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運命の愛、宿命の死〜コートニー・ラヴ27歳〜

2014.11.29

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If you live through this with me, I swear that I will die for you
And if you live through this with me, I swear that I will die for you

これを一緒に乗り越えて生きてくれたら
あんたのために死んでもいいわ
あたしとこれを乗り越えてくれたら
あんたのために死ねると誓うわ


♪「Asking For It」/ホールfeat. カート・コバーン


1994年4月1日。
カート・コバーンは、妻のコートニー・ラヴに一本の電話をかけた。

「忘れないでくれ、これから何が起こっても俺はお前を愛している」

その直後、カートはLAの麻薬リハビリセンターから脱走し行方不明となってしまう。
その時、コートニーも同じく薬物依存治療のためにLAのホテルで専門医と二人缶詰状態となっていた。
そして…その4日後の4月5日、ヘロインを大量に摂取したカートは、銃を持ち自らの命を絶った。
カートの遺体は死後72時間経って発見される。
カートの死を聞いて、コートニーはこう言って激怒し、泣き崩れたという。

「楽な道を選びやがって!」

遺体が発見された2日後(4月10日)には、彼の故郷ワシントン州アバディーン近郊の街、ホーキアムで通夜が開かれて1万人ものファンが集まった。
そこでは、カートが生前に自分の葬式に流して欲しいとリクエストをしていたビートルズの「In My Life」が流れる中…治療中のベッドで録音したコートニーのメッセージも届けられたという。

♪「In My Life」/ザ・ビートルズ

奇しくもその翌日の4月11日に、ホールの新作アルバムが予定通りリリースされた。
あまりのタイミングにマスコミは「コートニーは夫の死まで利用しようとしているのか!?」と騒ぎ出す。
皮肉にも『Live Through This(これを乗り越えて生きる)』と名付けられた同アルバムは、カートの死、そしてメンバーのオーバー・ド―ズによる死など、衝撃と様々な憶測が飛び交う中、プラチナディスクを獲得する。
カートの死から一ヶ月後、コートニーはニューヨークでチベットの仏教式の葬儀をカートのために行った…。



二人の出会いは、そこからさかのぼること5年…1989年、彼女が自身のバンドを結成し成功させるという夢を実現させるために向かったロサンゼルスでのこと。
バンドを結成すると言ってもメンバーもいなかったため、とりあえずレコード店などで配られているフリーペーパーやライブハウスの壁の貼り紙でメンバーを募りながら、ハリウッドで有名なストリップクラブ『Jumbo’s Clown Room』で働いて生計を立てていた彼女。
程なくして募集や紹介で集まったミュージシャン達と念願のバンドを結成する。
彼女はそのバンドに“ホール”という名を付けた。

ある日、彼女はニルヴァーナがギグを行っていたローカルなライブハウスに偶然立ち寄った。コートニーはニルヴァーナの音楽には興味がなかったものの、カート・コバーンに興味を示し、初対面の彼に対して「他のバンドのボーカルに似ているけどマネしてんの?」と意地悪く話しかけたという。
当然、怒ったカートはコートニーの腕をつかみ、二人は床を転がりながら取っ組み合いの大喧嘩を始めてしまった。
実は、カートには自分よりも強い女性に強い憧れを抱くといフェチであり、コートニーも最終的には自分よりも小柄なカートに完全に押さえつけられたために驚き惚れたという。
お互いに強く惹かれたものの、このときは連絡先を交換するわけでもなく恋愛には発展しなかった。
翌年の1990年になって、ホールが全国のライブハウスを回るツアーを決行する中、コートニーはスマッシング・パンプキンズのフロントマン、ビリー・コーガンと意気投合して恋仲となる。
しかしコートニーは、心のどこかでカートのことが忘れられず、自分が使っている香水を吹きつけた小さな木箱を彼に贈ったりしていたという。
この箱はカートにとって大切宝物となり「Hard Shape Box」という曲を彼に書かせたほどだった。

♪「Heart-Shaped Box」/ニルヴァーナ

そしてさらに翌年の1991年5月、コートニーは人気絶頂期を迎えようとしていたカートと“運命の再会”を果たす。
自身のバンド、ホールのアルバム作成に煮詰まっていたコートニーは、ハリウッドで行われていた顔見知りのバンドのギグを見に行っていた。
そこには偶然カートも来ており、彼女は無理やり自分の電話番号を彼に渡した。
その夜カートはコートニーに電話をかけ、二人はお互いのことについて何時間も語り合ったという。


トレーラーハウスに住みながら生活保護で暮らした両親を持つカートの幼少期の話。
男を変えながら奔放な生活をしていた母親のもとで、セラピストや更生施設に預けられていたコートニーの話。
親の離婚…麻薬で紛らわせる辛さや寂しさ。
お互いのトラウマについて。
そしてロックに救われた思春期の話を。


二人は、お互いに共通点が多いことに驚き、その電話で強い絆のようなものを感じたという。
だが、当時コートニーにもカートにも交際している相手がいたため、この時も恋愛には発展しなかった。
そして同年の10月12日に二人の運命は動いた。
コートニーは当時交際していたビリー・コーガンに会いにシカゴを訪れていた。
彼女はビリーが他の女性と一緒にいるところを見て激怒し、その場で別れを告げてシカゴの夜の街を彷徨っていた。
その時、ニルヴァーナもシカゴに来ており、それを聞きつけたコートニーはカートに連絡をする。
そして二人は、ためらうことなく…シカゴのDays Inn(モーテル)で結ばれた。


そして、三ヶ月後の1992年1月11日。
ニルヴァーナのアルバム『NEVERMIND』の売り上げがマイケル・ジャクソンを抜いて全米1位をマークした。
その翌日の夜、当時25歳だったカートは麻薬を多量摂取して昏睡状態になり病院に運ばれた。
これが彼にとって最初の“致死量レベルの麻薬多量摂取”だった。
この事件の数週間後、コートニーは自分の体調の変化に気がつく。
彼女はカートの子供をお腹に宿していたのだ。
この妊娠をカートも喜び、二人は1992年2月24日にハワイで結婚をした。
コートニー・ラヴ、27歳の出来事だった。

その後、二人は天国と地獄を行き来するような数年間を過ごすこととなる。
ニルヴァーナの世界的な成功、麻薬漬けの日々、娘の誕生、豪邸の購入、自殺未遂、麻薬中毒の疑いによる娘の養育権利をめぐる裁判、薬物依存治療…二人の運命の歯車は、狂った音を響かせながら廻り続けた。


If you live through this with me, I swear that I will die for you
And if you live through this with me, I swear that I will die for you

これを一緒に乗り越えて生きてくれたら
あんたのために死んでもいいわ
あたしとこれを乗り越えてくれたら
あんたのために死ねると誓うわ



■関連コラム「R.E.M.への憧れと想い~カート・コバーンの27歳~」も同時公開されました!!!


♪「Asking For It」/ホール(カートの死から11年後に出演したMTV unplugged on 1995の映像)


ホール『Live Through This』

ホール『Live Through This』

(1994/DGC)


TAP the POP 2周年記念特集 ミュージシャンたちの27歳~青春の終わりと人生の始まり〜

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