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歌手としての人生が変わっていくきっかけになった山口百恵と「涙のシークレットラヴ」の出会い

2020.06.02

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1976年の夏に大ヒットした山口百恵の「横須賀ストーリー」は、もともとは、4月に出す予定のアルバム『17才のテーマ』のために作られた楽曲だという。
しかし素晴らしい出来栄えに驚いた制作スタッフたちがアルバム収録するのではなく、6月のシングル曲にしようと決めたことによって、彼女の歌手としての人生が変わっていくことになる。



レコーディングされてから半年後の6月21日、13枚目のシングルとしてリリースされた「横須賀ストーリー」は、アイドルとしての彼女の人気を拡大したにとどまらず、山口百恵をカリスマ的なスターにまで押上げていったのである。

そもそも「横須賀ストーリー」が生まれるきっかけは、彼女が持っている音楽を受けとめるセンスによるものだった。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのアルバム『ブギウギ・どん底ハウス』の中に入っていた1曲「涙のシークレット・ラヴ」に心を動かされたのである。
そんな山口百恵が最初に口火を切ったことで、その後のプロジェクトが始まったといえる。

ホリプロダクションの音楽制作部門で一千数百曲もの作品を作ってきた音楽プロデューサーの川瀬泰雄は、「エルヴィス・ビートルズ・陽水・百恵で僕の音楽の歴史がつくられました」と述べている。
そしてトータルの4分の1近い曲数を占める山口百恵の作品について、その事実関係を詳細に記述した著作「プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡」(学研教育出版)を2011年に出版した。



そこでは編曲を担当した音楽家の萩田光雄や、CBSソニーのディレクターだった金塚晴子などからあらためて聞き取りをした上で、客観的かつ正確を期して書いた全楽曲のレビューと回想記がまとめられている。

シングル「横須賀ストーリー」の項目は、こんな一文から始まっていた。

百恵は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「涙のシークレット・ラヴ」を聞いて、鳥肌が立ったという。




「涙のシークレット・ラヴ」はダウン・タウン・ブギウギ・バンドのリーダー、宇崎竜童が作詞作曲して唄っていた。
1960年代前半に日本でヒットしたアメリカのスタンダード・ソング「好きにならずにいられない」(エルヴィス・プレスリー)や、「愛さずにはいられない」(レイ・チャールズ)にも通じる切なさに満ちたロッカ・バラードである。

シークレット・ラヴ 愛されても 溜息ばかりが
シークレット・ラヴ 哀しみを まさぐるように
シークレット・ラヴ 傷ついても 優しさばかりが
シークレット・ラヴ 口づけさえ 涙に濡れる
通いなれた 部屋の隅で
灯りもつけずに 壁にもたれて
シークレットラブ 想い出さえ 誰にも言えずに
シークレットラブ 今のあたし ぬけ殻みたい


当時はアイドル自身が作家についての希望を述べることはもちろん、スタッフがその意見を受け入れて楽曲づくりを依頼することなど、普通では起こりえないことであった。
だが中学生でデビューしてから2年半、歌手として信じられないほどの表現力を身につけていった山口百恵に対して、制作スタッフたちは意思を持つアーティストとして、対等に接するようになっていた、という。

川瀬はいい作品を書くロックやニューミュージックのアーティストに作品を作ってもらい、百恵に歌わせたいとずっと考えてきた。
だから山口百恵から提案された宇崎竜童への作品依頼にも、すぐに賛成して面識があった宇崎竜童と、夫人で作詞家の阿木耀子の3人で会う手はずを整えた。

山口百恵の場合はシングルの作家を決めるとき、まずアルバム用に作ってもらってから、本当に合うかどうかを試す方法がとられてきた。
そのうえで正式にシングル曲を発注するのが決まりだったので、川瀬は最初にアルバム用として2曲を作ってほしいと依頼した。

まもなく出来上がってきたのが「碧色の瞳」と「横須賀ストーリー」だったが、あまりの素晴らしさに驚いてシングルにしようと、スタッフのなかで意見が一致したという。

宇崎からは「横須賀ストーリー」のアレンジについて、ジャンニ・モランディの「サンライト・ツイスト」のリズムを参考にしてほしいという要望があった。
それは日本で1963年にヒットしたイタリアのツイスト・ナンバーで、カトリーヌ・スパーク(当時17歳)が主演した映画『太陽の下の18歳』の挿入歌として使われたものだ。


川瀬はアレンジに関して、後に宇崎=阿木コンビの作品のほとんどを手がけることになる編曲家の萩田光雄が、さらにパワーアップさせていったとも述べている。

まず最初に、「横須賀ストーリー」のリズム・トラックをレコーディングした。ドラム、ベース、ギター、キーボード、パーカッションによるリズム隊が演奏した瞬間、僕はイントロのエレキギターとベースの弾く「ダウダ・ダウタ・ダウ、ダウダ・ダウタ・ダウ~ダ・ダ・ッダ・ダ」というフレーズにぶっ飛んだ。


そのレコーディングが終わった夜、川瀬は突然、昔のバンド仲間にリズム隊の音源を聴かせたくなって、家まで行って「いい曲だろう!」と聴かせたと述べている。
また同じ頃にその音源を聴かされたシンガー・ソングライターの浜田省吾が、こんな言葉を残していた。

「当時所属していたホリプロのプロデューサーの川瀬泰雄さんが、僕のメロディ・メーカーとしての才能を、すごく買ってくれていたんです。山口百恵さんには何曲か提供しました。彼女のプロデューサーでもあった川瀬さんに、「横須賀ストーリー」のリズム・セクションを聞かされて『この歌はヒットするよー。浜田、このリズム隊どう思う?』って言われて、『なかなかいいじゃないですか』って言った」


ロックンロールのエッセンスにあふれる宇崎=阿木コンビの作品は、変幻自在の編曲家ともいえる萩田光雄を得たことで、4年後の引退まで山口百恵の快進撃を支えていくことになったのである。



【追記】なお出会いの端緒となった「涙のシークレット・ラヴ」は、アルバム『ブギウギ・どん底ハウス』の収録曲で、1975年12月1日にリリースされた。その前に音楽業界内でアルバムを告知するために、プロモーション用D.J.コピーとして非売品のシングルが配られている。
どうして16歳の山口百恵がアルバムのなかからいちはやく、渋いロッカ・バラードを発見したのか疑問だったが、もしかするとスタッフや知人の誰かが、そのサンプルを手渡したのかもしれない。





(注)文中の川瀬泰雄氏の発言と浜田省吾の言葉は、川瀬泰雄 著「プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡」(学研教育出版)からの引用です。なお本コラムは2017年10月6日に公開されました。


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