダー」という新たな歌詞でエルヴィスが歌ってヒットさせた結果、大人たちの間でも次第に好意的に受け入れられるようになっていったのだ。

やさしく愛して 甘く愛して
決して僕を放さないで
君は僕の人生を満たしてくれた
愛している


元になった「オーラ・リー(Aula Lee)」は南北戦争時代の1861年に、初めはミンストレル・ショウの歌として発表されたものだが、南軍の兵士の間で口コミで広まって愛唱され、それからは長きにわたって歌い継がれていた。

先に「ラヴ・ミー・テンダー 」が大ヒットしたのを見た20世紀フォックス社は、急いで映画の題名を「Love Me Tender」に変更して公開することにした。


エルヴィスによって世界中で有名になったこのラブ・ソングに、日本でオリジナルとはまったく異なる歌詞をつけたのは、RCサクセションの忌野清志郎である。
この「ラヴ・ミー・テンダー」を収録したRC サクセションの洋楽カバー・アルバム『COVERS(カバーズ)』は、洋楽のヒット曲に忌野清志郎が独自の日本語詞をつけて、東芝EMIから1988年8月6日に発売される予定になっていた。
もちろん、その日は広島に原爆が落とされた記念日であった。

何言ってんだー、ふざけんじゃねー
核などいらねー
何言ってんだー、よせよ
だませやしねぇ
何言ってんだー、よせよ
だませやしねぇ
何言ってんだー、やめときな
いくら理屈をこねても
ほんの少し考えりゃ俺にもわかるさ
放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ


しかし「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」の2曲の歌詞が、反核と原子力撤廃を歌っているという理由によって、日本の原子炉サプライヤーである東芝の子会社だった東芝EMI は、レコードが商品として出来上がっていたにもかかわらず発売を取りやめた。
当然のようにアーティストも、音楽ファンもそうした規制に強く反発した。

アルバム『COVERS(カバーズ)』はこの時、6月25日に発売が予定されていた先行シングル「ラヴ・ミー・テンダー」ともども、世の中から抹殺されかかったといえる。
ところがそうした事実がマスコミに取り上げられたことで、音楽ファンの関心が急速に高まったことから日の目を見るのである。

RCサクセションが東芝EMIに移籍する前の古巣だったキティレコード(現・ユニバーサルミュージック)が、8月15日の終戦記念日にアルバムを発売することになった。
発売中止の騒ぎがアルバムの宣伝に役立ったことで、『COVERS(カバーズ)』にはオリコンのチャートで1位を獲得するという結果がもたらされた。



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