「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

西岡恭蔵が「ミスター・ボージャングルズ」からひらめいて、矢沢永吉のために作詞した「バーボン人生」

2018.12.07

Pocket
LINEで送る

矢沢永吉がソロになってから3枚目のアルバム『ドアを開けろ』(1977年)は、最後から数えて2番目に収録されていた「バーボン人生」と、それに続くラストの名曲「チャイナタウン」がセットになっているかのようで、シブい大人の男の色気を漂わせていて新鮮だった。

ニューオリンズ・ジャズの時代を思わせるラグタイム風の「バーボン人生」は、懐かしさを感じさせるサウンドもふくめて、初老のジャズシンガーを彷彿させる主人公の人生が描かれている。
そこにはロックスターになったばかりの矢沢永吉や、シンガー・ソングライターとして活躍する西岡恭蔵が、まだ経験してはいないけれども、いずれ遠くない将来に訪れるであろう日々が重なることで、哀愁がにじみ出るという仕掛けになっていた。

「バーボン人生」
作詞:西岡恭蔵
作曲:矢沢永吉

この手を返すと
俺の人生が
唄とダンス リズムに乗せて
陽気に始まる
舞台の片隅 ピアノ鳴りだせば
ステージ・ライトに浮んだ
俺の身体 唄う
懐かしい あの日
シカゴ セントルイスまで
甘い恋の浮名 流し
町から町への
俺の 人生


西岡恭蔵は作詞をするときにヒントを得たのが、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの代表曲「ミスター・ボージャングル」だったと明らかにしている。

ジェリー・ジェフはニューヨーク出身のシンガー・ソングライターで、1960年代初頭にグリニッジ・ビレッジのフォークシーンで活動した後、フォークロックのバンドを経てソロ活動に入った。
そして長い放浪の旅に出て60年代後半にはテキサスに流れ着いたが、やがて定住するようになったことから、ウィリー・ネルソンやウェロン・ジェニングスといった仲間と出会って、レッド・ネック・ロックの代表的ミュージシャンとして注目を集めていく。



ニューオリンズを放浪していた時期にジェリー・ジェフは酔っ払って、トラ箱(泥酔者保護施設)に放り込まれたことがあった。
たまたまそこにいた先客が年老いたボードビリアンだった。
そして「ボージャングル」と名乗るその老芸人の話を聞いたことから、後に「ミスター・ボージャングルズ」という普遍的なバラッドにまとめて、デビュー・アルバム『ミスター・ボージャングルズ』(1968年)に収録した。

それを1972年にニッティ・グリティ・ダート・バンドがカヴァーしたことによって、「ミスター・ボージャングルズ」はヒットし、そこからたくさんのカヴァーが生まれてスタンダード・ソングになっていった。

 オレはボージャングルという男を知っている
 擦り切れた靴を履いて、みんなにダンスを踊ってくれた
 白髪頭でよれよれのシャツ、だぶだぶズボンに古いタップ用のシューズ
 ヤツは高く跳んだ、とても高く跳んだ
 そして軽やかに着地してみせたよ

 オレがヤツに会ったのはどん底の頃だった
 場所はニューオーリンズのトラ箱さ
 ヤツは年月をかさねた目で、オレを見つめて話し出した
 ヤツはそこから自分の人生を語り始めたんだ
 時には膝を叩いて ステップを踏んでね




西岡恭蔵は「パーポン人生」の原曲が吹き込まれたデモテープを聴いて、アルバム『ドアを聞けろ』の中でも1曲だけ異質な歌だと感じたという。
そしてそれまでの矢沢永吉にはなかったニューオーリンズ・ジャズのテイストも感じたので、老いたシンガーが歩んてきた過去への想いを歌うという、懐古調の歌詞を作ってみることにした。

そこにはニューオーリンズの安酒場で「ミスター・ボージャングルズ」を歌う、老いたホンキー・トンク・シンガーのイメージが、自然に浮かび上がってきたのではないだろうか。
なぜならばジェリー・ジェフこそは1970年代にテキサス州のオースティンを拠点として、バーのあるライブハウスで歌い続けることで新しい表現の場を構築した、正真正銘のホンキートンク・シンガーであったからだ。

アメリカの「歌」について詩人の長田弘氏が綴った名著『アメリカの心の歌』(みすず書房 2012)には、ホンキートンク・シンガーの道を選んだジェリー・ジェフと、それを育んだオースティンという都市についてこんな記述がある。

新しいホンキートンクは、もう一つのアメリカのもう一つの歌の世界のゆりかごになった。ニューヨークでもない、シカゴでもない、ロスアンジェルスでもない、七〇年代になってコミュニティの場としての新しいホンキートンクというかたちをそだてて、新しいもう一つの歌の世界をそだてたのは、テキサス州のオースティンだ。


オースティンでは1987年から若者たちによる手作りの音楽祭として、ライブハウスやバーをつないで「サウス・バイ・サウスウェスト」が始まった。
それが今では世界95カ国から7万人以上がオースティンに集合する「音楽」と「映画」、そして「インタラクティブ」の複合イベントへと成長してきた。
そしてジェリー・ジェフは現役のシンガーとして歌っている。



20代のなかばにして「バーボン人生」を歌うようになった矢沢永吉もまた、それから四半世紀を超える歳月を経た今でも、「バーボン人生」を歌い続けている。
実際に50代から60代になった矢沢永吉によって「町から町へのおれの人生」と歌われる歌詞には、当たり前だが圧倒的なリアリティと重みが増している。
だが、驚くべきことに若い頃の男の色気はいささかも失われていない。

今宵は 踊ろか
バーボン人生
酔ってダンス 夜どおし躍れば
夢 はかなく
いつしか酒とタバコに老いぼれ
自慢の声も ひびわれ
おれの身体めぐる
なつかしい あの日
シカゴ セントルイスまで
甘い恋の浮名 流し

この手を かえすと
おれの 人生が
おれの 人生が
おれの 人生が





ただし、この歌詞を書いた西岡恭蔵は1999年の春、自ら死を選ぶという形でシンガーの人生に終止符を打ってしまった。



Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

    関連記事が見つかりません

[TAP the SONG]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ