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中森明菜によって新たな生命を吹き込まれた加藤登紀子の「難破船」

2018.03.02

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「難破船」は加藤登紀子が1984年12月1日にリリースしたアルバム『最後のダンスパーティー』の収録曲で、発表当時はアナログ盤のA面2曲目であった。
40歳を迎えたその年、加藤登紀子は歌手としての現在と将来について、人知れず悩んでいたという。

もう若くはないが、熟してもいない。
守りに入ったら後退あるのみ。
そんな不安もあった。
だからこそなのか、この一年はいろんなことにやたら挑戦した一年だった。


前の年に出演した高倉健主演の映画『居酒屋兆治』で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞したことから、NHKの朝の連続テレビ小説『ロマンス』に”歌う謎の女”の役で出演した。
阿久悠の作詞で自身が作曲した新曲、「風来坊」をシングルで発表したのも4月だった。
さらにシアターアプルでは『ツェッペリンの見た夜』という、ミュージカル仕立ての音楽会を演出家の佐藤信と組んで開幕している。
その上に、初めての自伝「ほろよい行進曲恋愛編」を出版した。

たくさんの仕事をやりこなしているということは、波に乗っていたとも言えるのだろうけれど、実のところは、いまひとつ「うまくいってない感」にとらわれていた。
時代の先頭を行くアーティストと出逢い、自分の音楽をもっともっと切り開いて行きたい想いと、「ヒットシングル出さなきゃ」という焦りが微妙に不協和音を奏でていた。
秋には「ないものねだり」というオリジナル曲が、サントリーリザーブのCMソングになり、これでヒットが出せるかと願ったが、何かの都合でコマーシャルスポットがあっという間に終わりこれも不発。
とは言っても、この「ないものねだり」を含む新曲10曲をこの秋レコーディング、12月には『最後のダンスパーティー』というアルバムになって発売されている。




そのアルバムの中に「難破船」が入っていたのが、後の展開への伏線となっていく。

世の中の動きと波長が合ってくるのは1986年9月にされたアルバム『MY STORY/時には昔の話を』に収録された、ラトビア生まれのカヴァー曲「百万本のバラ」がリスナーからの反応がよく、1987年4月にシングル発売されてじわじわと口コミで広まっていった頃からである。
〈参照コラム〉百万本のバラ〜その原曲“マーラが与えた人生”を生んだラトビアの悲劇の歴史〜

テレビで22歳の誕生日祝いをしている中森明菜の映像を見て、ふと「難破船」が似会うと思ったのは7月のことだったという。
「難破船」は加藤登紀子が20歳の頃に体験した失恋を、40歳になってから作品に仕上げたものだ。


もし22歳の中森明菜がこの楽曲を静かに、情念のこもった儚げな声で歌ったならば、新たな命が吹き込まれるのではないか。
それはシンガーであり、ソングライターでもある加藤登紀子ならではの、独特のひらめきだったに違いない。

加藤登紀子がシャンソンコンクールに優勝して、デビューが決まったのは22歳のときだった。
そして1966年に出したセカンド・シングルの「赤い風船」では、日本レコード大賞新人賞を受賞した。
どこの誰が見ても、順風満帆のスタートだった。

しかし東京大学に在学中の才女として注目されている自分が、いったいどこへ行こうとしているのか、何がほんとうにやりたいのかが見いだせず、加藤登紀子は誰にもはっきりと心を打ちあけられないでいた。

当時は自分で楽器を弾くことも出来ず、曲を作ることも知らず、歌っても歌っても聴衆の心がつかめないでいたという。
しかもマスコミには歌以外のことで、しばしば振り回されてもいた。

そして学生運動についてしつこく聞かれて、生真面目に発言したりすると、思わぬ反発が返って非難された。

「歌手風情が、したり顔でよう言うよ」
「でもにも参加せず、そんなこと言う資格があるのか」


そんななかで恋に落ちて心が揺れ動いていたが、その相手とはめったに会うことがかなわなかった。
彼は学生運動の指導者であり、交際を公にはできなかったのである。

不安感や孤独でいっぱいだった頃のそうした記憶となにかがつながる感覚があったので、22歳の中森明菜に「難破船」を歌ってほしいと思った可能性が高い。

加藤登紀子の読みは的中し、87年の秋に発売された中森明菜の「難破船」は大ヒットして代表作のひとつになっていく。


中森明菜が加藤登紀子に背中を見守られているなかで、この曲を歌いながら生放送で涙してしまう姿が鮮烈だ。



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