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ポール・マッカートニー〜アイルランドの血筋から生まれたヒット曲

2015.02.28

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リヴァプールは「アイルランドの真の首都」とか「東のダブリン」と呼ばれたりもする。それほどにアイルランドからの移民とその子孫の人口比が高いということだ。だから、あの世界を制覇したバンドを「史上最高のアイリッシュ・バンド」と呼ぶ人たちもいる。

ビートルズはリンゴを除く3人の家族がアイルランドと深いつながりを持つ。ポールのマッカトニーという苗字自体はスコットランドの名前だが、母方の祖父がアイルランド生まれで、父方は曾祖父がアイルランドで生まれ、スコットランドを経由してリヴァプールにやってきた。そのことを意識してか、映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』でも、ポールの祖父役はアイルランド人俳優ウィルフリッド・ブランベルが演じていた。

とはいえ、ビートルズ時代のポールは特にアイルランドの音楽の影響を感じさせる作品を残していない。彼がアイルランド人の血筋を世の中に明確に宣言したのが、1972年のウィングスの最初のシングル「Give Ireland Back To The Irish」(原題「アイルランドをアイルランド人に返せ」)だった。
これは同年1月30日に北アイルランドのデリー市で公民権運動デモ行進中の非武装の市民に英国軍が発砲し、14名が死亡、13名が負傷した「血の日曜日事件」に憤ったポールが書き、事件から3週間も経たずに発売された抗議の歌である。BBCなどが放送禁止として、メディアでの露出はほとんど無かったが、それでも英国で16位まで、全米でも21位まで上がった。
当のアイルランドでの第1位は当然としても、カタルーニャやバスクなどの地方で分離独立運動の盛んなスペインでも第1位になったのが興味深い。もちろん英国民の一部や北アイルランドのユニオニストは反発し、ウィングスのギタリストだった北アイルランド出身のヘンリー・マックロウは、故郷に住む兄がこの曲のせいで暴行にあった。

1977年にはバグパイプ・バンドを加えたサウンドで、自分の住んでいたスコットランド西部の地域の美しさを称えたスコティッシュ・フォーク的な「Mull Of Kintyre」(夢の旅人)で記録的な大ヒットを放った。もちろんスコットランドとアイルランドの音楽はお互いに影響を与え合う近しい関係にある。

また、2007年のアルバム『Memory Almost Full』(追憶の彼方に~メモリー・オールモスト・フル)の「The End Of The End」で死について歌っているが、そこにはアイルランドの「ウェイク(お通夜)」の考えを取り入れていた。アイルランド人は悲しみに沈むのではなく、故人の人生を祝うべく、たくさん酒を飲んで、冗談を言い合って、賑やかに死者を送る。リヴァプールのアイルランド人社会で育ったポールもその考え方が気に入っているのだ。

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ボール・マッカートニー『Memory Almost Full』(2007)

北アイルランド出身のヘンリー・マックロウ
ヘンリー・マックロウは68年に短期間、アイリッシュ・フォーク・グループ、スウィーニーズ・メンに加わっていた。ジョニー・モイニハン、アンディ・ア―ヴァイン、テリー・ウッズといった重要人物が在籍したスウィーニーズ・メンはそれ以降アイリッシュ・ミュージックに欠かせない楽器となるブズーキを導入するなど、伝統音楽の現代化に重要な貢献をしたバンド。マックロウはこのバンドでエレクトリック・ギターを弾き、アイルランドにおける伝統音楽とロックのミックスの先駆けだったとされるが、残念ながら彼は録音を残す前にバンドを去った。

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