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「イパネマの娘」のソングライターたちに今も誇りを抱くリオデジャネイロ市民

2016.07.29

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ブラジルで最も偉大な音楽家として敬愛されたアントニオ・カルロス・ジョビン、愛称トム・ジョビンは1994年に67歳で心臓発作のためニューヨークで死去した。
そのときブラジル国民は、大統領令によって3日間の喪に服した。

かつてはガレオン国際空港と呼ばれていたリオデジャネイロの空港は、1999年からアントニオ・カルロス・ジョビン空港に変更された。

そしてトム・ジョビンの命日にあたる2014年12月8日、リオデジャネイロ市は没後20年を迎えた記念として、イパネマ海岸にブロンズ像を設置した。

20 anos após sua morte, o compositor e maestro Antônio Carlos Jobim ganha uma estátua, de autoria da artista plástica Christina Motta, na Praia de Ipanema (Tânia Rêgo/Agência Brasil) - Assuntos: Tom Jobim, antônio carlos jobim, estátua, homenagem, maestro, Ipanema

さらにリオ・デ・ジャネイロ五輪の公式マスコットの名前は「ヴィニシウス(Vinicius)」に決定、パラリンピックのマスコットが「トム(Tom)」と名付けられた。

これは3週間にわたってインターネット上で行われた、リオデジャネイロ市民の投票によって決まった。
もちろんこれもボサノヴァを誕生させた詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスと、音楽家トム・ジョビンの功績を称えたものである。

オリンピックの

1950年代の後半から60年代後半にかけて映画や音楽、文学からアート、ファッションに至るまで、世界中のいたるところで文化的な革命が起こっていた。

アメリカでは黒人音楽と白人音楽が交わったロックンロールが誕生し、世界中に波及してさまざまな影響を与えたが、その影響を最も強く受けたイギリスからロックが発展していくことになる。

フランス映画界では”ヌーベルヴァーグ(新しい波)”が起こり、ブラジルでは音楽界に”ボサ・ノヴァ(新しい隆起)”が始まった。

世界中の誰もやったことのない「バチーダ(ビート)」というギター奏法を編み出したのはバイーア州出身シンガー、少し偏屈なジョアン・ジルベルトだった。

ジョアン・ジルベルト

一人でもサンバができるようにと試行錯誤の末に新しいギター奏法を自分のものにし、それに合う囁くような歌いジョアンの方を聴いて、そこに新たな音楽の可能性を直感したのがトム・ジョビンである。

サンバの複雑なリズムを一定のリズム・パターンに統一したギター奏法は、トム・ジョビンが目指していたコード感や粋でモダンなハーモニーに合うと思ったのだ。

そこで作曲してはみたものの完成に至らず、眠っていた楽曲にジョアンのギター奏法を合わせて「想いあふれて(シェガ・ジ・サウダージ)」が作られる。

これを作詞したのは外交官でありながらジャーナリスト、作家、歌手と、多面的に活躍していた才人のヴィニシウス・ヂ・モライスだった。

この3人の才能がトム・ジョビンによってひとつの歌に落とし込まれてされてブラジル発で世界に広まっていく新しい音楽のボサノヴァが誕生したのである。




1959年に発売された「想いあふれて(シェガ・ジ・サウダージ)」から始まったボサノヴァは、都会の若者たちの支持を受けて新たなムーブメントとなって、ブラジルのみならずアメリカのジャズ・シーンにも注目されるようになっていく。

そして1962年の夏、ヴィニシウスとトム・ジョビンの代表作となる「イパネマの娘」が、彼らがよく行っていたイパネマ海岸近くにあるバーで生まれる。
母親のタバコを買いによくやって来る美少女、エロイーザが歩く姿に二人がインスピレーションを与えたのだ。

「イパネマの娘(Garota de Ipanema)」

見てごらん
何て可愛いんだろう
何て優美なんだろう
彼女だよ 
海辺の道を
リズムに揺れながら
こちらにやって来て 
通り過ぎていく

イパネマの太陽で
金色に照らされて
その容姿は
詩を超える
私がこれまでに
出会った中で
最高の美しさ

ああ、どうして私はこんなに一人ぼっちなんだろう
ああ、どうして皆んなこんなに悲しいんだろう
ああ、こんな美しいものが存在するなんて

私一人だけのものじゃない美しさ
彼女はまた一人で通り過ぎていく





「イパネマの娘」がコパカバーナのナイトクラブで初めて披露されたのは8月、それはジョビンとヴィニシウス、そしてジョアンという、ボサノヴァの創始者たちが初めて一堂に会した「エンコントロ」、すなわち「出会い」と名付けられたショーのなかだった。

大好評のうちにショーは6週間も続けられたが、彼ら3人が共演したのはこのショーが最初で最後になった。

やがて「イパネマの娘」は1964年にアストラッド・ジルベルトが歌った英語ヴァージョンが世界中で大ヒット、その後はフランク・シナトラなどに歌われて世界的なスタンダードになっていく。

リオデジャネイロのイパネマはボサノヴァの聖地となり、この地から生まれた名曲を作った二人のソングライターは、今も市民に愛されて誇りに思われている。

<参照コラム>・世界中にボサノヴァを広めたアルバム『ゲッツ/ジルベルト』から生まれたコンサート



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