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どんとの27歳~絶頂の日に起こった転落事故

2024.01.28

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どんと(久富隆司)は1962年8月5日、岐阜県大垣市で生まれている。

小学生のどんとはテレビの歌番組を見るのが一番好きで、1969年から70年にかけて始まった歌謡曲の黄金時代を体験したことで、歌をうたうことの喜びを知った。
尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が発売になったのは1971年3月5日、ヒットしたのはその年の春から夏にかけてのことだ。

ある時、尾崎紀世彦が突然スイ星の如く現れて(笑)。あの爆発力を「ああエエなあ」と思って。マイクの持ち方まねしたり。初めて買ったレコードも「また逢う日まで」だし。歌なんかもすぐ覚えて、人に歌って聴かすのが好きやったんや。


年末に第13回日本レコード大賞と第2回日本歌謡大賞をダブル受賞し、『NHK紅白歌合戦』に初出場した時のパフォーマンスも評判になり、「また逢う日まで」は翌年にかけてふたたび盛り上がった。

次に歌の衝撃を受けたのは、ラジオを聴いていて知ることになったフォーク・ブームである。
ラジオにマイクを向けてカセットテープレコーダーに録音し、吉田拓郎や泉谷しげる、井上陽水の世界に入っていった。

そのときは大好きだった歌謡曲とは正反対のところから、新しい音楽がやって来たという印象を持ったという。
なかでもレコードをすべて買い集めるほど心酔したのは、忌野清志郎がソングライティングをしていたRCサクセションだった。

どんとは高校時代から大学にかけて、忌野清志郎にすっかり染まっていた時期がある。
それと同時期であったが、中学生のときにはビートルズ狂にもなった。
それはライブの映像を体験したのがきっかけだ。

ビートルズに関してはレコードだけでなく、たくさんの関連図書や資料が豊富だったので、資料込みで聴く楽しみを覚えたという。

その頃フィルム・コンサートというものを知って、ビートルズの”シェイ・スタジアム”とか見てすごく感銘を受けて、世の中ではそんなのもうあたり前やったんやけど、それでビートルズのレコードを買ったんや。青い2枚組の『1967~70』っていう、あたり前のやつ。あれ買って聴いたらビックリしてさあ。入ってる曲全部いいやん(笑)。


どんとが音楽を受容していく力は、生半可なものではなかった。
すっかりロック少年になって1981年に京都大学へ進学すると、初のバンドを結成して音楽活動に励んでいく。

やがてローザ・ルクセンブルグとしてNHKのコンテスト、“Young Music Festival”で全国優勝を果たしたが、そのときに強く推してくれたのは審査員の矢野顕子と細野晴臣だった。

彼らがレコード・デビューしたのは1986年だったが、バンドは1年後の1987年8月に解散した。


そこからどんとはボ・ガンボスを結成すると、堰を切ったようにライブを行うようになる。
ガンボはニューオーリンズのソウルフード、冠詞に付けた「ボ」は敬愛するブルースマン、ボ・ディドリーからいただいたものである。

1988年に入って100本を超えるライブを行って評判になったボ・ガンボスは、音楽業界でも大きな注目を集めていく。
当時はバンドブームが巻き起こっていたので、当然だがメジャー・デビューを目指した。

インディーズから出た自主制作EP『高木ブー伝説』が話題を呼んだ筋肉少女帯の大槻ケンヂは、著書「リンダリンダラバーソール」の中で一緒にライブを観に行ったガールフレンドが、どんとのことを「なんか浮世離れした人」と言ったと記していたが、その評はとても的を射ていた。。

プロデビューという出来事が、必ずしも、すべてのバンドマンにとって、成功や達成や、夢の幕開けを意味していたかといえば、そうとは言えなかったと思うのだ。
むしろ、メジャーのフィールドに立ち入らないほうが、よっぽど自分らしく生きることのできるミュージシャンたちもいたように思う。


メジャーのレコード会社と契約してCDを発表するということは、資本主義の競争社会に身を投じることを意味する。
「どんな手を使ったって、とにかく売れなきゃ駄目なんだよ。やりたい音楽をやるのは、売れてからだ!」と、大槻ケンヂはスタッフからいつも言われていたという。
音楽あるいは作品である以上に、CDとはなによりも商品なのである。

確かにそうなのだろうけれど、うんざりしたのもまた事実だ。
「いっそ、南の島へでも行って好きな歌だけ歌っていたい」
できるわけもないのにそんなことを考えることもあった。


エピック・ソニーと契約したボ・ガンボスはCDデビューを前にした1989年の2月、中野サンプラザ2DAYSを成功させて評判になった。
ニューオーリンズ・スタイルのブギやブルース、祝祭感に満ちた圧倒的なライブは、それまでにない新鮮なものだった。

ボ・ガンボスはその後に渡米して、ニューオーリンズでレコーディングを敢行、マイアミでミックスダウンしてファースト・アルバムを完成させた。



ニューオーリンズ音楽の歴史が染み付いてるスタジオでは、ボ・ディドリーを筆頭にネビル・ブラザーズのメンバーなど、伝説のミュージシャンたちとも共演することができた。
担当ディレクターだった名村武は帰国後まもなく、「一緒に演奏したことから得たものは大きかった」と語っている。

「その影響が一番顕著に表れたのは、実はレコーディングそのものよりも、帰国直後にやった日比谷野音のワンマンだった。それ以前もボ・ガンボスのライブは面白かったんだけど、ニューオーリンズから帰ってきた直後の野音は特別だった。まず演奏のテンポ感からして違う。ニューオーリンズで、本場のグルーヴを受け継いできた表れだったんだろうと思うね」

〈参照コラム〉1989年のボ・ガンボスが残した音、残せなかった音

しかし鳴り物入りのデビューだった割に、7月1日に発売されたファースト・アルバム『BO & GUMBO』は、それほど売れたわけではなかった。

日本にボ・ディドリーを呼んでボ・ガンボスとの共演ツアーが行われたのは、ニューオーリンズ滞在中のレコーディング風景やライブ等を収録したビデオ「Walking To New Orleans」が発売になった9月22日からだ。

ところが9月23日、NHKホールでのライブ本番中に、どんとが客席へ転落するアクシデントに見舞われる。
メジャーデビューしたその年に27歳になったどんとは。当時の自分自身とその後について、客観的な口調でこう振り返っていた。

この絶頂の日にどんとはステージから落ちて左うでを骨折し、ギターが弾けなくなり、その影響で声も出なくなり、大阪厚生年金ホールの満員の客の前でまったく声が出なくなるという地獄を見て、それから2年位のあいだ声は治らず、低迷してしまったのである。


やがて大きな期待とプレッシャーのなかで、夢の実現に向けて集中力と爆発力で、常に自分を高め続けてきた緊張の反動が出始める。

ひたむきすぎるほどまっすぐに突き進んできたどんとだったが、ボ・ガンボスのKKYONとゼルダの小嶋さちほ、サンセッツの井上憲一と井ノ浦英雄の5人で「海の幸」という、新たなプロジェクトを始動させた。
精神的なリハビリテーションを必要としていたのだろう。

1990年にインディーズから発売された海の幸のアルバムで、どんとは飄々としてリラックスした持ち味を発揮し、まさに「なんか浮世離れした人」になっていく。

ようやく声が治ったことで、どんとがボ・ガンボス史上でも最高の演奏をしたと自負するライブは、1992年の夏に京都の西部講堂で行われた。


そのフリーコンサートがどんとにとって、20代最後の歌と演奏になった。
どんとはその後、1994年のツアー中にボ・ガンボスからの脱退を表明している。

「ビジネスなんて必要ないのだ」とばかり、自らバンド活動を打ち切ってしまったのだ。
そして家族とともに沖縄へ移住すると、一人で好きな歌だけを歌っていく道を選んだ。

それから数年後に東京のイベントで共演した大槻ケンヂが、そのときのどんとについて感想を記している。

商売優先のメジャーから離れ、沖縄で好きな歌だけ歌っていこうとした彼の人生選択が、現実と折り合いのつかない悲惨なものであったなら、久しぶりに会った彼が、疲れ切り、そこいらのローカルバンドマンほどのムーブしか見せてくれなかったなら、やはり体制の中でしか音楽はできぬものなのかと、がっかりしていただろう。
とんでもない。『魚ごっこ』の歌詞の通りに、どんとさんは誰にも文句を言わせない、いい塩梅の男、として、再び目の前に現れたのだ。
矛盾を抱えながらも、メジャーのフィールドの中で、なんとか折り合いをつけてやっていくしかない僕にとって、そのライブのどんとさんは、やっぱり水の中をスイスイと泳ぐ魚に見えたのであった。


しかし、普通の人の倍以上の速さで生きてきたどんとは、2000年1月28日に旅先のハワイで静かに永眠することになったのである。


(注)文中のどんどの発言は、「ミュージックマガジン2月増刊号 どんとの魂」(2015年)からの引用です。また、大槻ケンヂ氏の文章は著書「リンダリンダラバーソール」 (メディアファクトリー)からの引用です。
なお本コラムは2017年8月5日に公開されました。


どんとオフィシャルホームページhttp://www.songstar-donto.com/profile.html

『どんとの魂』

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