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やがてバンドを去ることになるブライアン・ジョーンズの嗚咽のように聴こえる「ルビー・チューズデイ」

2019.04.19

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「ルビー・チューズデイ(Ruby Tuesday)」は1967年1月、「夜をぶっとばせ(Let’s Spend The Night Together)」とのダブルA面でシングル盤がリリースされた。
当初はB面の予定だったが、「夜をぶっとばせ」のタイトルと歌詞が性的なことをあからさまに連想させるとして、アメリカのラジオ局では放送禁止、もしくは自粛されることが懸念された。
そのためにマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムの判断で、急遽、両A面の扱いになったという。

ラジオ局は予想通り「夜をぶっとばせ」を避けたので、新曲として「ルビー・チューズデイ」がオンエアされた。
イギリスでは最高3位だったが、アメリカでは3月4日付けのヒットチャートで前作の「黒くぬれ」に続いて1位になり、ゴールド・ディスクを獲得した。
日本でも両A面だったが、ラジオでヒットしたのはやはり「ルビー・チューズデイ」だった。



ソングライターのクレジットはいつものように、ジャガー&リチャーズの連名になっていた。
しかしその後のインタビューなどから推察すると、ミック・ジャガーが「関わっていない」と明言しているので、詞も曲もキースの作品のようである。

<参照コラム>キース・リチャーズの胸が張り裂けそうな恋から生まれた「Ruby Tuesday」 http://www.tapthepop.net/extra/40814

ただし楽曲が完成にいたるまでの段階では、ブライアン・ジョーンズがいくつかアイデアを提供したといわれる。
したがってレコーディングされたテイクでも、彼の弾くリコーダーがミックのヴォーカルと相まって、効果的かつ印象的にフィーチャーされている。



当時のブライアンは「黒くぬれ」でシタール、「レディ・ジェーン」ではダルシマー、そしてこの「ルビー・チューズデイ」でもリコーダー(フルート説もあり)と、R&Bやポップスでは使われたことがない楽器を持ち込んで、それをヘッド・アレンジで演奏して新しいサウンドづくりに貢献していた。
キース・リチャーズが1971年のインタビューで、ブライアンの音楽的な才能についてこう語っている。

―― ルビーチューズデーはブライアンがフルートを吹いていました。
「そうそう、すごいだろ? ブライアンにはできない楽器はなかった。
 “ここに楽器がある。ちょっとばかしいじってやると、そこから音楽が流れてくる”って具合さ。
「アンダー・マイ・サム(Under My Thumb)」でマリンバを演奏してるのもブライアンだし、『サタニック・マジェスティーズ(Satanic Majesties)』ではいろんなところでメロトロンもやっている。「2000光年のかなたに(2000 Light Years From Home)」ではギター、「この世界に愛を(We Love You)」のアラビア風のリフではメロトロンと金管楽器だ」


レコーディング時にベースではなくチェロを弾くように求められたビル・ワイマンは、メンバーを脱退した後にこんなエピソードを語っている。

「弓つきのダブル・ベースだった。でも、僕は手が小さくて、通常のダブル・ベースは弾けないんだ。“Factory Girl”なんかではちょっとやった。単純な指使いのものならダブル・ベースを演奏してた。
それで、キースが “お前は弦を押さえろ、俺が弓をやる” って言い出したんだ。そうして、僕は正しい音を出すことに専念できた」


1960年代にはビートルズを筆頭に新しい表現を求めて、さまざまな実験的コラボレーションが行われた。
そしてストーンズはブライアンがいたおかげで、時代の最先端を行く表現にまで到達したことが何度かあった。
その最高峰といえるのが、「ルビー・チューズデイ」だったのではないか。



しかしこの年からブライアンは精神的に不安定になって、創作に関わる機会が次第に減って孤立していった。
そんなブライアンがストーンズを去ることになった根本的な原因について、実に的を射たことを述べていたのがアニタ・パレンバーグである。
最初はブライアンの恋人としてストーンズの前に登場し、途中からはキースと暮らすようになった女優の洞察力は鋭い。

ミック、キース、ブライアン、彼らはそれぞれが独立したミュージシャンだ。
しかし、彼ら三人が一緒に何かやろうとしてもできなかった。
いちどに三人は必要なかったのだ。
二人いれば充分だった。
最初に一緒に頻繁に行動を共にしたのが、ブライアンとキースだった。
それからミックとキースが仲良くなった。
だからミックを中心とすれば、基本的にブライアンが追い出されることになった。


ブライアンは「ルビー・チューズデイ」がヒットした後から、少しずつだがバンドのお荷物的な存在になっていった。
そして1969年にコンサート・ツアーを再開しようと準備を始めたストーンズと、ふたたび行動するだけの気力も体力もなかったという。

ブライアンはその日がいつかやってくることを予感していて、ミックのヴォーカルに合わせてリコーダーで鳴いていたのかもしれない。

さよなら ルビー・チューズデー
誰も君を自分の彼女とは呼べないさ
あしたになれば君は変わっているだろう
でもやっぱりいないと寂しい

「無駄にできる時間はない」って言ってた
夢を掴みなさい それが逃げていく前にと
夢を失えば やがて心まで失ってしまう
人生とはなんと無慈悲なんだろう






<参考文献> ショーン・イーガー編「キース・リチャーズかく語りき」(音楽専科社)。なお本文中のキースの発言も、同書からの引用です。
またアニタ・パレンバーグの言葉は、「The Complete Script of The RollingStones just for the record DVD6巻+翻訳本」によるものです。

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