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TAP the STORY

ジョン・レノン27歳〜敏腕マネージャーの死、インド哲学への傾倒、そしてヨーコとの関係を深めていく日々〜

2016.11.05

1967年10月9日、ジョン・レノンは27歳の誕生日を迎えた。
この頃のジョンは深い悲しみの中にいた。
“ビートルズを売り出した男”として知られる男、敏腕マネージャーのブライアン・エプスタインはロンドンの自宅のベッドの上で死体となって発見されて…まだ2ヶ月も経っておらず、ビートルズは混乱と不安を抱えながら日々を過ごしていた。
ブライアンがこの世を去った1967年8月27日。
それは“ビートルズの崩壊が始まった日”とも言われている。
この日ビートルズの4人は、北ウェールズのバンゴールで超越瞑想の指導者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの講義を受けている最中だった。
数日後、4人はポールの家に集まり、ブライアン亡きあとの方針について話しあう。
再び予定していたインド行きを延期し、映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の企画を進めることを決める。
ジョンは、彼の死を振り返りながらこんなコメントを残している。

「エプスタインが死んだ時、もうビートルズは終わったと思ったよ…。」

10月17日、ビートルズメンバーはアビイ・ロードスタジオ近くにあるユダヤ教会ニュー・ロンドン・シナゴーグで行なわれたブライアンの葬儀に4人そろって出席をする。


Words are flowing out like endless rain into a paper cup,
They slither while they pass, they slip away across the universe
Pools of sorrow, waves of joy are drifting through my open mind,
Possessing and caressing me.

Jai Guru De Va, Om
Nothing’s gonna change my world
Nothing’s gonna change my world
 

溢れ出す言葉は紙コップの中に際限なく降り注ぐ雨のよう
流れ広がりこの宇宙を超えてくまなく巡る
悲しみの海 歓びの波が
解き放たれた僕の心の中を漂いながら
僕を虜にし 僕を優しく撫でる

「Jai Guru De Va, Om」神に感謝を…
何ものにも僕の世界を変えることはできない
どんなものも僕の世界は変えられない


この「Across The Universe」は、ビートルズが1970年にリリースしたアルバム『Let It Be』に収録されたもの。
“レノン=マッカートニー”としてクレジットされているが、実質的にはジョン・レノンの手によるもので、彼の楽曲の中でも特に歌詞が印象的な作品で、ジョンがメンバーと共にインド哲学に傾倒していった時期(1967〜68年頃)に書いた楽曲である。
そう、つまりジョンが27歳の時に紡いだ作品なのだ。
また、この歌はオノ・ヨーコがジョンに紹介した松尾芭蕉の俳句にも影響を受けているとも云われている。
「有限と無限」、「ミクロとマクロ」、そして「自己の内なる真理の追究と悟り」など、この歌詞にはジョンが求めた“東洋的な観念”が色濃く反映されているようだ。

「ジョン・レノン」と「オノ・ヨーコ」。
「ビートルズ」と「インド」。

その出会いは偶然ではなく、やはり“運命”という不可思議な力によって導かれたものだったのかもしれない。
この歌詞を書いたきっかけについて、ジョンはインタビューでこんな風に語っている。

「“words are flowing out like endless rain into a paper cup(溢れ出す言葉は紙コップの中に際限なく降り注ぐ雨のよう”という一節が浮かんだ後、しばらく考えた末に一気に書き上げたんだ。」

歌詞の中に繰り返し出てくる“Jai Guru De Va, Om”は、サンスクリット語の呪文で勝利あれ(Jai)、導師(Guru)、神(Deva)、霊(Om)、つまり「我らが導師、神に勝利あれ」(神に感謝を)の意である。
この“Om”は日本文化でもなじみの、「阿吽(あうん)」の「吽(うん)」にあたるもので、瞑想をささえる呼吸のことだ。
ジョンは、マハリシの影響からブライアンの死を受け止められるようになり、後にこんな発言を残している。

「死んだのはブライアンの肉体だけで、彼の精神は常に僕達と共に生きているんだ。」

翌1968年になると、ジョンとヨーコの関係は益々親密になってゆく。
前年の8月(ブライアンが死去した時期)に次いで、再びマハリシのもとで瞑想を行うため、ジョンはこの年の2月にシンシア(当時の妻)とジョージ夫妻と共にインドのリシケシュへと旅立った。
このインド滞在中に、約2ヶ月に渡ってジョンはヨーコと手紙のやりとりをしていた。
ジョンはヨーコをインドへ連れて行くことまで考えていたという。
ヨーコからの手紙には「私は雲。空にいる私を探してみて。」というようなアーティスティックな言葉が綴られていた。
ジョンはヨーコへの想いを募らせて4月にイギリスに戻る。
すぐにウェイブリッジの自宅にヨーコを招き、二人で“Unfinished Music No.1: Two Virgins(「未完成」作品第一番トゥー・ヴァージンズ)”を製作にとりかかる。
そして…5月20日、レコーディングが終了した夜明けにジョンとヨーコは初めて結ばれたという。
同時期にビートルズは、自らの会社“アップル・パブリシティ”を設立し「音楽・出版・エレクトロニクスなど各分野の埋もれた才能を発掘し、ビジネスと芸術の融合を目指す!」と壮大な看板を掲げて、自分たちが得た知識や金をチャンスに恵まれないアーティストたちに還元しようとした。

そんな中、彼らは新作アルバム『The Beatles(通称:ホワイトアルバム)』のレコーディングを5月30日にスタートさせる。
このスタジオで、ヨーコはジョンに“寄り添う”だけではなく収録曲「Revolution 9」や「The Continuing Story of Bungalow Bill」などへも参加し、さらにアレンジ等に対して意見も述べるようになる。


ポールやジョージは、いきなりスタジオワークに口を挟むようになったヨーコに閉口するが、ジョンは「僕はヨーコと一心同体で、どこへ行くにも一緒でなければならないんだ。」と主張したという。
以後、スタジオのジョンの傍らにヨーコがいるのは“当たり前”の風景となる。
この頃からジョンはビートルズで以外の活動も勢力的に行うようになり、6月にはヨーコと共に“どんぐりイベント”を行ったり、7月にはジョンにとって初の試みとなった個展『ユー・アー・ヒア』を開催するなど、平和運動と芸術活動を次々と実現させていった。
当然のごとく、ジョンとヨーコの関係はまたたく間に人々に知れわたることとなり…妻のシンシアはジョンに対して離婚訴訟を起こす。
そして秋にはジョンとシンシアの離婚が成立。
10年あまり続いた二人の関係は、息子ジュリアンを残し…終止符を打つこととなる。
時を同じくして、このジョンとシンシアの関係だけではなく、ビートルズのメンバー同士の絆も失われつつあった。
折しも、シンシアが離婚訴訟を起こした同日(8月22日)に、リンゴがビートルズを(一時的に)脱退するという衝撃的な事件も起こっている。

Sounds of laughter shades of life are ringing
Through my opened ears inciting and inviting me
Limitless undying love which shines around me
Like a million suns, it calls me on and on across the universe

Jai Guru De Va, Om
Nothing’s gonna change my world
Nothing’s gonna change my world

人々の笑い声
生命の陰影は僕の解き放たれた心に鳴り響き
僕をそそのかし僕を招き寄せる
そして不滅の愛は無数の太陽のごとく僕をとりまいて輝き
絶え間なく僕を誘う
この世界を超越したところへと

「Jai Guru De Va, Om」神に感謝を…
何ものにも僕の世界を変えることはできない
どんなものも僕の世界は変えられない

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