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ビートルズとストーンズに最も近かったのが1967年のザ・テンプターズ

2017.05.12

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「カッコいい」「あこがれ」「美少年」 「自意識」「純粋さ」「反骨精神」「スタイリッシュな生き方」‥‥


グループ・サウンズ(GS)は1967年から68年にかけて、日本中を巻き込む大きなブームを巻き起こし、最盛期には数百ともいわれるプロ、およびセミプロのバンドが全国各地で活動した。

それらのほとんどがベンチャーズが下地を作ったエレキブームから誕生し、ビートルズのブレイクで大きな刺激を受けて、ローリング・ストーンズやアニマルズ、デイブ・クラーク・ファイブなど、イギリスのバンドの影響下に入った。



ビートルズの来日公演をきっかけにして1966年の夏にワイルドワンズが結成されて、秋に発売したデビュー曲の「想い出の渚」が大ヒットした。
彼らは4人のメンバー全員がうたって演奏し、レコード・デビューの時にオリジナル曲にこだわったビートルズのようだった。

しかしそれと同時にもっとも早くからビートルズの音楽をめざして、コピーすることで実力を身につけながら、かまやつひろしのソングライティングでオリジナルの日本語ロックにも挑戦していたスパイダースが、商業的な成功を狙って職業作家の浜口庫之助が書いた歌謡曲「夕陽が泣いている」を出した。



これが大ヒットしたことから、日本のバンドには二つの道が開けた。
ビートルズの歩んだ歴史や精神を受け継いで、ライブで客に鍛えられながら成長して、クリエイティビティと実力を兼ね備えたグループになるのか、それともプロの作品をうたって商業的な成功をめざすのか、その二者択一だった。

とはいえバンドのメンバーに選択の余地は少なく、バンドを発掘して売り出すレコード会社やプロダクションが、圧倒的に強い主導権を握ることになる。

その結果、早くヒットを狙った楽曲が量産されたために、「カッコいい」音楽へのあこがれや、ルーツ・ミュージックから受け継ぐ「魂」、過剰な「自意識」と心の「純粋さ」、「反抗精神」からくる不良性など、イギリスのバンドたちの作品を根底で支えていた要素が薄まることになった。

ビートルズとローリング・ストーンズが活動開始して半世紀以上が過ぎても、ゆるがない前人未到の地位にいるのは、バンドにも音楽にも唯一無二のオリジナリティがあったからだ。
どちらも最初の頃はカヴァー曲ばかりをやっていた時期があり、プロになって成功してからもそれを続けながら、バンドのなかからシンガーソングライターが育って、音楽的に大きく成長したことで可能になった。

しかし”学ぶよりもまず真似る”という日本の芸能界では、「カッコいい」バンドのために「カッコいい」楽曲を作れる若者、若くてセンスのいいソングライターを見つける方向に進んだ。
そこから新しい才能が、確かに続々と登場してきたのである。

ただしその多くはバンドの内部からではなく、ジャズやシャンソン、クラシックなどの音楽をバックボーンに持っている外部の人たちだった。
作詞家でいえば、橋本淳、なかにし礼、山上路夫、安井かずみ、作曲家でいえば、すぎやまこういち、鈴木邦彦、筒美京平、井上忠夫、村井邦彦、加瀬邦彦といったフリーの作家たちが輩出された。

だから日本のグループサウンズがヒットさせた楽曲にはロック色が希薄で、新しい感覚の歌謡曲になっていったのは必然だった。
そして短期間でマンネリ化したことから、ブームはわずか2年で終息してしまう。

そんななかで大きな可能性を秘めていたのが、1967年に登場してきたザ・テンプターズだった。
テンプターズのメンバーは5人で、リーダーでリードギター、ヴォーカルの松崎由治、サイドギターとオルガンの田中俊夫、ベースの高久昇、ドラムスの大口広司、そして最後にメンバーに加わったヴォーカルとハーモニカの萩原健一。

グループサウンズのブームが巻き起こっていた1967年5月、ザ・スパイダースの田邊昭知が設立したスパイダクションと契約した。
そして、人気が沸騰していたザ・タイガースに対抗するバンドとして売り出された。

音楽雑誌にはデビュー時に、こんな記事が載っていた。

カーナビーツ、ジャガーズに続いてフィリップス・レコードが自信をもって世に贈る話題の超大型グループ、ザ・テンプターズのデビュー盤です。平均年令18才という若さとパンチに充ちたハンサム・ガイ揃いのフレッシュな5人組で、スパイダーズのリーダー田辺昭知が経営するスパイダクションから今年の4月にデビュー、1ヶ月もたたないうちに東京中のジャズ喫茶の人気を独占、8月のウエスタン・カーニバルに異例の抜擢で初出演、ブル・コメやタイガーズに劣らない人気ぶりで見事新人賞を獲得、グループ・サウンズの第3勢力のホープとして斯界の注目の的となっています。

デビュー曲は作詞・作曲が松崎由治、ヴォーカルも作った本人によるもので、グループサウンズでは稀有な例だった。

短くてシンプルな歌詞に思い切り感情を込めて、ときには涙を流しながらうたう松崎のヴォーカルは、日本人にしか作れないセンチメンタルなロックだった。
ただし、そのセンチメンタルなエッセンスが前面に打ち出されると、感情の移入が強すぎて自壊を促す危険性があった。

B面の「今日を生きよう」は1967年のサンレモ入賞曲で、グラス・ルーツが英米でヒットさせた曲だが、なかにし礼が日本語に訳詞した。
それを松崎のリード・ギターによるテンプターズのサウンドに乗せて、ショーケンこと萩原健一がうたうと得も言われぬ切迫感とリアリティが放たれて、両面ともにヒットした。

バンドのなかに個性的なシンガー・ソングライターがいて、魅力的なメイン・ヴォーカルもいるということで、テンプターズには大きく成長する可能性が十分にあった。
しかし当初はギリギリに保たれていたバランスだったが、「忘れ得ぬ君 / 今日を生きよう」がヒットしたことから、タイガースの対抗馬としてことあるごとにライバル同士だと、マスコミに過剰に祭り上げられることになった。

そしてプロの作家によって「エメラルドの伝説」が作られて大ヒットし、ショーケンがストーンズのミック・ジャガーのようなカリスマ的な人気を得たことで、徐々にバンドとしては自壊へと向かうことになる。

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