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「ミックはロック、俺はロールさ」~レコードの発明から生まれたローリング・ストーンズのソングライター

2017.09.30

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ローリング・ストーンズのキース・リチャーズはバンドの相方であり、ソング・ライティングのパートナーでもあるミック・ジャガーについてこう語っている。

「ミックは生涯の友達だよ。
俺のパートナーさ、結婚を超えた間柄だ。
4歳のとき、公園の砂場で出会ったんだ。
小さなバケツを持ってたっけ‥‥、今も変わらない(笑)。
ふたりの関係はとても複雑で、俺自身もどんなものか理解できてない。
でも、ミックと俺がギターを持って部屋に入れば、そこにはストーンズがあるし、音楽があるんだ」


二人が知り合ったのはまだ幼いころで、9歳の時から4年間は同じ小学校にかよっていた。
それは、たまたま家が近かったからだ。
その頃はまだ、友達というわけではなかったらしい。

そして1960年のある秋の日、ダートフォード駅のプラットホームで二人は偶然に再会する。
彼らを結びつけたのはレコードだった。

アメリカのシカゴにあるチェス・レコードが出していたチャック・ベリーやマディ・ウォーターズのアルバムを、ミックは輸入盤で取り寄せて愛聴していた。
幼なじみが脇に抱えていたLPが、キースには宝ものに見えたのだった。



キースは幼いころから母親が聴くラジオから流れるジャズやポップス、クラシックに親しんでいたが、次第にカントリーやフォークに惹かれてギター少年になった。
そしてエルヴィス・プレスリーの「監獄ロック」に出会ってロックンロールの洗礼を受けると、自分でもレコードを買い集めるようになり、その後の人生が決まっていった。

ミックやキースが独学で音楽の道を進むことができたのは、間違いなくレコードが発明されたおかげだった。

「今知ってることは全部、レコードから学んだんだ。
五線譜と小節に囚われた監獄のなかじゃない、聴いてすぐにプレイしなおせる。
レコードで音楽を聴けるおかげで、音楽の読み書きを習う余裕がなかった俺みたいな大勢のミュージシャンが解放されたんだ。
レコードによって人々は解放され、人の作った音楽が聴けるようになった」


エルヴィス ジェイルハウス

ミックと意気投合して一緒に音楽活動を開始した二人は1962年、ブライアン・ジョーンズやイアン・スチュアートと出会ったことで、ローリング・ストーンズを結成する。
そこからはいっそうブルースとR&Bにはまり込んで、一日中レコードを聴いてそれをコピーした。

「耳で聴いて、そこからじかに演奏する。このハートから、まっすぐ指へとね。誰も楽譜をめくる必要がない」


1963年にデッカと契約したローリング・ストーンズは、チャック・ベリーの「カム・オン」をカヴァーしてレコード・デビューを果たした。
そして翌年の「イッツ・オール・オーバー・ナウ」が初めて全英1位のヒット曲になり、ビートルズの対抗馬として扱われて人気が急上昇していく。

11月に5枚目のシングル盤を出すことになったとき、彼らが選んだのは大胆なスライド・ギターをフィーチャーしたブルースのカヴァー曲、「リトル・レッド・ルースター」である。

だがマネージャーもレコード会社も、地味で単調なブルースの作品を出すことに対して反対した。
それを押し切って強引に発売したのは、一般受けなどはどうでもいいと彼らが開き直っていたからだった。

彼らは純粋にブルースの持つ力を信じていた。
そしてポップスの王道であるラブ・ソングとは正反対、何の役にも立たない”クソッタレの雄鶏”を歌ったブルースが、全英チャートで1位になった。




こうしてストーンズはデビューから2年で成功を手に入れると、そこからミックとキースのソングライティングによって、独特のオリジナル曲を生み出し始めていった。

それから50年以上もの歳月を経て、二人はストーンズのオリジナル曲のほぼすべてを作り出していくことになる。

しかし曲づくりを始めた二人は当初、「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」のようなバラードを書いて、マリアンヌ・フェイスフルなどのアーティストに提供するにとどめた。
それはローリング・ストーンズでやっている音楽とは、何の関係もないものだと思っていたからだという。

バンドのために曲を書くのは自分たちの仕事だと自覚した二人が、ほかのメンバーたちに自信を持って聴かせられる楽曲を書き上げるまでには、それから数ヵ月以上の時間がかかった。

「ザ・ラスト・タイム」が出来上がったのは「リトル・レッド・ルースター」がヒットしていたときで、二人は顔を見合わせて頷くことが出来た。

あそこで頭の中にカチッと音がした。
ミックと俺はブライアンとチャーリー、とりわけ物事の決定に中心的な役割を果たしていたイアン・スチュアートの前で披露できるだけの自信が持てた。
あの曲である意味、俺たちというバンドが明確になったんだ。


キースはこのときに自分の書いた曲で、自分を表現できることに気がついて雷に打たれたような衝撃を受けたとも述べている。
そこにはストーンズの音楽を特徴づけるスタイル、ギターのリフの繰り返しがあり、歌詞にもまたストーンズらしいひねりがあったからだ。


こうして二人はバンドを続けていく上でも、ソングライターとして作品を書いていく上でも、切っても切れない相棒になった。
そのことをキースは簡潔にこう語っている。

“Mick is Rock and I’m a Roll.”
「ミックはロック、俺はロールさ」




(注)本コラムは2016年2月6日に公開されたものの改訂版です。

<参考文献>
キース・リチャーズ (著) 棚橋志行 (翻訳)「ライフ」(発行 楓書店)
ショーン・イーガー編「キース・リチャーズかく語りき」音楽専科社

<参照・TAP the NEWS 二十歳の歌〜転がり始めた“二つの石”〜>

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