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来日公演でジーン・ヴィンセントが歌った「オーバー・ザ・レインボウ」の静かな衝撃

2018.10.13

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映画『女はそれを我慢できない』が1957年に日本で公開された時、たくさんの若者たちの目を釘付けにしたのは、動くロックンロールの強烈な衝撃だった。
なかでも評判になったのが、ジーン・ヴィンセントとブルー・キャップスのパフォーマンスだ。
日本のロカビリアンたちは映画『女はそれを我慢できない』の演奏シーンを真似るだけでなく、ファッションもこぞって取り入れている。



1956年にアメリカでヒットした「ビー・バップ・ア・ルーラ」は、日本の発売元だったキングレコードがほとんど宣伝しなかったこともあって、それほどヒットしなかった。
だが、盛り上がりつつあった日本のロカビリー・シーンのなかで、歌手たちの間では特に評判が高かった。
ロカビリアンたちは圧倒的に情報量が乏しい時代に、レコードを聴くことで歌い方と演奏技術を研究したのである。

ヒーカップ唱法と呼ばれるしゃくりあげる歌い方と、クリフ・ギャラップのギャロッピングというギター奏法は、ロカビリーに憧れていた多くの若者たちに大きな影響を与えた。




1958年に爆発したロカビリー・ブームで、牽引者となったミッキー・カーチスがこう語っている。

ここのエレキギターの人はすごいね。テクとフィーリングがね。
4人だけのメムバーでこれだけの効果を出すなんて無茶苦茶にすごいな。
僕の感じではこのヴィンセントと云うのはレコードでは最高にいかすけど、果たして実演でこれだけの効果が出せるかと云うことが疑問なんですよ




そのヴィンセントが突如として来日することが決まったのは、ロカビリー・ブームがたけなわだった1959年6月のことである。
有楽町駅前にあった娯楽の殿堂、日本劇場でコンサートが行われることになった。
とはいっても現在のライブとは全く異なるショー形式のコンサートで、恒例になっていた日劇ウェスタンカーニバルのスペシャル版だった。

6月23日から29日までの7日間、当時の日本ではもっとも人気があるロックンローラーの来日に、観客以上に出演者たちの注目が集まった。
”ロカビリー3人男”の山下敬二郎が、来日を前にしてこう語っていた。

ともかく来てくれることがまだ夢のような気がして‥‥。
ともかくなんでもいいから歌ってもらえばいいと思うんです。
僕はそれを一生懸命きければ、それでいいな。
僕はあの映画をセリフ全部覚えるくらいみた。
でもやっぱりあのなかで一生懸命みていたのはヴィンセントの場面でしょう


そして6月23日、初日の日劇公演が行われたが、「実演でこれだけの効果が出せるかと云うことが疑問」といった心配は、まったくの杞憂に終わった。
当時の音楽誌「ミュージック・ライフ」に掲載されたライブレポートには、「ビー・バップ・ア・ルーラ」についてこう書いてある。

ハスキー・ボイスでものすごいビブラートをつけて歌う。
エコー・マイクなしであれだけ聞かせることができるということはやはりすぐれた特殊技能だ。
レコードで聞いたときはオーヴァーだと思ったけれど、ステージで聞くと割に淡々と歌って感じがいい。
声量はある方ではないが、それをちゃんと計算しているところなど、やたらにがなればロカビリーになると思っている日本の歌手にはいい勉強になったと思う。


共演した平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチス、坂本九、清野太郎、守屋浩が「一番良いと思った曲は?」という、雑誌のアンケートに答えていた。
なんと全員が「オーバー・ザ・レインボウ」であった。



ジュディ・ガーランドの代表曲で美しいスタンダード・ソングの「虹の彼方に(オーバー・ザ・レインボウ)」を、ジーンは情熱を内に秘めてロックのビートに乗せることで、観客の一人ひとりに届けてくれたのだ。

力いっぱい叫ぶことが若さの特権だと勘違いするところもあったロカビリアンたちは、押すだけでなく引いて魂に訴えかけるという表現に驚き、それを学んで自分たちのものにして日本のポップスを作っていった。

坂本九はジーンから「ドリーム・ラバー」の歌い方を直に教えてもらい、ソフトでキューティな唱法によって2年後に「上を向いて歩こう」という名曲をものにしていく。





(注) 本コラムは2017年6月23日に初公開されました。

〈参照コラム〉オズの魔法使〜“虹の彼方”からやって来る圧倒的なイノセンスの世界

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