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美術の仕事か小説か、将来の進路に悩んでいた原田マハに聞こえてきたユーミンの「春よ、来い」

2018.10.26

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原田マハがたまたま知り合いになった出版社の編集者から、「共同執筆で働く女性のインタビュー集を作らないか」と持ちかけられたのは2004年のことだった。
その頃はなんとなく文章を書くことになれてきて、「ひょっとしてそろそろ小説書いてもいいかもな…」と漠然と考えていた時期であったという。

インタビューの仕事で沖縄の那覇に行って必要な取材をした後、ぶらぶらとやんばるへ行ったときに泊まった民宿のおかみさんから、「伊是名という島がいいところらしいよ」と聞いた。
その言葉に反応して行ってみることにしたのは、直感が働いたのかもしれない。
伊是名島に渡ると浜辺で遊ぶラブラドール犬と男性に出会い、「何て名前のワンちゃんですか」と聞いたところ、「カフーっていうんです」と教えられた。

「どう言う意味ですか?」
「沖縄の言葉で、『幸せ』という意味です」・・・・・・その瞬間、何かが、どーんと下りてきた。
沖縄の離島の浜辺で、幸せという名の犬に出会ってしまった・・・・・。
帰りのレンタカーの中で、すっかり小説のプロットができあがっていた。
(原田マハ自伝的プロフィールよりhttp://haradamaha.com/profile/)


2005年1月1日、元旦からその小説を書き始めた原田は、第1回日本ラブストーリー大賞に応募して受賞作品に選ばれた。
そして翌年の3月、「カフーを待ちわびて」で小説家デビューしたのである。




幼稚園の頃から読書好きだったという原田は、3歳年上の兄とその友人たちもかなり大人びた文学青年だった。
彼らがその当時住んでいた岡山市の喫茶店に入り浸って、いつも文学の話をしていたのが羨ましかったという。
そこで自分も仲間に入れてもらいたいと思ったが、中学生にとってはさすがにハードルが高かった。

連れて行ってもらったら、ジャズが流れて紫煙でもくもくとしていて、兄たちが「やっぱり安部公房はさあ」って話してる。悔しい! と思って、中2くらいから安部公房も大江健三郎もすごく読みました。でも理解できていなかったですね。後は自分でも大人の世界、ちょっとエロな世界を読んでみたいと思って三島由紀夫の『午後の曳航』とか、『シチリアの恋人』という、わりと官能的なイタリア文学を読みました。でも、なんだか大人の世界だなということだけ分かって、一体どういう場面なのか、まったく想像できませんでした(笑)。非常に背伸びした中学生でした。

(第128回:原田マハさんその2「小説を書いたらいじめがやんだ」 – 作家の読書道|WEB本の雑誌) http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi128_harada/20120822_2.html

それからはフォークバンドを結成し、自作イラストつき恋愛小説、少女マンガを書くなど、かなり進歩的な10代を過ごした。
関西学院大学文学部に入ってからは、明治以降の現代文学といわれる作品のほとんどを読破する一方で、フランス文学、ドイツ文学、アメリカ文学もむさぼるように読んだ。
卒業後は就職先がみつからなかったモラトリアム時期があり、バイトをしながらグラフィックデザインの専門学校も卒業した。

やがて東京でコピーライターをやっていた兄に声をかけられて、東京に来て広告プロダクションに就職するも、あまりの激務に音を上げて退職。
その後は現代アートに関心を持つようになり、マリムラ美術館、伊藤忠商事を経て、森ビル森美術館設立準備室に勤務した。

そして2002年にフリーのキュレーターとして独立、文化コンサルティング、ブランディングを手掛けるようになった。
小説「カフーを待ちわびて」を書き始めたのは2005年だが、そこへ向かうときに背中を押してくれたのがユーミンの歌声だったという。

10代の頃からユーミンさんの歌を聞いてきましたが、人生のハードタイムでは助けていただいたとすら思っているんです。


1962年7月生まれの原田マハが中学2年生から3年生の頃、シングル盤の「ルージュの伝言」や「あの日に帰りたい」がヒットし、荒井由実(ユーミン)がブレイクしていた。
したがって音楽シーンにエポックメイキングに登場してきた頃から、結婚を経て松任谷由実に名前が変わって、時代のトレンドリーダー的な存在になっていった様を、ほぼリアルタイムで体験してきた世代にあたる。

原田は美術の仕事を続けるべきか、小説にシフトしようかと迷ったときに、急に1 か月会社を休んで北海道の釧路へ旅に出てしまったことがあったという。

持っていったのはユーミンさんのベストアルバムでした。クルマの中でずっとそれを聞き続けて、本当に自分がやりたいことは……と考え続けていたとき、「春よ、来い」のは~る~よ~というサビの流れたんですが、それに合わせたみたいにしてタンチョウヅルが「くわあ」と啼いて飛び立ったんですよ。ああ、進め! ということなのだなと決意した……




80年代になってヒットさせていたユーミンのアルバムには、「ほんとうに欲しいものは自分で奪い取るものだ」というメッセージが、常に根底にあった。
しかしそのメッセージをどのように受けとめるのかは、リスナー一人ひとりに委ねられている。
原田のエピソードを聞いて、ユーミンはこう答えていた。

いつも言うことなんですが、発表したあとは、曲は受け手のものです。聞いてくださる方の数だけストーリーができる。「春よ、来い」も原田さんのもとで立派に育ったということなのだと思いますよ。




(注)出展を明記していない原田マハ氏と松任谷由実氏の言葉は、松任谷由実:著「ユーミンとフランスの秘密の関係」(CCCメディアハウス)からの引用です。

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