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久世光彦特集~「爪」という曲が好きで最後の4行だけを小さな声で歌っていた向田邦子

2024.03.02

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大学を出てTBSに入ってからテレビドラマの演出で活躍していた久世光彦が、師匠筋にあたる森繁久彌の紹介でラジオ番組の台本を書いていた若い放送作家の向田邦子と出会ったのは、1960年になってすぐのことだった。

それ以来、ふたりは演出家と脚本家としてドラマの制作現場でともに戦ってきた、いわば同志ともいえる関係が20年も続く。

久世と向田が組んだドラマは、森繁久彌主演の『七人の孫』から始まり、大ヒットしたシリーズの『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』のほか、『せい子宙太郎‐忍宿借夫婦巷談』『源氏物語』『冬の家族』などがある。

そんなふうに長きにわたって一緒に仕事をしていた同志が、台湾旅行に出かけて飛行機事故に遭遇し、不慮の死を遂げたのは1981年のことだった。

ショックを受けた久世はその翌年、向田への思いをまとめて「触れもせで~向田邦子との二十年」という本を上梓する。


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そこには凛としているが、そそっかしいところもあり、親分肌で姉のような魅力がある独身女性として、向田の知られざる素顔が描かれていた。
そのなかで「爪」という歌について、久世はこんな思い出を述べている。

向田邦子さんがマニキュアをしていたという覚えが、私にはほとんどない。私の記憶の中の向田さんの指は、万年筆を握って原稿を書いてるときの手先である。大体、タイプライターやワ―プロを打つ女の人の指先にマニキュアは似合っても、万年筆やシャーペンだとなんだか絵にならない。けれど向田さんは、だからマニキュアをしなかったわけではない。向田さんには爪を噛む癖があって、マニキュアができなかったのだ。


向田さんはこの歌が好きだった。あまり人前で歌う人ではなかったが、この「爪」だけは小さな声で歌っているのを聞いたことがある。夜中にお酒を飲みながら、遠いところでも見ているような目で、最後の四行だけをゆっくり歌っていた。別れの歌なのに変に明るく楽しそうだった。もしかして向田さんが昔好きだったという人にも、爪を噛む悪い癖があったのではなかろうか。女子学生みたいな向田さんの横顔を眺めながら、私はふとそう思った。




この歌はペギー葉山の歌として1958年にレコードが出ていたが、1964年に再録音して発売になってから世に知られるようになった。
作詞作曲したのはジャズメンの平岡精二である。

平岡は1950年代に起こったジャズブームの頃から、自分のクインテットを率いて高い人気を誇っていた。
その頃から仲良しだったという美輪明宏が、筆者に若い頃の体験としてこんな話をしてくれたことがある。

三島(由紀夫)さんとよく三人で飲み歩いたりしていたんです。
彼が作った「あいつ」や「爪」という歌も好きで。
平岡精二クインテットはメンバー全員が天才だったんです。
5人いらして、その5人がすべてお互いの楽器が弾ける。
ドラムからピアノまで、みんなで楽器を回して演奏してるんです。
お客様は熱狂してましたよ。
あんなバンドなんてありませんでしたもの。




青山学院大学の出身だった平岡は演奏だけでなく、作曲と編曲も手がけるようになって母校である青山学院の校歌を作曲した。
そして平岡は青山学院の後輩で恋人だったペギー葉山にも、代表曲となる「学生時代」を作詞・作曲してヒットさせている。


やがてペギー葉山と別れたときに作った歌が「爪」だったという話が、どこからともなくもれ伝わっていった。

平岡は自分とのロマンスについて「同じ仕事を持つ者同士の結婚は、よほど二人が理解し合わないとだめですね。おたがいの神経がぶつかり合うようでは続かないと思うんです…」と、当時の取材に応えて語っていた。

生涯独身を通した平岡だったが、晩年はあまり仕事に恵まれず、1990(平成2)年に58歳で亡くなった。
そのことについても久世はエッセイ集「マイ・ラスト・ソング」のなかで、こんなふうに述べていたのである。

平岡精二の歌には、「爪」にも、「あいつ」にも、「学生時代」にも、まだ若いはずなのに、いつも小さな〈悔い〉があった。《早熟の哀しみ》みたいな《悔い》があった。


(注)コラムに引用した文章は久世光彦著「向田邦子との二十年」(ちくま文庫)と、久世光彦著「ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング」(文春文庫)によります。

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