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ミック・ジャガー27歳〜悪魔的なカリスマ性、そして最初の妻ビアンカとの出会い

2020.07.26

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ローリング・ストーンズにとって60年代は、ブライアン・ジョーンズの死とオルタモントの悲劇という“衝撃的な出来事”と共に幕を閉じた。
そして1970年の夏、ミック・ジャガーは27歳を迎えた。
その頃、ミックは恋人マリアンヌ・フェイスフルがイタリア男の腕の中へと去ってしまった心の穴を埋めるかのように、毎晩違う女性を連れ込んで寝るようになっていた。
当時のミックを知る男クリストファー・ギブス(ロンドンの古物商)はこう回想する。

「レストランで食事をしていると、よくミックと寝たことのある女の子たちが声をかけてきたんだ。ところがミックときたら、彼女らのことをまるで憶えてないんだ。」

時を同じくして、彼はこの夏からストーンズの欧州ツアーに出る。
6週間で14都市をまわる規模のものだった。
激動の1969年を終えたストーンズは、これ以上の暴力や狂乱を怖れていた。
だが、ストックホルム、ハンブルグ、西ベルリン、そしてローマに至るまで彼らは手荒い歓迎を受けることとなる。
街へ繰り出したファンが車をひっくり返して火を放ったり、店の窓ガラスを粉砕してまわったりするなど、暴徒と化すこともあった。
その頃のストーンズはヨーロッパ各地の警察組織から、単なるロックバンドではなく、ちょっとした侵略軍のように扱われていたという。
本人達が望まなくとも…当時、彼らの行くところでは必ず惨事が巻き起こっていたのだ。



「俺達の悪魔的なイメージは失われるどころか益々増している!」

27歳のミックはどこか満足げな顔をしていたという。
程なくして、彼は最初の結婚相手となる女性と運命的な出会いを果たす。
それはパリのオリンピア劇場での公演終了後のことだった。

「ミック、こちらビアンカだ。」

優美で官能的でほのかに危険を漂わせる若い女性の方を向きながら、ドナルド・キャメル(その年にミックが主演した映画『Performance』の監督)がミックに言った。
キャメルは二人の間に容姿を含めた“共通点”があることに気づいたという。

「君たち二人はきっと素晴らしい恋をするだろう!」

キャメルは続けた。

「まさに運命のカップルだよ!」

ニカラグア生まれのビアンカは、どこかお高くとまったところがあった。
ミックと相通じる…それとなく相手を見下すような雰囲気が。
数カ国語を堪能に操るビアンカだったが、ミックが心惹かれたのは彼女が話す内容ではなく、アメリカのジャズシンガーのアーサー・キットを彷彿とさせるハスキーな声だった。
それはまるで男に媚びるような猫なで声だったという。
その夜、二人はキャメルが所有していたパリのアパートメントで一夜を過ごした。
ビアンカはその夜のことをこんな風に回想している。

「まるで稲妻に打たれたようだったわ!だけど彼の身体に惹かれたわけではなく、彼がシャイで傷つきやすい人だとわかったの。それまで想像していたイメージとは正反対だったから…そのギャップに惹かれたのよ。」

一方、ミックはビアンカのことがよくわからずにいた。
ビアンカのつかみどころのなさは、ミックだけが感じていたわけではなかった。
まず、1970年にミックと会ったとき彼女は21歳だと言い張ったが、実際は25歳だったという。
自分の父親についても、裕福な商品仲介業者だと言ったり、あるときはコーヒー王だったり、キャリア外交官だったり…彼女の虚言は周囲を混乱させた。
実際のところ、ビアンカの伯父はニカラグアのキューバ大使だったという。
ビアンカの両親は離婚しており、彼女の母親は生計を立てるためにニカラグアにあるマナグアという街でレストランの店長として働き、大使をしていた兄弟(ビアンカの伯父)の恩恵を大いに受けながら暮していた。
子煩悩な母親に甘やかされて育ったビアンカは、肥大した自意識を持った女性に成長する。

「お皿を洗ったことも、卵を茹でたことも、掃除をしたこともなかったわ。」

当然のごとく、記者たちはマリアンヌ・フェイスフルと入れ替わりでミックの前に現れたこの魅力的な女性のことを熱心に知りたがった。
ロンドンでマスコミに囲まれたときに、ミックは彼女の名前すら明かさなかったという。

「悪いけど、彼女が誰であるかは言えないよ。プライベートなことだからね。」

パパラッチに対しては、マリアンヌとつきあっていた頃には見せたことがないような過敏さでもってビアンカのことをかばった。
あるカメラマンがビアンカの顔にカメラを押しつけてきたときには、ミックはその男を追いかけて顔面を殴り、暴行罪で1400ドルの罰金を食らったという。

そんな中、ストーンズはライブアルバム『Get Yer Ya-Ya’s Out! The Rolling Stones in Concert』を発表し、益々勢いづいていた。
『ニューズウィーク』誌は、その年のクリスマスにミック・ジャガーを表紙に持ってきてこう宣言した。

ポール・マッカートニー、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、エリック・クラプトンといったロックが生んだカリスマの中で、その衰え知らずの華やかさと、本能的に彼を嫌悪する人々すら巻き込んでしまう悪魔的な力、そして断固として媚を売らない姿勢において、ミック・ジャガーが最も衝撃的であることは疑いようがない!






<引用元・参考文献『ミック・ジャガー ワイルド・ライフ』クリストファー・アンダーセン(著)/岩木貴子、小川公貴(翻訳)/株式会社ヤマハミュージックメディア>

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