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「情熱の嵐」で西城秀樹にコール&レスポンスを定着させた鈴木邦彦を引き継いで、少年から青年に成長させた作詞家の阿久悠

2019.08.30

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子供のころから洋楽が好きで、早くも小学生から兄たちのバンドでドラムを叩いていた西城秀樹は、1972年3月25日に「恋する季節」で歌手デビューした。
そして2作目の「恋の約束」と3作目の「チャンスは一度」(ともに作詞:たかたかし、作曲:鈴木邦彦)で、ファンが順調に付いて人気が上昇してきた。

鈴木邦彦はスティーヴィー・ワンダーの「フィンガーチップスpart1」をヒントに、4作目の「青春に賭けよう」では指を鳴らすフィンガー・スナップを取り入れた。
しかし人気が出たのはいいことだが、ファンの子たちが歌を聴いてくれないと、西城秀樹が相談してきたからだった。

秀樹はとにかく人気が出たので、出ていって歌ってもキャーキャー騒がれるだけで全然歌を聴いてくれない、と悩んでいたんです。どうにかできないですか、と言われたので、コール・アンド・レスポンス、あれを使おうと。つまり〇〇!と言ったらヒデキ!とレスポンスがくる、そういう風にメロディーに間を作ろうということになったわけ。


Aメロを「♫ 君が望むなら」と歌い出すと、そのあとに1小節の間があって、それから次の「♫ 生命をあげてもいい 」に進むという構成だ。
Bメロに入ると「♫ その瞳」以降を女性コーラスが、同じ詞とメロディーでくり返している。
当時の流行であったアメリカのブラス・ロック・グループ、チェイスの「黒い炎」思わせるアレンジも印象的だった。

「情熱の嵐」が1973年の夏にオリコン・チャートで初のベストテン入りをはたし、西城秀樹は郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれて人気を博していった。
やがて「ちぎれた愛」「愛の十字架」がチャートで1位になり、全身を使って絶唱するスタイルで個性を確立していく。

西城秀樹はロックンロールをベースにしたハードな曲調の作品で、日本の歌謡曲にロック的なスタイルを持ち込んだのだ。


1974年には「激しい恋」と「傷だらけのローラ」がヒットし、『NHK紅白歌合戦』にも選ばれた。
その一方ではTBSの人気ホームドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演し、気持ちの真っ直ぐな若者を演じて、俳優としても急成長を遂げていった。

そんな西城秀樹を「少年から青年にしてください」と事務所に頼まれて、その役を引き受けたのが作詞家の阿久悠である。
その時のことを著書のなかで、このように記していた。

ぼくも若く、いい歌とか、売れる歌をという依頼ではなく、少年から青年という頼み方に動かされて承知したものである。
一人の才能ある少年を一篇の詞で劇的に青年にしてしまうことなど不可能である。可能だと思うほど自惚れも強くない。また、楽天的でもない。
それでも成長のための線引きとして正しいし、そういう意欲を少年に見せつけたいのだろうと思ってぼくは胸を叩いた。


阿久悠はパートナーに選んだ三木たかしとともに下田東急ホテルにスイートルームをとって、少年をどのように成長させるかついて考えながら歌作りを始めた。
そんな産みの苦しみの中にいた時、部屋中を埋めつくすほどの生花が届けられた。

西城秀樹からの陣中見舞いであった。
作詞家と作曲家はむせかえるような花に埋もれて、そこから「若き獅子」を誕生させていった。

そして1年間のローテーションとして3曲を書くというを条件だったので、「君よ抱かれて熱くなれ」「ジャガー」「若き獅子たち」の3曲、つまりA面曲だけを一気につくり上げた。

エロチシズムと情熱と志の三つで、青年にしようと思ったのである。なれる、なれないではなく、なるにはこれと信じたのである。


1976年の2月にまず「君よ抱かれて熱くなれ」がリリースされて、6月には「ジャガー」が発売になった。
これは東京音楽祭にエントリーされて、ゴールデン・カナリー賞に選ばれた。



3部作の最後となる「若き獅子たち」は9月5日にシングルが発売になったが、それ同時に全曲が阿久悠の作詞と構成、三木たかしの作曲と編曲によるロック・オペラともいうべき、コンセプトチュアルなアルバム『若き獅子たち』も制作されることになった。

西城秀樹を少年から青年にするために、阿久悠はここまでやらねばならなかったという。
それだけの創作意欲を燃やさねばならないほど、真摯な姿勢と表現力は魅力的だったのだ。

A面は「序曲~デッドヒート」から闘争の場がスタートし、「抱擁 春・夏・秋・冬」と「裸体」までが”愛の場”となる。
B面は「渚から」「太陽の悲劇」「ギターの墓標」と”別離の場”で、最後は「青春のタイトロープ」から”出発の場”となり、「若き獅子たち」で大団円を迎える、

組曲からなる青春ロック・オペラは、こうして完結に至るのだが、三木たかしはレコーディングが終わったとき、このように語ったという。

「何年かたって、このLPを聴いたとき、一九七六年の秋は狂気であったと思うに違いない」


当の西城秀樹もこの3部作とアルバムを、人生のターニング・ポイントになったと語っていた。



(注)本コラムは2018年5月25日に公開されたものを改題しました。
なお鈴木邦彦の発言は、馬飼野元宏(監修)「昭和歌謡職業作曲家ガイド」(シンコーミュージック・エンタテイメント)からの引用です。
また阿久悠の文章は、阿久悠著「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう」(新潮社)、三木たかしの発言は阿久悠著「阿久悠 命の詩『月刊you』とその時代」(講談社)から引用しました。



西城秀樹『HIDEKI FOREVER blue』(写真集)
集英社インターナショナル

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