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「情熱の嵐」で西城秀樹にコール&レスポンスを定着させた作曲家・鈴木邦彦、3部作で少年から青年に成長させた作詞家・阿久悠

2018.05.25

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西城秀樹はロックンロールをベースにしたハードな曲調の作品で、日本の歌謡曲にロック的なスタイルを持ち込んだ。

子供のころから洋楽が好きで、小学生の頃から兄たちとバンドを組んでドラマーをやっていた西城秀樹は、1972年3月25日に「恋する季節」で歌手デビューした。
そして2作目の「恋の約束」と3作目の「チャンスは一度」(ともに作詞:たかたかし、作曲:鈴木邦彦)で、順調にファンが付いて人気が上昇してきた。

鈴木邦彦はスティーヴィー・ワンダーの「フィンガーチップスpart1」などをヒントに、4作目の「青春に賭けよう」では指を鳴らすフィンガー・スナップを取り入れる。
しかし人気が出たのはいいことだが、ファンの子たちが歌を聴いてくれないと、西城秀樹が相談してきたという。

秀樹はとにかく人気が出たので、出ていって歌ってもキャーキャー騒がれるだけで全然歌を聴いてくれない、と悩んでいたんです。どうにかできないですか、と言われたので、コール・アンド・レスポンス、あれを使おうと。つまり〇〇!と言ったらヒデキ!とレスポンスがくる、そういう風にメロディーに間を作ろうということになったわけ。


Aメロを「♫ 君が望むなら」と歌い出すと、そのあとに1小節の間があって、それから次の「♫ 生命をあげてもいい 」に進むという構成だ。
Bメロに入ると「♫ その瞳」以降を女性コーラスが、同じ詞とメロディーでくり返している。

君が望むなら
生命をあげてもいい
恋のためなら悪魔に心
わたしても悔やまない

その瞳 (その瞳) 僕のもの (僕のもの)
この体 (この体) 君のもの (君のもの)
太陽が (太陽が) 燃えるように (燃えるように)
二人は愛を永遠にきざもう


当時の流行であったアメリカのブラス・ロック・グループ、チェイスの「黒い炎」思わせるアレンジも印象的だった。



「情熱の嵐」は1973年の夏にオリコン・チャートで初のベストテン入りをはたし、西城秀樹は郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれて人気を博していった。
「ちぎれた愛」「愛の十字架」がチャートで1位になり、絶唱するスタイルで個性を確立していった。

1974年には「激しい恋」と「傷だらけのローラ」がヒットし、『NHK紅白歌合戦』にも選ばれて初出場した。
その一方でTBSの人気ホームドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演し、俳優活動も始めて成長を遂げていった。

そんな西城秀樹を少年から青年にしてくださいと事務所に頼まれて、その役を引き受けたのが作詞家の阿久悠であった。
その時のことを著書のなかで、このように記していた。

ぼくも若く、いい歌とか、売れる歌をという依頼ではなく、少年から青年という頼み方に動かされて承知したものである。
一人の才能ある少年を一篇の詞で劇的に青年にしてしまうことなど不可能である。可能だと思うほど自惚れも強くない。また、楽天的でもない。それでも成長のための線引きとして正しいし、そういう意欲を少年に見せつけたいのだろうと思ってぼくは胸を叩いた。
そして、一年間、ローテーションとして三曲書くことを条件とし、早速作曲の三木たかしと下田のホテル入って、「君よ抱かれて熱くなれ」「ジャガー」「若き獅子たち」の三曲、つまり、一年分のA面曲を一気に作り上げた。エロチシズムと情熱と志の三つで、青年にしようと思ったのである。なれる、なれないではなく、なるにはこれと信じたのである。


ふたりが下田東急ホテルのスイートルームで、少年をどのように成長させるかに苦しんでいた時、部屋中を埋めつくすほどの生花が届けられた。
西城秀樹からの陣中見舞いであった。

男が二人、むせかえるような花に埋もれて、若き獅子を誕生させていく。
そして1976年の2月に「君よ抱かれて熱くなれ」、6月には「ジャガー」が発売になって、東京音楽祭ではゴールデン・カナリー賞に選ばれた。



3部作の最後となる「若き獅子たち」は9月5日にシングルが出たが、それ同時に全曲が阿久悠の作詞と構成、三木たかしの作曲と編曲によるロック・オペラともいうべき、コンセプトチュアルなアルバム『若き獅子たち』も制作されている。

西城秀樹を少年から青年にするためには、そこまでやらねばならなかったのだ。

A面は「序曲~デッドヒート」から闘争の場がスタートし、「抱擁 春・夏・秋・冬」と「裸体」までが愛の場となる。
B面は「渚から」「太陽の悲劇」「ギターの墓標」と別離の場で、最後は「青春のタイトロープ」から出発の場となり、「若き獅子たち」で大団円を迎えて組曲からなる青春ロック・オペラは完結する。
レコーディングが終わったとき、三木たかしはこういったという。

「何年かたって、このLPを聴いたとき、一九七六年の秋は狂気であったと思うに違いない」


西城秀樹はこの3部作を、人生のターニング・ポイントになったと語っていた。



〈参考文献〉鈴木邦彦の発言は、馬飼野元宏(監修)「昭和歌謡職業作曲家ガイド」(シンコーミュージック・エンタテイメント)からの引用です。
阿久悠の文章は、阿久悠著「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう」(新潮社)、三木たかしの発言は阿久悠著「阿久悠 命の詩『月刊you』とその時代」(講談社)からの引用です。

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