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ジョー・ストラマーとミック・ジョーンズをつないだ中国の占い

2018.04.03

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ジョー・ストラマーとミック・ジョーンズが初めて言葉を交わしたのは、1976年4月3日だといわれている。
ジョーが当時組んでいたバンド、101ers(ワン・オー・ワナーズ)のライブを観に行ったミックは「バンドはひどいが、お前のことは気に入った」とジョーに声をかけたそうだ。

当時、ミック・ジョーンズは新しいバンドの結成に向けてリード・シンガーを探していた。
ミックのマネージャーでのちにクラッシュのマネージャーとなるバーニー・ローズの推薦もあり、バンドはジョー・ストラマーをバンドに加えようと動き始める。

5月下旬、彼らの誘いを受けたジョーは、自身のバンドを続けていくか、バンドを抜けてミックの新バンドに入るかを、中国の易経で占うことにした。

結果は「友といるべし」だった。

普通ならそれまで共に活動してきたバンドメンバーを「友」と解釈するところを、ジョーは新しいバンドのメンバーこそが自分の「友」となるのだろうと解釈した。
あるいはすでに、内心では答えが出ていたのかもしれない。
こうしてジョーは101ersを抜け、ミック・ジョーンズのバンドに加わることを決める。

6月1日、ミックやポール・シムノンがリハーサルをしているところへ、ギターのキース・レヴィンとマネージャーのバーニーに連れられたジョーが現れた。
ミックによればこのとき「俺たちは全員びびってた」という。それというのもジョーはすでに地元で知られた存在で、しかも他のメンバーより3歳も年上だったからだ。

しかし、ジョーがバンドに溶け込むのに時間はかからなかった。お茶を飲みながら話をしたり、互いの曲を紹介したりしているうちに打ち解け、午後からは早速ジョーを加えてのリハーサルが始まった。

ジョーとミックの2人はソングライティングのパートナーとなり、次々とクラッシュの楽曲を生み出していくこととなる。
まずジョーが手早く詞を書き上げるとそれにミックが即座に曲をつけるといった調子で作っていき、バンドがそれを形にしていった。

最初に出来たといわれる「I’m Bored With The U.S.A」は、もともとミックの書いたラブ・ソングで「I’m Bored With You」という曲名だった。ところがジョーが“You”を“U.S.A”にしたことで、この歌は「反アメリカ」のメッセージ・ソングへと生まれ変わったのだ。

「互いにドンパチ打ち合ってたようなもんさ。ミックが『Career Opportunities』っていう曲を作りたいって言うだろ。するとオレが『わかった。じゃあお前はポールとケンタッキーにでも行ってポテトコロッケでも買ってきてくれ』って言って、あいつらが外出してる間に歌詞をひねり出すんだ」


ポール・シムノンが新聞記事で目にした「Clash」という単語から、ザ・クラッシュと命名されたこのバンドは、わずか1ヶ月で十分な数の新曲を揃えるとセックス・ピストルズの前座として人々の前に現れ、 翌年には1stアルバム『白い暴動』をリリースしてピストルズと並ぶパンク・ムーブメントの中心的存在となっていく。




ザ・クラッシュ『白い暴動』
SMJ

(2015年3月28日公開/2015年10月17日改訂)


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