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「恋のバカンス」が誕生~ザ・ピーナッツにとって最初の大ヒットになったオリジナル曲

2017.11.24

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名古屋で見つけたザ・ピーナッツをスカウトし、育ての親として知られる作曲家の宮川泰は1931(昭和6)年3月18日、北海道に生まれた。

親の仕事の都合で高校からは大阪に住むようになり、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に通いながら自らのジャズ・バンドを率いて、進駐軍のキャンプや関西圏のキャバレーやクラブで演奏活動を行っていた。
そこで知り合った大阪学芸大学(現・大阪教育大学)の主任教授のすすめで音楽科に再入学するが、卒業を待たずしてプロを目ざして上京している。

はじめは「平岡精二クインテット」のピアニストとして活躍したが、渡辺プロダクションの創立者となる渡邊晋に誘われて、「渡辺晋とシックス・ジョーズ」のピアニストになった。
それからはアレンジャーとしても手腕を発揮し、渡邊晋のもとで作曲および編曲家として、大いに腕をふるうことになった。 

歌謡曲や映画音楽の分野で数々の名作を生み出した宮川はシックス・ジョーズの先輩で、師と思っていたピアニストの中村八大とともにた、日本のポップスを飛躍的に発展させた功労者である。

その代表作となった「恋のバカンス」は1963年4月に発表されてヒット曲した。
当初は東レと渡辺プロとの共同企画によるサマーウェア新商品、「バカンス・ルック」のキャンペーン・ソングとして企画されたものだった。

当時としてはかなり大型のタイアップ企画だったから、作曲のときにもかなり力が入ったという。
宮川本人が曲が生まれてきた状況を、かなり正確に記しているので紹介したい。


最初にこの曲を作るときにヒントにしたのは、その頃に流行っていたポール・アンカの「You Are My Desitiny(君は我が運命)」のリズム・パターンだ。
宮川はザ・ピーナッツのプロデューサーでもある渡邊晋に、3連のリズムを意識して作った曲を聴かせてみた。
するとワインを飲みながら聴いていた渡邊晋から、「それは違うぞ」と言われたという。

「宮ちゃん、それは違うぞ」
「違いますか?」
「だってその左手のリズムはポール・アンカの盗作だろう?」
「盗作だなんてとんでもない。これはですね、”ヒントを得た”というやつで‥‥‥」
「それを盗作というんだよ。とにかくそれじゃダメだよ」
「ダメですか?」
「宮ちゃんな、俺たちシックスジョーズはジャズバンドだ。ジャズといえばフォー・ビートだろう」


そう言って渡邊晋は自らベースを持ってきて、その場でフォービートのリズムを刻み始めたのだ。
フォー・ビートに合わせてメロディーを奏でると、確かにいいフィーリングが出てきた。
するとサビのメロディーについても、渡邊普がアイデアを口にしていた。

「アタマがマイナーならサビはガラッとメジャーに変えたほうがいいぞ。EマイナーならサビはGだな」


こうして2人で面白がってやっていたら、本当にいい曲ができたのである。

2人で「これはいけるぞ!」って喜んでいたら、本当に大ヒットしちゃったんです。だからあの曲が売れたのは、半分は、渡辺社長の手柄なんですよ。


レジャーとバカンスが身近になった時代にふさわしいタイアップ曲には、「恋のバカンス」というタイトルがつけられた。
そして岩谷時子による歌詞の中には、「裸で恋をしよう」というフレーズが登場した。
これは女性が自己の欲望を肯定にしたという意味で、革命的な歌詞だと評判になった。



「恋のバカンス」は1963年の第5回日本レコード大賞は編曲賞を受賞し、ザ・ピーナッツは「第14回NHK紅白歌合戦」でこれを歌った。

この歌が発表された翌年の1964年は東京オリンピックが開催されて、日本はふたたび世界の一流国の仲間入りを果たした。
所得倍増計画が打ち出された日本経済はオリンピック景気ともいわれ、テレビがほとんどの家庭にまで普及してカラーテレビ化も始まった。

小型のレコード・プレーヤーが家庭に普及したことで、音楽は気軽に自宅で楽しめるようにもなった。
そしてビートルズのシングル盤が次々に発売になって、主にティーン・エイジャーたちの間で受け入れられていった。
高校生や大学生の男のあいだでは、エレキ・ギターでバンドを組むのがブームになっていく。

そして1964年4月からは制限つきではあったが、海外旅行も自由化された。
そのために世界との距離が縮まって、いよいよ希望に満ちた時代が始まったのである。
 
こうして欧米のジャズやポップスの影響を受けながらも、単なる模倣には留まらないオリジナル曲になり得たからこそ、「恋のバカンス」は世界中で大ヒットした「上を向いて歩こう」に続いて、海外でも大ヒットすることになる。

<参照コラム>・日本人が知らない間にロシアで大ヒットしていたザ・ピーナッツの「恋のバカンス」

ただし、残念なことに当時は国交がなかったソビエト連邦での大ヒットであったため、そのことはしばらくの間まったく日本で知られることはなかった。


〈参考文献および引用元〉宮川 泰 (著)「若いってすばらしい―夢は両手にいっぱい宮川泰の音楽物語」 産経新聞出版


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