「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

生誕八十八年~中村八大特集

Pocket
LINEで送る

日本語のままアメリカで大ヒットした「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」は、今では世界中で知られているスタンダード・ソングであり、音楽家・中村八大の最高傑作に挙げられる。

中村八大が中国の青島に生まれた1931年、満州事変を起こした日本は6年後に起きた支那事変を契機にして、中国との全面戦争に突入した。
そして世界から孤立して米英諸国をも敵に回すことになり、無謀にも第二次世界大戦へと突き進んでいって敗戦を迎える。

だが、そんな時期であったにもかかわらず、クラシック音楽を学んでいた小学生の八大少年は、ドイツ租界から発展した国際都市だった中国のの青島で、意外なことに落ち着いていてお伽噺のような少年時代を過ごしたという。
洋館を改造した家にはいつでも弾けるドイツ製のピアノがあり、たくさんの楽譜とレコード、そして手動式の蓄音機が揃っていた。

「長姉が三浦環門下で声楽を習っていたので、家でピアノも弾いていた。長兄はクラリネットを吹き、次兄はドラムを叩いていた。すぐ上の和子姉さんも、声楽を習うようになったので、我が家は文字通りの音楽一家になった」

いわゆる大陸育ちだった影響なのか、中村八大には大人になってからも日本人的な心情、じめじめとしたシガラミみたいなものを、どこか理解できないところがあったという。
そのせいなのかもしれないが、一生懸命にウエットになったつもりで作曲したのに、自然にカラッとした明るい感じの曲が出来上がってきたと述べている。

そういう意味において中村八大という音楽家は、最初から世界を目指した国際人であり、ジャズ。ピアニストとして活躍していた頃から、人種への偏見や差別などには一切とらわれず、音楽のジャンルあるいはヒエラルキーとも無関係な自由人だった。

戦後のジャズブームのスターだった中村八大は、流行歌や歌謡曲といったものに対しては関心が薄かった。
しかし作曲家になってからは、”新しい日本の歌と音楽”を目標にして、海外のリズム・アンド・ブルースやロックンロール、ドゥーワップ、あるいはビギンやサンバなどを積極的に取り入れて、きわめて斬新な作品を生み出していった。

そして1959年に映画のために手がけた「黒い花びら」が、第1回日本レコード大賞に選ばれて大ヒットしたことから、1960年代の音楽シーンを牽引していくことになる。



戦前・戦中の流行歌とは明らかに異なる”日本の新しい歌と音楽”を作ったことによって、中村八大は作詞のパートナーだった永六輔とともに、日常会話の口語体を使ったリズムカルなポップスをヒットさせていった。

中村八大が残した楽曲はいずれも発表当時にあっては革新的なもので、その時代において”ニューミュージック”と呼ぶに値する音楽であった。

それらの楽曲の多くは半世紀が経過した現在もなお、スタンダード・ソングとなって広く歌い継がれている。


Pocket
LINEで送る

生誕八十八年~中村八大特集

TAP the SONG

中村八大と永六輔が初コンビを組んだ水原弘の「黒い花びら」がお蔵入りした事情

東京都練馬区にある少年鑑別所で代々歌い継がれてきた作者不詳の俗謡「ネリカンブルース」が、ロカビリーブームの渦中で作られた東宝映画『檻の中の野郎たち』の主題歌に決…

TAP the SONG

まだ無名だった阿久悠が「黒い花びら」から受けた衝撃と親近感

日本の音楽史に残るエポックメイキングな歌の「黒い花びら」は、1959年7月に公開されたロカビリー映画『青春を賭けろ』の挿入曲で、新人の水原弘が歌って第1回日本レ…

TAP the SONG

ちあきなおみのヴォーカルで新たな生命が吹き込まれた「黄昏のビギン」

「黄昏のビギン」の作詞者としてクレジットされている永六輔が、「実はあの歌、八大さんがつくったんです、作詞も、作曲も」と意外な発言を口にしたのは2012年のことだ…

Extra便

今も輝いている奇跡のスタンダード・ソング~歌い継がれて60年を迎えた「黄昏のビギン」は

TAP the POPの書き手の一人である佐藤剛が執筆した著書『「黄昏のビギン」の物語』(小学館新書)を下敷きとして、ライブとゲストのトークで、ひとつの歌が成長…

TAP the SONG

黒柳徹子が独特な持ち味を発揮し始めた伝説の番組『夢であいましょう』

耳で歌を聴くだけではなく、目でも音楽を楽しむ。 そんな生活が身近になったのは、1960年代前半にテレビが一般家庭にまで普及したおかげだった。 衣食住の心配が少な…

TAP the DAY

世界で一番有名な「ジャパニーズ・ソング」はこうして生まれた! 前編

第1章 中村八大30歳、永六輔28歳、坂本九19歳 1961年7月21日の午後、東京・大手町の産経ホールでは人気ジャズ・ピアニストにして第1回日本レコード大賞受…

TAP the DAY

世界で一番有名な「ジャパニーズ・ソング」はこうして生まれた! 後編

第3章 作詞家の内なる「挫折」 「六・八コンビ」のソングライティングには、特別の取り決めがあった。 永六輔がこう語っている。 普段僕らが使っている言葉だけで歌詞…

TAP the SONG

中村八大の「明日があるさ」と宮川泰の「若いってすばらしい」は兄と妹のような関係

明るい明日がやって来ることを疑わずにいることができた1963年の師走から翌年にかけて、おおらかな青春賛歌の「明日があるさ」がヒットした。 昭和の時代が1960年…

TAP the LIVE

ボサノヴァの名演『ゲッツ/ジルベルト』のライブが行われたカーネギーホールの客席にいた中村八大

作曲家の中村八大が家族とともにニューヨークへと移住したのは、1964年の8月が終わろうという頃だった。 坂本九が歌った「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」…

TAP the SONG

冬のカナダを旅した中村八大がニューヨークに戻って作った「帰ろかな」(北島三郎)

1964年8月から家族を連れてニューヨークに移住した音楽家、中村八大は摩天楼がそびえ立つミッド・マンハッタンの高級アパートメントに借りた12階の部屋で、家族が寝…

TAP the SONG

結成から62年で引退したデューク・エイセスの「おさななじみ」は最初から歌詞が10番まであった

デューク・エイセスは1955年に結成されたジャズのヴォーカル・グループで、日本の音楽史において最長となる活動記録を更新してきた。 そんな彼らが62年にわたって続…

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ