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初来日でファンが急増した日本に残されたシルヴィ・バルタンのCMソング「レナウン・ワンサカ娘」

2018.05.31

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1944年にブルガリアで生まれたシルヴィ・バルタンが、両親と兄の家族4人でフランスへに亡命したのは1952年12月だった。
彫刻家でもあった父のジョルジュ・ヴァルタンは、フランス国籍を有するブルガリア人で、首都ソフィアにあるフランス大使館に勤務していた。
祖父もフランス生まれでフランス語を話したので、父はソフィアのフランス語学校で学び、音楽教育も受けていて趣味で作曲をしたという。

そうした影響でジャズ好きになった兄のエディは、パリで音楽の道に進んでジャズ・ミュージシャンになり、RCAレコードで音楽プロデューサーの仕事を行っていく。
シルヴィ・バルタンもパリに住んだことで、兄に連れられて思春期の頃からマイルス・デイヴィスやオスカー・ピーターソンなど、一流のジャズメンがオランピア劇場で公演するライブを見て育った。

やがてビル・ヘイリーやエルヴィス・プレスリーでロックンロールに出会い、そこからアメリカ音楽に魅了されていった。
そこからR&Bではリトル・リチャードやレイ・チャールズ、白人のポップスではブレンダ・リーを好んで聴いたという。

兄が担当していた男性歌手フランキー・ジョルダンのレコーディングで、急にイギリス人女優が降板したので代わりに歌ってほしいと頼まれて、デュエット・ソング「Panne d’essence」を歌ったのは1961年の春だった。


将来は舞台俳優になることを夢見ていた17歳の文学少女は、困っていた兄を助けるかたちで歌手デビューしてしまった。
しかもその歌が予想外のヒット曲になったことで、兄のもとで音楽の道を歩んでいくことになった。

唯一無二のハスキーヴォイスに恵まれて、シルヴィ・バルタンは個性的な歌い方を身につけていったが、俳優志望だけあってライブでのパフォーマンス力にも秀でていたので、気に入ったアメリカン・ポップスをフランス語でカヴァーして次々に成功を収めていった。

1963年には3枚目のアルバム『Sylvie à Nashville(邦題:夢のアイドル)』を制作するために、アメリカのナッシュヴィルにあるRCAのスタジオに行き、エルヴィス・プレスリーのオーケストラやコーラスとともに、兄のプロデュースでレコーディングを敢行した。

そのなかの1曲が「La plus belle pour aller danser」で、フランスの若いロック・スターだったジョニー・アリディや、シャンソン界の大御所であるシャルル・アズナヴールの他、フランスの若手歌手や俳優たちが出演する映画『アイドルを探せ』で主題歌として使われて成功を収める。

アイドルを探せ シルヴィー・バルタン


これがフランスはもとより世界中でヒットしたことによって、シルヴィ・バルタンは世界的なスターになっていった。
日本でも「アイドルを探せ」という邦題でデビュー・シングルとして発売されたが、映画の公開前から予想を遥かに上回る大ヒットを記録している。

そこから人気が長く続いたのは映画が公開されて、歌う姿を見ることができたことによる相乗効果だろう。


映画で共演したジョニー・アリデイと1965年4月に結婚したが、人気にかげりが出ることはなく、5月には世界ツアーの一環で初来日して大歓迎を受けた。
3週間に及んだ日本滞在では全国各地をまわったが、そのエレガントな振る舞いと親しみやすさによって新たなファンが急増した。

その後も日本での人気が長く続いたのは、ロックの洗礼を受けたコンサートがエネルギッシュだったことと、いつどこを訪れても飾らない率直さで周囲に好印象を与えたからだった。
美しい美貌、甘いハスキーヴォイス、ブロンドの髪、洒落たファッション・センス、そして知的な雰囲気をただよわせながらも、自然体で気さくな態度からは、日本文化を知ろうとする姿勢も伝わってきた。

そんなシルヴィ・バルタンをいちはやくCMに起用したのが、新興のファッション・メーカーだったレナウンである。


来日中に制作した日本語で歌った「レナウン・ワンサカ娘」が1965年版としてテレビで流れると、もともと斬新だった楽曲に新たな魅力が加わったことで、レナウンという企業名の認知度をふくめて評判が高まった。

これはCMソングの王様といわれる小林亜星のデビュー作で、1960年につくられたときに歌ったのはロカビリー出身のかまやつひろしで、それ以来いろいろな歌手がうたい継いでいた。(注)

「アイドル」という言葉を日本語として定着させることに貢献したシルヴィ・ヴァルタンは、その後もたびたび来日して公演を行ったことで、日本びいきとしても知られていく。





(注)シルヴィ・バルタンの直前に歌っていたのは弘田三枝子、当時の日本を代表するアイドル歌手だった。

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