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美空ひばり「愛燦燦」~小椋佳のデモテープを聴いて「シングルにしたほうがいい」と思ったことで誕生した人生賛歌

2018.06.16

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――ハワイのサトウキビ畑で働く農夫とその家族たち。夕方、収穫を終えた一家が馬車で家路をたどる。母に抱かれて眠る少女。突然の激しい夕立に小屋の軒先で雨を避ける一家が、やがて真っ赤な夕日に染まる―


「愛燦燦」は味の素株式会社の企業CMのためにつくられた作品で、素人俳優たちによる「家族愛」をテーマにした映像が先に完成していた。

この曲が味の素のCMソングとして生まれたきっかけは、映像担当プロデューサーだったホリプロダクションの岩上昭彦が、映像の仕上がりが良かったので、それにふさわしい歌が欲しいと思ったことに始まる。
いい音楽がつけばさらに「家族愛」のメッセージが際立つだろう思ったときに浮かんだのは、入社4年目だった1978年にスタッフとして関わった山口百恵・三浦友和主演の映画『ふりむけば愛』で、主人公の心情を的確な歌詞で表現した小椋佳だった。

では小椋佳が曲を書いたとして、歌うのは誰がふさわしいのか? 
岩上はホリプロの所属歌手を思いうかべたが、イメージが結びつかなかった。
そして映像の中の大家族を支える気丈な母親から、急に美空ひばりを思いついたという。

突拍子もないアイデアだとは承知の上で、ホリプロにおける音楽の原盤制作部門だった東京音楽出版のプロデューサーで、小椋佳とも親交のある鈴木正勝に相談した。
鈴木がそのアイデアに頷いたことによって大胆な企画が美空ひばりの担当プロデューサー、日本コロムビアの境正邦のところに持ち込まれた。

幸運だったのはそのとき、美空ひばりがデビュー40周年にあたる1986年に向けて、全曲を小椋桂が作詞・作曲するアルバムを準備中だったことだ。
境はコロムビアに所属する石川さゆりや榊原郁恵などを通じて鈴木とは旧知の間柄だったので、まず出来上がっていた映像を見せてもらった。
「協力していただけませんか」と鈴木に切り出されたとき、境はこんな思いで対応したという。

ひばりさんを担当して十年近くになるまでCMの仕事は一度もなかったが、時代は変わり、ヒット曲づくりのプロモーション媒体として、テレビCMが大きな存在となりつつある。
「よし、この話に乗ってみよう」
ちょうど小椋佳さんの作品による『旅ひととせ』のアルバム制作中でもあり、アルバムの中から一曲ピックアップして使ってもらえたら、最高のアルバムプロモーションになるだろう。


デビュー40週年がこれでいよいよ華やかになるだかもしれない、境はそう思った。
だが新曲にトライしてほしいと頼みに来た鈴木と岩上は、映像のイメージを尊重することにこだわって、その話はいったん物別れに終わる。

しかし業界一の大物歌手にCMを歌ってもらうこと自体が、きわめて高いハードルだったことを考慮した鈴木は、その後も何度か交渉していくなかで境の提案を受け入れて、味の素にプレゼンをすることにした。

美空ひばりには境から、アルバムの中の1曲をCMに使いたいという話があるとだけ報告しておいた。
ところが数日後、プレゼンした曲が全て却下されたことがわかって、境は窮地に立たされることになった。

味の素では、このCMは商品CMではなく企業イメージに重点を置いたものであったため、そのイメージに添わないということで、プレゼンした曲は見事に却下された。もともと制作の狙いが違うので無理があったのだが、あわよくばという下心はしっかり見抜かれて大失敗に終わったのだ。


ふたたび境のもとを訪れた鈴木からは悲壮な顔で、「もう一度、あの映像に合ったオリジナル曲を、ひばりさんで作っていただけませんか」と依頼された。
境もまた天下の美空ひばりに対して、正直に「クライアントに断られました」とは言えない。
そのとき、境は決断した。

「よし!こうなったらひばりさんに内緒で、イメージに合った作品を作ってやろう」


映像を見た小椋佳からは、数日後にデモテープが届いた。
それを聴いて境は、鳥肌が立つほどの興奮を覚えた。
さっそくそのデモテープを持って、美空ひばりの自宅を訪れた。

そのとき、美空ひばりからは当然だが、「境さん、アルバムの中の一曲をCMで使うという話ではなかったの?」という反応が返ってきた。
だが境は「まずは聴いてください」と、質問に答えずにテープを流した。

広い庭を見渡せる応接間に、小椋氏の声が流れた。ひばりさんは黙って最後まで聞いている。自信はあったものの、多少反応が怖い。音が途切れ、目をあげたひばりさんは、
「いい曲ね。これってアルバムに入れるよりシングルにしたほうがいいと思うんだけど」
満足そうに、笑みがこぼれた。
「もちろんです」
私も急に声が大きくなった。
『愛燦燦』の誕生の瞬間である。


しかし翌年になってCMが放映されても、多くの人が歌っているのが美空ひばりだと気がつかなかったという。
そして48歳の誕生日に発売されたシングル盤も、オリコンでの最上位が69位という結果に終わり、必ずしも成功とは言えなかった。
それでも境には確かな手応えがあった。

やがて制作者たちがそれぞれに思いを込めて誕生させた「愛燦燦」は、美空ひばりの新境地を開いていくことになるのである。
それが21世紀にまで歌い継がれる「名曲」となったのは、心からこの歌を気に入った美空ひばりがステージで歌って、自らの表現力で命を注ぎ込むことによって、普遍的な人生賛歌へと成長させていったからだった。


奇跡的な名曲が誕生してくる陰には、歌手の力、ソングタイターの力、さらに裏方たちの力、それら表現者たちのドラマが潜んでいる。


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