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「東京五輪音頭」のヒットをめぐる勝者と敗者 ② 決定的だったのは歌に向かうモチベーション

2019.06.07

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作曲者である古賀政男の意向を汲んで主要レコード6社の競作となった「東京五輪音頭」だったが、下馬評では民謡出身の人気歌手だった三橋美智也が本命であった。
老若男女に人気があった22歳のポップスシンガーの坂本九と一騎打ちになるか、そこに浪曲師出身の三波春夫がどこまでくい込めるのか、などと予想されていた。

オリンピックが開催される前年の1963年の6月23日「オリンピックデー(IOCの創設記念日)」には、東京文化会館で発表会が行われてレコード各社から一斉にシングル盤が発売された。

しかし実際にレコードが発売されると意外や意外、三波春夫の一人勝ちという状態になったのである。
発表会に出演して唄ったことから本命視されていた三橋美智也が、どういうわけかたいしたプロモーションも行わないまま、差をつけられる一方になっていった。
ここで勝者と敗者の運命を決めたのは、いったい何だったのか?

このときには坂本九の身にもまったく予想だにしなかったことが起こっていた。
なにしろアメリカで「SUKIYAKI(上を向いて歩こう」が大ヒットして、オリンピックデーの前日には2週目の全米1位を記録し、日本人としては前代未聞の快挙をなしとげていたのである。

そのために日本でもふたたび「上を向いて歩こうがリバイバル・ヒットして、「東京五輪音頭」のプロモーションはほとんどおこなわれなくなってしまった。
したがって先行していた三波春夫には、ライバルがいなくなるという幸運が転がり込んできたのである。



三波春夫は自伝的エッセイ「歌藝の天地―歌謡曲の源流を辿る」(PHP文庫)のなかで、東京オリンピックと「東京五輪音頭」という歌への思いをこう綴っている。

「東京オリンピックは日本の歴史に残る国際的な催しであった。戦争中に開催する予定だったオリンピック(※注 1940年の東京大会)は、ヒットラー率いるドイツの『民族の祭典』という大きな記憶を残したまま消えてしまった。敗戦の日本にオリンピックを開くことなど夢にも思わなかった人が多かったのではないか」


三波春夫は16歳で浪曲界に入って南條文若の名前で活躍し始めたところで、徴兵されて満州に送られて敗戦を迎えている。
そして侵攻してきたソ連軍の捕虜となり、ハバロフスク収容所に送られて4年間を過ごした。
朝からの強制労働が終わった後には浪曲を聞かせたほか、歌を唄ったり芝居を創作して仲間の捕虜たちを慰めていた。

自分の浪曲だけではレパートリーが足りなくなったことから、三波春夫は歌や踊りを創作していったが、ゴーリキーの「ダンコの物語」をミュージカル仕立てにして好評を博したこともあったという。
ハバロフスクの収容所で一緒だった戦友の一人が、朝日新聞の取材に答えてこう話していた。

三波さんは夜な夜な、ロウソクの明かりを頼りに浪曲を語りました。私も、ポケットに忍ばせたハーモニカで「荒城の月」などを吹き、戦友を励ましました。寒さ、飢え、疲労、そして日本への郷愁で、みんな、すすり泣きました。

(朝日新聞「抑留の地でハラショー」2010年5月6日)


帰国後に浪曲界に復帰した三波春夫がまもなく歌謡曲への転向を決意したのは、シベリアの収容所で歌の力がどれほどのものかを、身にしみて知ったことが影響していた。

シベリアの四年間を経て帰国した後、また浪曲の舞台に戻った私だが、この波瀾の時期というものが、現在の私を支えていることは明らかである。視野が拡がり、政治学の根本を掴むことが出来たのは、実に大きな収穫だったと思っている。
「藝能人とは、藝をもって大衆に喜びを贈り、奉仕しなければならない」という信念は、この時期に、私の心の中にしっかりと培われたものだ。


そして1957年に歌手に転向すると、2枚目のシングル「チャンチキおけさ / 船方さんよ」がヒットして、テイチクを代表する看板歌手になっていった。


1963年春「東京五輪音頭」の楽譜を受け取った三波春夫は、歌詞も曲調もオリンピックにふさわしいと思って、気を引き締めてレコーディングに臨んだ。
三波春夫にはそのとき、心のなかで期するものがあった。

「本当の意味で世界平和のお祭りの音頭をとるんだ」という強い思いに支えられて、自分から積極的にモチベーションを高めていったのだ。
そして極寒のシベリアの地で事故や病気、栄養失調などで命を落とした兵士の霊を背負い、生き残った人間の使命として平和の祭典にふさわしい希望の歌をを吹き込んだ。

自らの戦争体験から生じた平和への切実な願いを込めて、テレビやラジオでも歌を広めることに徹したが、その後も悔いのないように力いっぱいに唄うことができたという。


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