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山口百恵の歌手としての人生が変わっていくきっかけになった「涙のシークレットラブ」

2017.10.06

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1976年の夏に大ヒットした山口百恵の「横須賀ストーリー」は、4月に出す予定だったアルバム『17才のテーマ』のために作られた楽曲だった。
しかし素晴らしい出来栄えに驚いた制作スタッフたちがアルバムに収録するのではなく、シングルの勝負曲にしようと決めた判断によって、彼女の歌手としての人生は大きく変わっていく。

レコーディングされてから半年後の6月21日、13枚目のシングルとしてリリースされた「横須賀ストーリー」は、アイドルとしての彼女の人気を拡大したにとどまらず、山口百恵というカリスマ的なスターを誕生させたのである。

そもそも「横須賀ストーリー」が生まれるきっかけとなったのは、彼女が持っている音楽を受けとめる力だった。



シークレット・ラヴ 愛されても 溜息ばかりが
シークレット・ラヴ 哀しみを まさぐるように
シークレット・ラヴ 傷ついても 優しさばかりが
シークレット・ラヴ 口づけさえ 涙に濡れる
通いなれた 部屋の隅で
灯りもつけずに 壁にもたれて
シークレットラブ 想い出さえ 誰にも言えずに
シークレットラブ 今のあたし ぬけ殻みたい


ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのアルバムの中に入っていた1曲、恋の切なさと哀しみを歌った「涙のシークレット・ラヴ」に反応した山口百恵の感性が、表現者としての才能を一気に開花させることになった。

川瀬泰雄はホリプロダクションの音楽制作部門で、一千数百曲もの作品を作ってきた音楽プロデューサーだが、「エルヴィス・ビートルズ・陽水・百恵で僕の音楽の歴史がつくられました」と述べている。

トータルの4分の1近い曲数を占める山口百恵の作品について、川瀬は2011年にその事実関係を詳細に記述した著作の「プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡」(学研教育出版)を出版した。



そこでは編曲を担当した音楽家の萩田光雄や、CBSソニーのディレクターだった金塚晴子などからあらためて聞き取りをした上で、客観的かつ正確を期して書いた全楽曲のレビューと、当時の回想記がまとめられている。

シングル「横須賀ストーリー」の項目はこんな一文で始まっていた。

百恵は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「涙のシークレット・ラヴ」を聞いて、鳥肌が立ったという。


「涙のシークレット・ラヴ」はダウン・タウン・ブギウギ・バンドのリーダーだった宇崎竜童が作詞作曲した楽曲で、1962年に日本でヒットしたアメリカのスタンダード・ソングの「好きにならずにいられない」(エルヴィス・プレスリー)や、「愛さずにはいられない」(レイ・チャールズ)にも通じるロッカ・バラードだ。

「宇崎さんの歌をうたってみたい」と言われた川瀬はさっそく、面識があった宇崎竜童と夫人で作詞家の阿木耀子の3人で会う手はずを整えた。

僕は、この作品を作る以前から、いい作品を書くロックやニュー・ミュージックのアーティストに作品を作ってもらい。百恵に歌わせたいとずっと考えてきた。普段からそういう人を必死に探し続けていたので、もちろん大賛成だった。


当時はアイドル自身が作家についての希望を述べることも、その意見を受け入れてスタッフが楽曲づくりを依頼するというのも、まったく異例のことだった。
しかし全くの素人からデビューしてから2年半、信じられないほど歌手として上達して表現力を身につけていく山口百恵に、制作スタッフたちは意思を持つアーティストとして接するようになっていた。

山口百恵の場合はシングルの作家を決めるとき、まずアルバム用に作ってもらって合うかどうかを試すという方法がとられた。
そのうえでシングル曲を発注するのが決まりだったので、川瀬は最初にアルバム用として2曲を作ってほしいと依頼した。

まもなく出来上がってきたのが「碧色の瞳」と、運命を変える「横須賀ストーリー」だった。
川瀬はこのとき、「碧色の瞳」からはアメリカのスタンダード・ソングを想起したという。

また、1番の後に出てくるモノローグの新鮮さ、「嫉妬は碧色の瞳を持っている という言葉を知っていますか?」に、阿木耀子という女性ならではの感覚に新鮮さを感じていた。



「横須賀ストーリー」のアレンジについては宇崎から、ジャンニ・モランディの「サンライト・ツイスト」のリズムを参考にしてほしいという要望があった。

その曲は日本では1963年にヒットしたイタリアのツイスト・ナンバーで、カトリーヌ・スパーク(当時17歳)が主演した映画『太陽の下の18歳』の挿入歌として使われた。




川瀬は宇崎=阿木コンビの作品のほとんどをアレンジすることになる萩田光雄が、宇崎のイメージを受けとめながらもさらにパワーアップさせていったと述べている。

まず最初に、「横須賀ストーリー」のリズム・トラックをレコーディングした。ドラム、ベース、ギター、キーボード、パーカッションによるリズム隊が演奏した瞬間、僕はイントロのエレキギターとベースの弾く「ダウダ・ダウタ・ダウ、ダウダ・ダウタ・ダウ~ダ・ダ・ッダ・ダ」というフレーズにぶっ飛んだ。


そのレコーディングが終わった夜、川瀬は突然、昔のバンド仲間にリズム隊の音源を聴かせたくなって、家まで行って「いい曲だろう!」と
聴かせたという。
また同じ頃に聴かされた、浜田省吾の言葉も残っている。

「当時所属していたホリプロのプロデューサーの川瀬泰雄さんが、僕のメロディ・メーカーとしての才能を、すごく買ってくれていたんです。山口百恵さんには何曲か提供しました。彼女のプロデューサーでもあった川瀬さんに、「横須賀ストーリー」のリズム・セクションを聞かされて『この歌はヒットするよー。浜田、このリズム隊どう思う?』って言われて、『なかなかいいじゃないですか』って言った」

歌謡曲なのにロックンロールのエッセンスにあふれる宇崎=阿木コンビの作品は、変幻自在の編曲家ともい萩田光雄という音楽家とともに、4年後の引退まで山口百恵の快進撃を支えていくことになる。



【追記】なお出会いの端緒となった「涙のシークレット・ラヴ」 はアルバム『ブギウギ・どん底ハウス』の収録曲で、1975年12月1日にリリースされたが、その前に音楽業界内でアルバムを告知するために、プロモーション用D.J.コピーとして非売品のシングルが配られている。
どうして16歳の山口百恵がいちはやくアルバムのなかから、渋いロッカ・バラードを発見したのか疑問だったが、もしかするとスタッフや知人の誰かが、そのレコード盤を手渡したのかもしれない。





(注)文中の川瀬泰雄氏の発言と浜田省吾の言葉は、川瀬泰雄 著「プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡」(学研教育出版)からの引用です。





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