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朝日ソノラマが「鉄腕アトム」に続いて連続して放ったテレビ漫画のヒット曲「鉄人28号」と「エイトマン」

2017.01.13

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朝日ソノラマの橋本一郎が『鉄腕アトム』の音盤化を思いついてすぐに制作に取りかかり、音源やビジュアルを完成させたちょうどその頃、テレビ漫画の第2弾となる3本の作品が立て続けに放映されようとしていた。

フジテレビでは『鉄人28号』が10月20日から、TBSでは『エイトマン』が11月7日から、さらにNETテレビでも11月25日から『狼少年ケン』がスタートする予定だった。
橋本はそれらの情報を手に入れるとすぐ、朝日ソノラマで独占発売することを決意したという。

この時点ではまだ『鉄腕アトム』のソノシートが発売されていなかったので、どこのレコード会社も大ヒットするはずの主題歌をみすみす取り逃したことに気づいていなかった。
だから『鉄腕アトム』に続くヒット曲が誕生しつつあったにもかかわらず、特に関心を寄せている様子もなかったという。

書店から入ってくるオーダーの数字を知っていた橋本は、「鉄腕アトム」がヒットすることに自信を持っていたので、それらの主題歌についてもかなり強引な手法で契約にこぎつけている。

『鉄人28号』については作者の横山光輝と会って印税契約を交わして原稿を依頼し、音楽を作った三木鶏郎との交渉に入った。
しかしディズニー映画の仕事を行ったこともある三木鶏郎は、権利関係には精通していたので作詞作曲については外国曲並みの印税支払いを要求された。

通常の3~4倍もの印税だったが、それに関しては交渉の余地がないと橋本は判断し、朝日ソノラマの独占というところだけは死守することにした。
12月に発売された『鉄人28号』のソノシートは、第一弾の『アトム』を上回る勢いで売れて大ヒットになった。



続けざまに残りの音盤化にも動いた橋本だったが、『エイトマン』の主題歌に関してはふたつの大きな障壁が立ちはだかっていた。
主題歌を歌った克美しげるはロカビリー・ブームから登場した歌手で、渡辺プロダクションに所属していた。
しかも東芝レコードとも専属契約して活動中だったのである。

当時の芸能界においてレコード会社による専属制度は拘束力がきわめて強く、他社の音盤では絶対に歌えないという慣習になっていた。
また近代的な経営を標榜する渡辺プロダクションは、日本の芸能界にあったしきたりや旧いシステムを刷新して、契約アーティストの地位向上を目指していた。
具体的には歌手やバンドマンの生活を保証するために「月給制度」を取り入れて、彼らの日常的な収入を保障することで信頼を築いていった。

そしてレコード制作に於ける「原盤権」という権利を打ち出して、邦楽では初めてレコード会社とプロダクションによる原盤契約を結んでいた。
その第1作が「植木等の「スーダラ節」で、1961年の夏から秋にかけて大ヒットを記録した。

東芝レコードは設立時から渡辺プロダクションとの縁が深く、原盤契約を推し進める渡辺プロダクションが作った渡辺音楽出版とも協力して、60年代半ばから加山雄三ブームやGSブームで大きく成長していくことになる。

したがって朝日ソノラマが『エイトマン』の主題歌をソノシートで発売するには、専属契約している東芝レコードの許可を得たうえで、渡辺音楽出版と発売の契約を結ばなければならなかった。

「エイトマン」の主題歌を作曲したのはクレージーキャッツのヒット曲を連発していた萩原哲晶、そして作詞はフリーの放送作家だった前田武彦だった。
橋本はさっそく渡辺プロダクションの情報を集めて、松下治夫制作部長を交渉相手と定めた。
原盤制作が渡辺音楽出版で、松下制作部長がその責任者だったのだ。

気迫を込めて朝日ソノラマからの発売を切り出した橋本の話を聞いた松下は、「エイトマン」のソノシート発売に関して交渉に応じてくれた。
橋本はそこで、「東芝音工に、克美をソノラマに使わせてやってくれと、ひと声かけていただきたいのです」と要望を加えた。

それを聞いた松下は笑いだし、「それをナベプロに言わせようとは、あんたもなかなかいいタマだな。まあ、レコード本部長にはあとで電話をしとくよ」と、意外にあっさりと承諾したという。

その事情について松下は後にこう語っている。

こんなふうに、渡辺プロダクション・グループが原盤制作や著作権の管理をはじめたことで、従来の音楽制作の構造がくつがえっていった。レコード会社の専属作家制が崩壊し、自由な曲作りができる環境に変わったのだ。


後日、橋本が挨拶したときに東芝レコードの本部長は「天下のナベプロに言われたんじゃ、こちらは白旗だよ。克美を例外的に貸し出すが、こんな事は今回限りにしてくれよ」と、釘を刺しながらも認めたという。

しかしソノシート化が実現するかと思われたところで、作者のひとりである漫画家の桑田次郎が、すでに別のレコード会社と音盤化の契約をしていたことが発覚する。
あわてて橋本は桑田を説得し、受け取ったという30万円を会社に用意させると、それを桑田に渡して契約したレコード会社に返させた。

こうして時間がかかって昭和39年6月に発売となった「エイトマン」のソノシートだが、予想通りに大ヒットした。



おりしも大好評のために続編が制作された「鉄腕アトム」の第二集と同時に発売が実現したのだが、この2枚のソノシートのA面には主題歌、B面にはオリジナルエピソードによる音声ドラマが収録されていた。
まだビデオデッキなどのない時代だったので、これを再生することによって子供たちがテレビ漫画の世界を音で楽しめるようにしたのだ。

鉄腕アトム2

この試みは期待通りに受け入れられて、アニメ音楽はソノシートで発売するのが一般的となっていった。
朝日ソノラマと橋本はそのパイオニアとして、アニメ音楽のシーンを主導していくことになる。


(注)文中の引用は、松下治夫 著「芸能王国渡辺プロの真実。―渡辺晋との軌跡」(青志社 )からのものです。

〈参考文献〉
・橋本一郎 著「鉄腕アトムの歌が聞こえる ~手塚治虫とその時代~」 (少年画報社) 、



 

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