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TAP the STORY

マイケル・スタイプ(R.E.M.)〜カレッジ・バンドからの脱皮〜マイケル・スタイプ(R.E.M.)

2014.08.02

1987年、R.E.M.のアルバム『Document』は初の全米トップ10入りを果たし、「The One I Love」も全米第9位のヒットとなる。

R.E.M.は1981年のデビュー以来、カレッジ・ラジオを結ぶネットワークの成長に助けられて「カレッジ・ロック」とも呼ばれた新世代バンドの代表的存在として、大学生を中心に熱烈な信奉者を増やしてきた。
1980年代半ばまでにはアメリカで最大のカルト人気を誇るバンドになっていたが、このアルバムの成功で遂に一般的な人気も勝ち取ったのだ。フロントマンの歌手マイケル・スタイプは当時27歳だった。

その成功の大きな要因は、前年のアルバム『Lifes Rich Pageant』の制作を通して、スタイプが大きく成長し、歌手として、ソングライターとして自信を深めたことにあった。
初期の作品でのスタイプの歌唱は、アメリカ人ですら歌詞をよく聴きとれないほどもぐもぐと歌うもので、その不明瞭さがわかりにくい歌詞に謎めいた魅力を加えていた。しかし、『Lifes Rich Pageant』には誰もが驚いた。「歌詞が聴き取れる!」と。

彼らはジョン・メレンキャンプのヒット作を手掛けたドン・ゲーマンをプロデューサーに迎えたが、その変化は単にミックスで歌声が前面に出されただけではなかった。スタイプ自身もそれまでの自分から脱皮を図ったのである。

「ドンは僕のやっていたことに疑問を投げかけた最初の人だ。それはとても良いことのはずさ。客観的に『なぜこういうのを選んだんだい? どうして君は自分が何者かを歌うんだい?』と言ってくれるのはね。彼が僕にそれについての考えや変化の種をまいてくれた」


それまでの殻を破った27歳のスタイプは彼自身の活動にも積極的に取り組み始める1987年に彼は「C00 Films」を共同設立。それ以前にもR.E.M.のミュージック・ビデオを自ら監督するなど、映像に興味を示してきたが、その会社でインディーの映像作家の支援を始めた。

これまでに彼は20本以上の映画のプロデューサー、エグゼクティブ・プロデューサーを務めてきた。その中にはインディペンデント・スピリット・アウォーズを受賞し、大きな評判を呼んだ『マルコヴィッチの穴』や『ヴェルヴェット・ゴールドマイン』などがある。
R.E.M.は2011年9月に解散したが、現在制作進行中の作品も複数あり、映画のプロデュ-スが今後のスタイプの主たる仕事になるのだろう。


ドン・ゲーマンをプロデューサーに迎えた
R.E.M.は『Document』もドン・ゲーマンに引き続きプロデュースしてもらうつもりだったが、彼がスケジュールの都合で断ったため、スコット・リットを起用。彼はそれからの10年間というR.E.M.が最も成功を収めた時期のプロデューサーをずっと務めることになった。もちろんゲーマンは自分の判断をおおいに後悔している。

映像に興味を示してきた
アセンズのジョージア大学の芸術学部に進学したマイケル・スタイプにはもともと視覚芸術への興味があったようだ。在学中は絵画と写真を専攻し、シュールレアリズムと中世の手書き写本への興味を育てたという。

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R.E.M.『ライフ・リッチ・ページェント』


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