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デビュー・シングルで「宝くじは買わない」と唄ったのに、買っている姿を加奈崎芳太郎に見られた忌野清志郎

2019.05.03

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RCサクセションは1972年に「ぼくの好きな先生」が少しヒットしただけで、それ以降はまったく売れない時期が数年間も続いて不遇だった。

しかし1977年に生涯のパートナーになる女性と出会ったことで、忌野清志郎はこのまま売れない状態が続けば、未来に展望が開けないだろうと判断する。
そしてバンドが成功する可能性について、真剣に模索し始めていったのである。

それまで自己満足というか、より音楽的に――なんて思ってた自分の頭を切り替えることにした。
この時まで、いっこうに売れよーなんて思ってなかったからね。ジャズなんかもかじってたし、自分に対する挑戦みたいに音楽をやってた。
そういう姿勢をいっさい切り替えることにしたの。本気で売れたいって考えはじめたよ。
よし、シンプルなものやろうって。ストーンズ聴いたのもその頃。ただのロックン・ロール ――それをやろうと思った。
(連野城太郎 著「GOTTA!忌野清志郎」角川文庫)


ロックンロールという新たな方向性を打ち出した忌野清志郎は、わかりやすくてシンプルな音楽をやっていくという結論に到達した。
その時期にはギタリストの春日博文が加入したことで、そこから一気にバンド・メンバーが揃ってきた。
そうした流れに乗った新生RCサクセションは、翌年にかけて大きく前進していくことになる。

ひとたび方向性と目標が定まってくると、忌野清志郎は「ラプソディー」、「雨上がりの夜空に」、「モーニング・コールをよろしく」という具合に、新しい曲をどんどん書き始めていく。
そこには「雨上がりの夜空に」を共作した古くからの友人、古井戸の仲井戸麗市の協力も欠かせなかった。

それと時を同じくして、昔からのバンド仲間だった古井戸にも変化が訪れつつあった。
加奈崎芳太郎と仲井戸麗市という、ふたりのシンガー・ソングライターによるフォーク・デュオとして活動していた古井戸だが、キャリアを重ねるにしたがって次第に人気が衰退してきたのだ。

そのためにアーティストもスタッフもそれぞれに悩みながら、先行きの活動について新たな展開を模索していた。
そしてレコード会社をCBSソニーからワーナー・パイオニアに移籍したのを期に、加奈崎のソロ・アルバムを発売する企画が具体化してくる。

加奈崎はそのとき、才能をくすぶらせていた忌野清志郎に声をかけて、一緒に曲づくりを手伝ってほしいと頼んできたのである。
中野にあった自宅に忌野清志郎が通ってきて、一緒に曲づくりを始めたときに目にした一景を、加奈崎がこんな文章に残している。

ある時、君を迎えに地下鉄の駅まで行ったら、君は「ちょっと待ってくれる」というので見ていたら、出口横にあった宝くじ売り場で1枚の宝くじを買っていた。
「おい・おいキョーシロー!! 宝くじは買わないって唄ったんじゃないの?」
そしたら少しバツの悪そうな顔をして「だけど!」「だけどじゃねーよ、だいいちたった1枚買っただけで当たるわけねーべや」「でも誰かには当たるんだろう?」「そりゃそうだけど、どうせ当たるんだったら音楽で当てようぜ!」などと兄貴分面したぼくは言った。
(キヨシローのこと「文芸別冊 総特集 忌野清志郎」河出書房新社)


RCサクセションのデビュー曲となった「宝くじは買わない」は、10代半ばの少年が初めて愛に目覚めたときの気持ちを歌った作品だ。
「僕は 恋をしているから 何もいらない」 という純粋な思いをそのまま歌詞にしているが、そこには「お金で買えない」ものの大切さという普遍性も織り込まれていた。


 宝くじは買わない だって僕は
 お金なんかいらないんだ
 宝くじは買わない だって僕には
 愛してくれる人が いるからさ
 どんなにお金があったって
 今より幸せになれるはずがない
 宝くじは買わない だって僕は
 お金で買えないものをもらったんだ

 

忌野清志郎が音楽をつくっていくうえで終生変わらなかったのは、自分の心に嘘のない歌を作って、それを正直に人前で唄うことだった。
それが彼の歌の本質であり、デビュー曲の歌詞にもそうした思いが、はっきり刻み込まれていた。

加奈崎は自分自身が古井戸の将来やスタッフとの関係、仲井戸麗市とのコンビについて悩んでいたために、古くからの友人だった忌野清志郎の揺れていた胸の内を、すぐに理解できたのだろう。
こんな的確な言葉で、その文章を締めくくっていた。

70年代、君は有り余る才能と能力を持ちながらも世間の評価の低さにガッカリし、絶望しかけながらアコースティック・トリオを崩しエレクトリックRCを構築していた時期だったんだよね、そしてそれがどう一般に伝えられるかを模索していたんだろうなと今は思える。

80年代に入ってからの君たちの快進撃は愉快だったし、当然のことだと思っていた。そしてそれを支え確固たるものにしていたのは70年代後半の君の勇気と努力だと思う。
(同上)


本気で売れたいと考えた忌野清志郎はそこで謙虚になり、自分にまだ備わっていないものを参考にしてでも、世間とマッチングできるポイントを見出したいと考えた。
そして「雨上がりの夜空」という楽曲をつくりあげたことで、新しい地平を切り開いたのだった。

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