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ちあきなおみの「ねえ あんた」が生まれるアイデアがひらめいた熱海での一夜

2018.10.19

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ちあきなおみのリサイタルを1ヵ月後に控えて新曲に関するプランを練っていたTBSの砂田実は、昔からの顔なじみだったクレイジーキャッツの面々と熱海に出かける機会があった。
遅い夕食が終わったところでリーダーのハナ肇から呼ばれて、「砂さん、ちょっとつきあってくれる?」と誘われた。

連れ立って外に出るとリーダーは勝手知ったるわが町のように、人通りの少なくなった夜の温泉街を堂々と歩いていく。
一緒に町の中心から熱海銀座を抜けて川に出ると、橋を渡って筋に入った少し淋しげなあたりが目的地のようだった。

戦後まもなく建てられたカフェー建築が並ぶ一帯に着くと、リーダーは私娼館らしき一軒の家に上がって交渉を始めた。
そして「砂さん、終わったら声をかけるから、まあ、焦ることはないから」と、さっさと用意された部屋へ消えてしまった。
困ったなと思ったが仕方ないので、砂田は女が待つ部屋に案内してもらったと、自著のなかに記している。

いかにも「浮世の波にもまれもまれて、ここへきたのよ」といった感じのお姐さんだった。
「あ、そうだ!」。
とっさにひらめいたことがあった。こういう時に、妙に機転が利くのもぼくの身上だ。
「こんな好機がまたとあるものか」とひざを打った。


砂田は友だちの付き合いでこの店に上がったが、実は身体の調子がいまひとつ良くないので、軽く雑談して過ごしたいのだと最初に申し出た。
そのお姐さんは素直にそれを受け入れて、「お兄さん、良心的ね」といって、問わず語りに身の上話を始めてくれた。
一流会社の重役の息子として生まれ育ち、慶応大学を出てTBSに就職したエリートだった砂田が知ってる世界とはまったく異なる、なんとも過酷な人生体験がそこにはあった。

その話が真実か創作かはどうでもよかった。
こういった時は真実と受け取って黙って聞くにかぎる。
しかし、不幸の連続のような人生を通過してきたにしては、彼女は明るく優しかった。
それに考えられないくらいお人好しだった。
そうだ、これでいこう。


砂田は話を聞きながら頭の中でちあきなおみがリサイタルで披露する新曲について、自分が今いる非合法の店で部屋を借りて、春をひさいで生きている娼婦を主人公にした話にしようと決めていた。
そしてお姐さんが熱海に流れてきたところくらいまでで、「砂さーん、そろそろいいかい?」というリーダーの特徴ある大きな声が聞こえてきた。

帰り道にリーダーが「砂さんもやるもんだね。ずいぶん長丁場だったぜ。グァハハハハ」と笑ったので、砂田は「そうなんだよ、いや、ありがたかった」と真顔で答えたという。

東京に戻った砂田はさっそく構成作家の松原史郎に、自分から苦労を呼び込んでいくかのような境遇の女性を主人公にした、独り芝居仕立てのイメージを話して聞かせた。
そして熱海の姉さんが語ったエピソードや言葉の数々も伝えて、歌詞にまとめるるようにと頼んだのである。

作曲を依頼したのはいずみたくのもとで下積みを重ねたのちに、アグネス・チャンの「ひなげしの花」や天地真理の「ひとりじゃないの」でヒットメーカーになったばかりの森田公一だった。
こうしてちあきなおみの魅力を引き立てる楽曲が、リサイタルのためにつくられていった。

とても救いがないような暗い内容の作品を、意外に明るい洋風のタッチでさらりと仕上げた宮川泰のアレンジも効果的で、文学性と演劇性、それに音楽性が本番でひとつになった。



幼稚でいて純心なところなだけが取柄の女のすぐ脇に、本当に男がいるようなリアルさを表現したちあきなおみの歌は、リサイタル後も評判になって2枚組のアルバムが発売された。
こうして「ねえ あんた」は日本の音楽史に残る名唱として、後世にまで語り継がれていったのだ。

ちあきなおみが実質的に引退した後になってから、砂田はビートたけしのテレビ番組『たけしの誰でもピカソ』で、「ねえ あんた」がオンエアされた時に見ていて、思わず落涙したと述べている。



<参考図書> 砂田実:著「気楽な稼業ときたもんだ」(エンパワメント研究所)
文中の引用は全て同書によるものです。

<参照コラム>ちあきなおみの「ねえ あんた」を作った伝説のテレビマンが名前を隠さねばならなかった理由

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