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ビリー・ジョエル27歳〜“特別な街”に戻って紡いだ“特別な一曲”

2019.05.09

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日常のわずらわしさから逃れようと
休暇に出かける人達もいる
マイアミビーチからハリウッドへひとっ飛びだ
でも俺はグレイハウンドバスに乗り込んで
ハドソン川を渡るのさ
心はもう…ニューヨーク


この「New York State Of Mind(ニューヨークの想い)」は、ビリー・ジョエルが27歳のときに発表した曲である。
彼にとって4作目となるアルバム『Turnstiles(ニューヨーク物語)』(1976年)に収録した“特別な一曲”だった。
彼が「The Stranger」で大ブレイクをする二年前の作品だが、長きに渡って愛され続けた結果、全世界で1億枚以上のレコードセールスを記録すると同時に、アメリカ国内での総売上では第6位をマークしている。
彼は本作の製作にあたって、デビュー当時の活動拠点だったロサンゼルスを離れ、故郷のニューヨークに戻った。
そのことがこの「New York State Of Mind(ニューヨークの想い)」の歌詞に反映されている。
都会暮らしに疲れ、一度は気ままな旅や田舎暮らしの経験もしてみたけれども…やはり「自分が何を望んでいるか?」「都会に揉まれながら生きる感覚が恋しい」と思い、ニューヨークに戻ろうとする男の心境を歌ったものだ。
ビリー・ジョエルといえば、ニューヨーク(ブロンクス地区)生まれのユダヤ系移民である。
ウディ・アレンやポール・サイモンと同じく、典型的なユダヤ系ニューヨーカーと言えるだろう。
彼にとってニューヨークは故郷でもあり“特別な街”なのだ。
育った場所がニューヨーク郊外の新興住宅地、ロングアイランドだったということが彼の音楽性に様々な影響を与えた。
彼が幼い頃に“最新型”と言われた住宅地は、ロングアイランドの自然をつぶし、同じ型の家が並び立つ街だった。
彼が生まれたのは1949年、ちょうど戦後のベビーブーム世代にあたる。
ヒトラーによって危うく処刑されるところだったユダヤ系ドイツ人移民の父親のもとに生まれ、ロングアイランドで少年時代を過ごした彼は、あまりに無個性な街とそこでの平穏無事な生活に嫌気がさしていたという。
彼はいつしか不良少年たちの仲間入りをする。
そんな中、彼は15歳の時にビートルズのサウンドに大きな衝撃を受けバンドを結成する。
当初はロックンロールを演奏していたが、次にヤングラスカルズの影響を受け始めた彼は“ブルー・アイド・ソウル”を強く意識し始める。
さらには、ジョン・スモールというドラマーと二人組のバンド“Attila”を結成し、クリームなどから影響を受けたサイケデリックロックに傾倒したりもする。
こうしてごく自然に多ジャンルを吸収していった彼の音楽は、まさに複数の人種や文化が混在する“ニューヨーク的”な感覚と言えるだろう。


厳しい現実が待ちかまえていようと望むところさ 
今までダサい暮らしをしてたけど
チャイナタウンだって リバーサイドだってかまやしない
理由はないけど、全て捨ててきたんだ
俺の心は…ニューヨークへ戻るのさ


ビリー・ジョエル『Turnstiles』(邦題:ニューヨーク物語)

ビリー・ジョエル
『Turnstiles』(邦題:ニューヨーク物語)

(1976/Sony)

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