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ビースティ・ボーイズ〜すべての活動に貫かれたD.I.Y.精神

2017.05.04

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「アダムは僕にロープの結び方や、自分の好きなパンク・バンドのバッジの作り方、それからライブにこっそり入るための偽スタンプの作り方まで教えてくれたよ」

癌に冒され、2012年5月4日に47歳でこの世を去ったビースティ・ボーイズのMCAことアダム・ヤウク。彼らがその前身であるパンク・バンドを結成した14歳の当時から、アダムはグループにとって精神的支柱といえる存在だった。マイクDはこう続ける。

「彼はチベット仏教に出会う以前から、執念と信念を持ち合わせた人間だった。周りが一蹴するような奇抜なアイディアでも、彼は自分がこれだと思ったら何でもやり遂げてきた。 例えば〈Paul Revere〉(『Licenced To Ill』に収録)のビートも、僕らがスタジオでTR-808で遊んでた時に、ヤウクがふと『これ、逆回転で聞きたい』って言い出して生まれたものなんだ。その時、ランDMCのランも一緒だったけど、『こいつ、何おかしなこと言ってんだ?』って顔してたよ」

パンク・ロックで培ったD.I.Y.精神をもって、気になったことは何でも自分自身でトライし、実現させるのが彼のやり方だった。
27歳で自らのレコード会社「グランド・ロイヤル」を設立。 ルシャス・ジャクソン、ショーン・レノン、アタリ・ティーンエイジ・ライオットなど有望な若手アーティストの作品を次々と発表するだけでなく、自分たちの興味のあることだけを詰め込んだ『グランド・ロイヤル・マガジン』を発行し、アメリカのみならず世界各地のユース・カルチャーに影響を与えた。

1996年からはチベット独立支援を目的とする「チベタン・フリーダム・コンサート」のオーガナイズをスタート。
そして2002年には、アダム自身が代表を務める「オシロスコープ・ピクチャーズ」を設立。『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』や『ベルフラワー』などのインディー映画を世に送り出し、『撮られっぱなし天国』では映画監督としてもデビューしている。

「アダムと僕と、ビースティーズの初期メンバーだったジョン/バリーと一緒に、ブラック・フラッグのライブを見にペパーミントラウンジに行った時、彼は言ったんだ。『バンドやろうぜ。おまえらふたりはメンバーな』って」

14歳で友達とパンク・バンドを結成しようと思い立った時も、
27歳でグランド・ロイヤルを立ち上げた時も、
37歳でオシロスコープ・ピクチャーズを設立した時も、
そこにはD.I.Y.精神にのっとった確固たる信念とエネルギーがあった。

「ヤウクは僕たちが見えない先まで見通していた。いつだって僕たちはみんな、その言動にブッ飛ばされていたんだ」

licencetoill
ビースティ・ボーイズ『Licenced To Ill』
(ユニバーサル ミュージック・1986年)

ブラック・フラッグ
1976年にカリフォルニアにて結成されたハードコア・パンク・バンド。1981年には後にロリンズ・バンドとしても活躍するヘンリー・ロリンズがボーカルとして加入し、日本公演も行った。1986年に解散するも、ヘヴィメタルの要素を取り入れたサウンドは多くのインディー・バンドに影響を与えた。

*参考文献
Rolling Stone「Mike Diamond on the Beastie Boys’ Last Recordings with Adam Yauch」(2012/05/23) 記事リンク Matt Takei氏による翻訳

Beastie Boys「Paul Revere」
Beastie Boys「So What Cha Want」 MV
Beastie Boys「Sabotage」 MV
Beastie Boys「Intergalactic」 MV *日本で撮影されたMV
Beastie Boys「Make Some Noise」 MV

TAP the POP 2周年記念特集 ミュージシャンたちの27歳~青春の終わりと人生の始まり〜




*本コラムは2014年5月3日に初回公開された記事に加筆修正しました。

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