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ボサノヴァで「イパネマの娘」を作った音楽家のアントニオ・カルロス・ジョビン

2023.12.08

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ブラジルで最も偉大な音楽家として愛されてきたアントニオ・カルロス・ジョビン(愛称トム・ジョビン)は、1994年12月8日に心不全のためニューヨークで死去した。67歳であった。
ブラジル国民はそのとき、大統領令によって3日間の喪に服している。

その後、「ガレオン国際空港」と呼ばれていたリオデジャネイロの空港が、1999年から「アントニオ・カルロス・ジョビン空港」に変更された。
そしてトム・ジョビンの命日にあたる2014年12月8日、リオデジャネイロ市は没後20年を迎えた記念として、イパネマ海岸に特製のブロンズ像を設置した。

1950年代の後半から60年代後半にかけて映画や音楽、文学からアート、ファッションに至るまで、世界中のいたるところで文化的な革命が起こっていた。
アメリカでは黒人音楽と白人音楽が交わったロックンロールが誕生し、それが世界中に波及してさまざまな影響を与えた。
やがてその影響を最も強く受けたイギリスのバンドが、アメリカのルーツ・ミュージックを掘り下げて、そこから新たなるロックを大きく発展させていくことになる。

フランスでは映画の世界で”ヌーベルヴァーグ(新しい波)”が起こり、ブラジルの音楽界では”ボサ・ノヴァ(新しい隆起)”が始まった。

世界中の誰もやったことのないギター奏法の「バチーダ(ビート)」を編み出したのは、バイーア州出身のシンガーだったジョアン・ジルベルトである。

一人でもサンバができるようにと試行錯誤を重ねた末に、ジョアンはそれまでにない新しいギター奏法を自分のものにした。
次にその奏法に合わせて生み出した歌い方、囁くような声にも磨きをかけていった。

ジョアンの歌を聴いて音楽の可能性を直感したのがトム・ジョビンだ。
サンバの複雑なリズムを一定のリズム・パターンに統一したギター奏法は、トム・ジョビンが目指していたコード感やモダンなハーモニーに合うと思ったのだ。

そこで作曲してはみたが完成に至らずに眠っていた楽曲に、ジョアンのギター奏法を合わせてみると、「想いあふれて(シェガ・ジ・サウダージ)」が生まれた。
作詞したのは外交官でジャーナリストや作家としても活躍していた才人、ヴィニシウス・ヂ・モライスだった。
こうしてひとつの歌に3人の傑出した才能が落とし込まれたことから、ボサノヴァという新しい音楽が誕生したのである。


1958年に発売された「想いあふれて(シェガ・ジ・サウダージ)」から始まったボサノヴァは、都会の若者たちの支持を受けて新たなムーブメントとなった。

そして1962年の夏、ヴィニシウスとトム・ジョビンの代表作となる「イパネマの娘」が、彼らがよく行っていたイパネマ海岸近くにあるバーで生まれることになった。

母親のタバコを買いによくやって来る美少女の歩く姿が、二人にインスピレーションを与えたのだ。

コパカバーナのナイトクラブで「イパネマの娘」が初めて披露されたのは8月のことで、それはジョビン、ヴィニシウス、ジョアンという、ボサノヴァの創始者たちが初めて一堂に会した「エンコントロ」、すなわち「出会い」と名付けられたショーのなかだった。

大好評のうちにショーは6週間も続けられたが、彼ら3人が共演したのはこのショーが最初で最後になった。

やがて「イパネマの娘」は1964年にアストラッド・ジルベルトが歌った英語ヴァージョンが大ヒット、その後は世界中で歌われてスタンダード・ソングになっていった。

イパネマ海岸はボサノヴァの聖地となり、この地から生まれた名曲を作った二人のソングライターのことを、今もリオの市民は誇りに思っている。

<参照コラム>・世界中にボサノヴァを広めたアルバム『ゲッツ/ジルベルト』から生まれたコンサート


(注)本コラムは2016年7月29日に公開されました。









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