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ローリング・ストーンズの曲からメロディを借りて絶望をうたったニール・ヤング

2016.01.02

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1972年の11月12日、ニール・ヤングは27歳の誕生日を迎えていた。

その年2月に発表した『ハーヴェスト(Harvest)』は、ナッシュビルのカントリー系のミュージシャンたちをバックにした作品だったが、アルバムの年間チャート1位の大ヒットを記録した。

アルバムからシングル・カットされた「孤独の旅路(Heart Of Gold )」もまた、全米ナンバー1ヒットに輝いた。

それは「私は生きたい、私は与えたい、私は金色に輝く優しい心を掘り出そうとしている」と、自分に語りかけるような言葉から始まり、「黄金の心を探し求めて、私は歳をとってゆく」と繰り返されて終わる。


思いもよらぬ名声と巨万の富を得たヤングだったが、そのことを手放しで喜んでいたわけではない。
ビッグ・アーティストとしてスター扱いされることも、周囲からのプレッシャーがとてつもなく大きくなることも、彼が望んでいたものではなかったのだ。

誕生日から6日後、ツアーを2ヶ月後に控えていたヤングはリハーサル・スタジオにいた。
ツアー・メンバーたちは『ハーヴェスト』に参加していた面々だが、クレイジー・ホースのギタリストで朋友ともいえるダニー・ウィットンも、そこに加わって演奏していた。

しかし重いドラッグ中毒から抜けだせなくてリハビリ中だったダニーは、その日はとくに調子が悪くリズムを合わせることさえできなかった。

「この状態では一緒にツアーを回れない」と判断したヤングは、ダニーを飛行機でロスの自宅に帰してあげたほうがいいと判断した。

ダニーがヘロインの過剰摂取で死んだのは、ロスに帰ったその夜のことだった。

「それを聞いた時は頭をぶっ飛ばされたみたいだったよ。ぼくはダニーが大好きだったんだ・・・」

ダニーウィットン

翌年の6月4日、CSN&Yのローディで友人だったブルース・ベリーが、やはりダニーと同じヘロイン中毒で亡くなった。

信頼する仲間を立て続けに失ったヤングは、その死を現実のものとして受け入れて、自らの心に空いた穴を埋めなければならなくなった。
そこでふたりを追悼するアルバムを作るために、残されたクレイジー・ホースのメンバーに声をかけた。

ヤングとクレイジー・ホースがレコーディング・セッションに集まったのは夕方5時頃だった。

緊張が高まるレコーディング・スタジオではなくリハーサル・ホールにしたのは、生きていた頃のダニーやブルースのように、自由で気ままに音楽を奏でたいと思ったからだ。

みんなでハイ”になるためにテキーラを飲んだり、ビリヤードで遊んだりしながらゆったりとくつろぎながら時間を過ごした。
深夜になってようやく音が鳴り始めた。

アルバムのタイトル曲となる「今宵その夜(Tonight’s The Night)」で、ヤングは淡々とブルース・ペリーのことをうたった。

Well, late at night when the people were gone
そういえば、みんなが帰ってしまった深夜に
He used to pick up my guitar and sing a song in a shaky voice
やつはよくオレのギターを手にとって、震えた声で歌っていたなぁ


真夜中のセッションが進んでいくうちに、誰もが酔っぱらって立っていることさえできないほどになった。

「『今宵その夜』は言わばオーバードーズで書いた手紙みたいなものさ。
僕たちはブルースとダニーがやってたのと同じ方法で、二人のために一晩中演奏したんだ」


こうして緊張や緻密さとは無縁で、どこか調子っぱずれの歌と演奏が記録されたのである。
しかしレコード会社はヒット性がないことや、歌詞の内容があまりに暗すぎるとの理由で発売に難色をしめした。

ダニーが生きていた頃のライブ音源などを加えたアルバムが陽の目を見ることになったのは、セッションから2年後のことだ。

このときヤングはひとりでレコーディング・スタジオに入り、ピアノの弾き語りで「Borrowed Tune(借り物の曲)」を録音してアルバムに加えている。

絶望の淵にいる心情を正直に吐露するために、ローリング・ストーンズの「レディー・ジェーン(Lady Jane)」からメロディを借りてうたったのだ。

♪俺はこの借り物の曲をうたっている 
 これはローリング・ストーンズからのイタダキものだ 
 俺は自分で曲を作る気力もなくなっちまった



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