TAP the SONG

自作のオリジナルソング「神様お願い」から始まったテンプターズの快進撃

2017.05.19

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ビートルズの来日公演に影響を受けたグループサウンズのブームの中に、ロカビリー時代の反社会的で危険な香りを持ち込んだのは、萩原健一(ショーケン)という稀有な表現者の本質なのだろう。

テンプターズの「神様お願い」が発表された1968年3月、ヴォーカルのショーケンの歌声とその立ち居振る舞いからは、ロックンロールの初期衝動とも重なる不良っぽさがブラウン管を通して伝わってきた。

それはちょうど10年前、熱狂的なムーブメントとなったロカビリーブームのなかで、なんとも言えない不良っぽいカッコよさを漂わせていた山下敬二郎に通じるものだった。

年が離れた兄や姉とともに育ったショーケンになる前の小学生、萩原浩三はいつも向かいの酒屋さんの家に遊びに行っていたという。
目的は姉の同級生の娘さんが持っていたレコードで、「監獄ロック」や「ハートブレイク・ホテル」といったエルヴィス・プレスリーの歌を、プレーヤーで一緒に聞かせてもらうことだった。

その2曲が音楽に関するもっとも古い記憶だというのだから、7,8歳のころに早くもロックンロールに出会っていたのだ。



高校生だったかまやつひろしは、エルヴィスが登場したとき「すごいのが出てきたなぁ」と感心したと語っている。

「エルヴィス・プレスリーの登場がショッキングな出来事だったことはたしかだ。
彼はロックを若者の音楽にした革命児で、怒れる若者の代弁者のような反モラル的な匂いを発散していた」


1958年にロカビリーブームが巻き起こると、夢中になっていた姉たちと地元の埼玉会館で開かれたコンサートに足を運んだ。
有楽町の日劇ウェスタンカーニバルにも連れて行ってもらい、姉に肩車されてステージの山下敬二郎に歓声をあげていたこともある。

家にあるほうきをギター代わりにして山下敬二郎の真似をすると、兄や姉にウケるので嬉しかったという。



1965年、中学3年生のときに地元の埼玉でエレキバンドのテンプターズをバックにして、飛び入りのゲスト・ヴォーカルとしてビートルズの「マネー」とアニマルズの「悲しき願い」をうたった萩原浩三は、ギタリストの松崎由治に「一緒にやんない?」と誘われた。

その後、自分で芸名を萩原健一(ショーケン)と決めてテンプターズに参加し、翌年から渋谷や赤坂、六本木でパーティーやジャズ喫茶のステージに立つようになった。

メンバーが着ていたユニフォームも、俺と松崎が言い出しっぺになって、やめさせちゃった。
「みんな、バラバラの洋服にしようよ」


前からいたメンバーたちがビートルズやアニマルズ、デイブ・クラーク・ファイブなどを持ち出して反発しても、こう言い返して主張を押し通した。

だけどさ、ローリングストーンズはユ二フォームなんか着てないじゃないかよ。


テンプターズのレパートリーはローリング・ストーンズ、それにアニマルズ、ヤードバーズといったイギリスのバンドだった。
そしてショーケンはミック・ジャガー張りのステージアクションをやっていた。

ギャラは一日三千五百円。ただし、五人全員で。ひとり頭、千円にもなりません。
でも、とりあえず、食っていければいい、と思ってました。お金を儲けるよりもブルース・バンドとして、自分のやりたい音楽を続けていくことが大切だったから。


それから1年後、1967年にザ・タイガースがデビューして本格的なグループサウンズのブームが到来すると、いろいろなところからいろいろな人たちがテンプターズをスカウトにやってきた。

彼らはザ・スパイダースの田邊昭知が設立したスパイダクションと契約し、半年間の合宿生活を経てプロ・デビューすることになった。

かまやつひろしはデビュー前の彼らをこう回想していた。

 しかし、ガラが悪くてまいった。
スパイダースが出演しているジャズ喫茶に遊びにくると、客席から
「『サティスファクション』やれ!」などと怒鳴ったりするのだ。彼ら、ストーンズが好きだったから。懐しいね。


しかしデビュー・レコードを出すというとき、最初の食い違いが明らかになっている。

さぁ、いざデビューってときから、ぼくは文句ばっかり言っていた。だって、変なアップリケのついたひらひらのユニフォーム着せられちゃってさ。あれには参った。もう、こっ恥ずかしくてさぁ、イヤだったな。すごくイヤだった。ホンットにイヤだった。
 だから、デビュー曲の「忘れ得ぬ君」も、おれは歌わなかった。どうしても、歌いたくなかったから。


こうした事情があってグループサウンズでは特例ともいえる扱いで、作詞・作曲した松崎が自分でうたうことになったのだ。

幸いにもデビュー・シングルの「忘れ得ぬ君 」はまずまずのヒットになり、ショーケンがうたったB面「今日を生きよう」もヒットしたの。
周囲からの期待が高まるなかで、松崎の作詞作曲による「神様お願い」がレコーディングされた。

わずか2分10秒たらずの短い曲だった「神様お願い」は、スピード感と切迫感に満ちあふれていたことで大ヒットした。
ヴォーカルのショーケンはここからいっきに注目の存在となり、人気の頂点にいたタイガースのライバルと認められる。



(参考文献)ムッシュかまやつ著「ムッシュ! 」文春文庫、萩原健一著「ショーケン」(講談社)

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