TAP the STORY

マリア・カラス27歳〜白髪の実業家との結婚、過食症の克服、そしてスカラ座デビューから黄金期の幕開け

2017.10.28

Pocket
LINEで送る

伝説のオペラ歌手マリア・カラス。
エキゾティックな美貌と強靱な声、そして緊張感あふれる劇的な表現。
オペラ史上において、彼女ほど人気とカリスマ性を持つ人物は後にも先にもいないだろう。
二十代後半、彼女は色んな意味での“転機”を迎えることとなる。
27歳のマリア・カラスがどんな日々を過ごしたのか?
それまでの足跡を振り返りながら、彼女が歌手として羽ばたいてゆく姿に迫ります。
彼女はギリシャからニューヨークへ移住した両親の次女として生まれた。
男の子の誕生を望んでいた母エヴァンゲリアは彼女の誕生をあまり喜ばなかったという。
しかし、彼女に歌の才能を見出してからは音楽の英才教育に没頭することとなる。
娘を歌手にしてひと儲けする皮算用だったのだ。
内気だった彼女は母の英才教育によるストレスのため過食症となり激太りとなる。
自信を失った少女は、暗く内向的な性格となっていったという。
やがて父が事業に失敗すると母は迷わず離婚して、2人の娘を連れて故郷ギリシャへ帰国する。
1938年、15歳になった彼女は実年齢を偽って国立音楽院に入学する。
その後、アテネ音楽院でエルビーラ・デ・イダルゴに師事し、18歳を迎えた1941年にアテネ・オペラでプロデビューを果たす。
終戦直後の1945年、彼女は母から遠ざけられていた父親を尋ね、アメリカでキャリアを積むべく再び大西洋を渡る。
その後、イタリアなどにも活動の場を広げながら20代はひたすら音楽の道に励んできた彼女。
男性に結婚を迫られても、過食症により太った自分を卑屈にとらえて積極的になれなかったいたとう。
そんなマリアの心を射止めたのは、ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニというイタリア人実業家だった。
二人の出会いは1947年。
当時彼女は24歳、そしてメネギーニは52歳。
後に彼女は二人の出会いについてこんな風に語っている。

「出会って5分後には“まさしくこの人だ!”とピンときたのを憶えててるわ。」


3ヶ月間のアルゼンチン公演を控えていた彼女が、後援者でもあったメネギーニに対して「私と24時間以内に結婚してくれなければブエノスアイレスには行きません!」と言い放ち、見事その心を射止めたというエピソードは“カラス伝説”として有名だ。
資料文献によってはその逆に…メネギーニが彼女に一目惚れをして猛アタックを繰り返し、彼女の恋人兼マネージャーになったとも言われているが…真相は謎のままである。

1949年4月21日、二人はイタリアのヴェローナにあるフィリッピーニ教会で結婚式を挙げる。
不倫関係にあった28歳年上の実業家(マネージャー)と念願かなっての結婚。
妻のいた男をいわゆる“略奪愛”で手に入れた彼女は当時、世間からの冷たい視線を受けたという。
メネギーニとの結婚により、彼女はそれまで抱えていた経済的な不安から解放され、一層オペラへと打ち込んでいった。
加えて、過食症によって当時100キロに迫る巨漢だった彼女が変身したのもこの頃である。
舞台への役作りと夫の協力もあり、数ヶ月で30キロもの減量に成功する。
それまでの姿から一変し、スリムで美しい美貌を手に入れた彼女はオペラ歌手としてのキャリアを順調にステップアップさせてゆく。


1950年、彼女は27歳を迎えた年に初めて立ったスカラ座の舞台を大成功させ“スター歌手”という名声を手中に収める。
スカラ座と言えばイタリアのミラノにある歌劇場で、初代の宮廷劇場以来の伝統を持つ“オペラ界の最高峰”とされたステージだ。
彼女のプリマドンナとしてのキャリアはそのスカラ座公演を皮切りに、いわゆる“黄金期”を迎えることとなる…。




<参考文献『マリア・カラス 聖なる怪物』ステリオス・ガラトプロース(著)、高橋早苗(訳)白水社>



Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

関連アーティスト

関連するコラム

[TAP the STORY]の最新コラム

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑