「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

高倉健と都はるみが惚れ込んだという隠れた名曲「昭和放浪記」

2018.04.01

Pocket
LINEで送る

1972年に「昭和放浪記」を書いた阿久悠は、歌詞が出来上がったときにいい手応えがあったので、凡庸な演歌の作品で終わらないようにと、あえてポップス系の小林亜星に作曲を依頼した。
その後に隠れた名曲と呼ばれたことについて、阿久悠はこのように述べている。

これは演歌好きの人からは、隠れた名曲のように言われている。別に隠したつもりはなかったが、ただもう一つ売れなかっただけである。
それでも、詞ができた時も、曲がついた時も、レコーディングが終わった時も、なかなかの盛り上がりで、もしかしたら、伝説的な大ヒットとささやかれたのだが、結局は隠れた名曲どまりであった。
この「昭和放浪記」はねらいうちのように、水前寺清子のために書いた。


水前寺清子は1970年に放映されたテレビのホームドラマ『ありがとう』が高視聴率を取って、シリーズ化されたことから俳優としても人気を博していたが、歌手としてはヒット曲が途切れている状況にあった。
新進気鋭の作詞家としてヒットメーカーになっていた阿久悠に、がらりと作風が変わる危険を見越したうえで楽曲を依頼したのは、歌でも新境地をひらきたいという目論見があったからだろう。

1971年から72年にかけて阿久悠が作詞した作品のリストを見ると、ほとんどがポップス系の曲であったことがわかる。
そのなかで演歌と呼べそうなものは、わずかに内山田洋とクールファイブの「この愛に生きて」と「恋歌」、そして藤圭子の「京都から博多まで」ぐらいだ。
だから当時の阿久悠には、水前寺清子のトレードマークともいえる応援歌、いわゆる元気が出て威勢のいい歌の路線を継承するつもりはなかったという。

このとき作曲を指名された小林亜星は1年前に阿久悠とコンビを組んで、「ピンポンパン体操」という幼児向けの楽曲で思わぬメガヒットを飛ばし、その余韻がさめない頃だった。
作詞するにあたって阿久悠は、劇画か任侠映画のような人物設定にしたうえで、場所もはっきり昭和初期の女郎屋とわかるようにした。
だが1コーラスが4行の典型的な演歌の歌詞だったので、小林亜星の書いた曲は見事過ぎるくらいに演歌そのものという作品になった。

「昭和放浪記」
作詞:阿久悠 作曲:小林亜星

女の名前は 花という
日陰の花だと泣いていう
外は九月の雨しぶき
抱いたこの俺 流れ者

女は数えて二十一
幸せ一年 あと不幸
枕かかえて はやり唄
うたう横顔 あどけない


自分たちの新しい面を発見した阿久悠と小林亜星はレコーディングが終わった後も、いい作品が出来上がったと思って満足していた。
だから関係者たちもヒットを予感していたらしいが、実際にレコードが発売されると意外なことに、まったくといっていいくらいヒットしなかった。
小林亜星はヒットしなかった要因のひとつとして、編曲とサウンドについてこんな感想を述べている。

なかなかドラマチックな、映画の1シーンを見てるような歌です。ちょっと浪曲調のところがあり、小杉仁三さんという方のアレンジがモダンジャズ的なアレンジで、ちょっとその違和感がありすぎたかもしれませんが、ぼくにとっては素晴らしいアレンジで、もう一度世に問いたいと思っている曲です。


同じように「いい曲だ」思う人がわずかとはいえ存在していて、ごく一部でだが評判になったのは事実だ。
そんななかに、やはりしばらくヒット曲に恵まれていなかった都はるみがいる。
彼女が「昭和放浪記」のような作品を歌いたいとスタッフに希望を出したことから、阿久悠と小林亜星による「北の宿から」という大ヒット曲が誕生することになった。

またこの曲のおかげで映画スターの高倉健との縁ができたと、小林亜星は著書の中でこんな経緯を明かしている。

あるとき、突然俳優の高倉健さんから手紙とジョニ黒が一本届きました。今はジョニ黒なんて三千円くらいで売っていて、それほど重宝がりませんが、その当時は大変なものでした。そして手紙には曲をつくってほしいとの依頼がしたためてありました。どんな曲かというと僕も気に入ってる曲の一つなのですが、阿久悠さんの作詞の「昭和放浪記」。水前寺清子さんがうたった、ああいう歌を作ってください、ということだったのです。


小林亜星はすぐに「つくりましょう」と手紙で返事を出したが、それからずっと曲をつくることができないまま、6年の歳月が過ぎてしまった。
そして1978年に公開された高倉健主演の映画『冬の華』で、ヤクザの親分役を引き受けて出演したことから、東映の京都撮影所で初めて対面することになった。


僕は、ジョニ黒だけ飲んじゃってすいません、必ずつくりますからといって謝りました。健さんは忘れていたのか、優しいのか、そんなことあったかなと言ってごまかしてくれましたが、それからつくれないまま、またなんと10年くらいがたってしまったのです。


結局のところ、最初につくってほしいという手紙とジョニ黒が届いてからおよそ20年が経って、小林亜星は旅行先だったイタリアのベニスに滞在していたホテルで、急に歌詞と曲が一緒に浮かんできて、高倉健にふさわしい楽曲を作ることができたという。
するともう20年も経ってしまったというのに、高倉健から「あんなに義理堅い人はいない」と妙に感激されて、恐縮してしまったと語っている。

その後は1995年にNHKの連続ドラマ『刑事 蛇に横切られる』の主題歌として、その名も「約束」という曲を作ってレコードが世に出て、23年越しの約束を果たしたのである。


「約束」
作詞・作曲:小林亜星

約束は 約束は 自分の胸にすればいい
木槿の花が咲くころにあいつと帰ろう
あの故郷へ 街を後に
夜が明ける 陽が昇る
また 夜になる
修羅の月日の空耳か
誰かが歌う 子守歌

約束は 約束は 口に出さないひとりごと
ガラスを叩く 雨の音あいつと聞いてる
命 乾いて 街にまみれ
陽が沈む 目をつぶる
また 朝が来る
夜の東京 けもの道
路地の向うに 虹の橋



(注)阿久悠の文章は「なぜか売れなかったぼくの愛しい歌」(河出文庫)、小林亜星の発言は「亜星流!ちんどん商売ハンセイ記」(朝日ソノラマ)からの引用です。

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the SONG]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ