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カーティス・メイフィールドの27歳~インプレッションズ脱退と新たな時代の幕開け

2017.06.03

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1970年、カーティス・メイフィールドは1つの大きな決断を迫られていた。

カーティスの所属するコーラス・グループ、インプレッションズが結成されたのは1958年。
同年にリリースされたデビュー・シングル「フォー・ユア・プレシャス・ラブ」は、いきなり全米チャート11位にランクインするというヒットを記録した。
当初は5人編成だったが、1963年からはカーティスにサム・グッデン、フレッド・キャッシュという3人編成となる。
新体制となったインプレッションズは「イッツ・オールライト」の大ヒットによって全盛期を迎え、その後も「ピープル・ゲット・レディ」や「ウィアー・ウィナー」など次々とヒット曲を放った。

インプレッションズの武器はポップなサウンドと3人の生み出す美しいハーモニー、そしてソングライティングを手がけるカーティスのポジティヴなメッセージだろう。
彼らの歌は、公民権運動を支持する黒人たちから特に多くの支持を集めた。

その一方で1968年には自身のレーベル、カートムを立ち上げ、プロデュース業や若手の育成にも励むようになる。
シンガーにソングライター、プロデューサー、そして経営者。カーティスはマルチな才能を存分に発揮していた。

そして1969年。
この年27回目の誕生日を迎えたカーティスは、インプレッションズのメンバーとともに、各地をツアーで回るという多忙な日々を送っていた。
ツアー先で他のミュージシャンと共演するのは、カーティスにとって大きな刺激となった。
中でもフィルモア・ウェストで共演したサンタナの、ワウペダルを使ったギターやパーカッションのサウンドには大きく心を動かされたという。
そういったサウンドを取り入れた新しい音楽に挑戦したいという気持ちが、カーティスの中で膨れ上がっていった。
しかし今の自分の立場ではできないとも感じていた。

「前々からそういうのがやりたかったけど、それは僕とインプレッションズに求められているものではなかった」


そんなカーティスに、ソロでやりたいことをやったらどうかと後押ししたのが、インプレッションズのマネージメントをしていたマーヴ・スチュアートだ。
マーヴは元々ベイビー・ヒューイ&ベイビーシッターズのマネージャーだった。
ベイビーシッターズはスライ&ザ・ファミリー・ストーンやサイケデリックの影響を受けたファンクバンドで、地元シカゴで人気を集めていた。

ある日ダニー・ハサウェイに誘われてベイビーシッターズのステージを観に行ったカーティスは、彼らの音楽が気に入ってその場で契約を交わす。
この時点ですでにカーティスは、ファンクに気持ちが傾いていたのだろう。



マーヴの手腕と野心を高く買っていたカーティスは、インプレッションズのマネージメントをお願いする。
こうしてカートムのスタッフとなったマーヴは、経営からマネージメントまで見事にこなし、カーティスの信頼を得るのだった。

そんなマーヴの後押しもあって、カーティスはソロ・アルバムの制作を決意する。

1970年9月にリリースされたソロデビュー・アルバム『カーティス』は、インプレッションズとは一線を画していた。

1曲目の「イフ・ゼアズ・ア・ヘル・ビロウ・ウィア・オール・ゴナ・ゴー」はベースによるリフとパーカッションによって幕が開き、やがてワウペダルを使ったファンクなギターカッティングが入ってくる。
カーティスは様々な人種、職種に呼びかけ、「政治と無関係ではいられない」「地獄があるなら、俺たち全員地獄行きさ」などといった痛烈なメッセージを放つ。

「『カーティス』のおかけで、僕はこれまで以上に自分自身を表に出すことができるようになったんだ」




『カーティス』は評論家たちからも高い評価を集め、ビルボードのブラック・チャートでも見事1位を獲得した。

カーティス・メイフィールド『カーティス』
Warner


インプレッションズを離れ、新たな一歩を踏み出したカーティスは、ニューソウルの旗手として70年代のブラックミュージックを牽引していくのだった。



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