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ニール・ヤングとクレイジー・ホース〜特別な場所への乗り物

2014.07.19

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ニール・ヤングは詩神の導くままに音楽活動を続け、次の行動が読めない男として有名だが、クレイジー・ホースと組んで動き出すときは、何か特別なことが起こる。ファンの多くがそう信じている。
「このバンドは他の連中とは行けないすごいところへの乗り物なんだ。彼らとだけ行ける場所がある」とニールも認める。ただし、クレイジー・ホースは一般的な意味で優れたバンドというわけではない。それどころか、下手糞とこきおろされるバンドである。それでもニールは彼らと演奏すると、他の誰とやるときとも異なる自由が得られると言うのだ。

クレイジー・ホースの3人はザ・ロケッツのメンバーだった。ニールはバッファロー・スプリングフィールド時代に彼らと知り合っている。1968年3月にロケッツは唯一となるアルバムを発表。それを気に入ったニールは、同年8月にウィスキー・ア・ゴーゴー出演中のロケッツに飛び入りしてギターを弾いた。その共演で何かを感じたのだろう、彼は2作目のアルバムの録音にダニー・ウィットン、ビリー・タルボット、ラルフ・モリーナを呼ぶ。

彼のソロ・デビュー作『Neil Young』は、ライ・クーダー他のセッション・プレイヤーを起用し、編曲にジャック・ニッチェの協力も得て、音を重ねて作り上げたアルバムだった。彼はその制作方法とは正反対のスタジオ・ライヴ的なアルバムを作ろうと考え、そのやり方にふさわしいバンドを求めていたのだ。
ニールはトレードマークとなる53年のギブソン・レスポール、通称「オールド・ブラック」を手に入れたばかりで、ウィットンのギターのバックアップを受けて、どちらも10分前後ある長い2曲「Down By The River」と「Cowgirl In The Sand」などで思う存分にソロを弾きまくった。この1969年のアルバム『Everybody Knows This Is Nowhere』はニールの音楽の原型となり、クレイジー・ホースを生み落とした。

1971年にウィットンが麻薬過剰摂取で死亡するが、1975年の『ZUMA』でギタリストに フランク・「パンチョ」・サンペドロを加えた新生クレイジー・ホースとニールのコンビが復活。パンクに刺激を受けた1979年の『Rust Never Sleeps』や、1990年の『Rugged Glory』など、クレイジー・ホースの愚直なガレージ・ロックのエネルギーに煽られ、ニールの無骨で激しい独特のギター演奏がたっぷり聞ける名作を残してきた。

2012年に9年ぶりにコンビが復活。『Americana』と『Psychedelic Pill』の2枚のアルバムを発表し、ツアーを行っていたが、2013年8月にパンチョの手の怪我で残りの日程をキャンセルした。
その数か月前にパンチョはメンバーの年齢を考えると、今回が最後のツアーとなる気がすると発言した。ニールとクレイジー・ホースの雄姿を舞台上でもう一度見ることはできるだろうか。

[追記]
この文章は13年に書かれたもので、今年14年の夏に前年のキャンセルの埋め合わせに、ニールとクレイジー・ホースは今一度欧州ツアーを行うことになった。ところが、その開始前にベースのビリー・タルボットが軽度の脳卒中で療養を余儀なくされる。引退の可能性について触れたとき、メンバーの高齢を理由にあげたパンチョの懸念が的中したわけだ。今回のツアーは、ニールと長年演奏しているリック・ロサスを代役に立てて行われているが、今年限りで本当にもうクレイジー・ホースを見られないかもしれない。


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ニール・ヤング&クレイジー・ホース
『Everybody Knows This Is Nowhere』

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