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ビリー・ホリデイ27歳〜歌手としての成功、結婚、夫の浮気、そして麻薬に溺れて行く日々…

2018.09.22

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伝説のジャズシンガーとして名高いビリー・ホリデイ。
44年間の生涯の中で、約25年も歌い続けた彼女。
その音楽人生はけっして順風満帆なものではなかった。
キャリア初期には驚くほどハリがあった声も、多量のアルコール・麻薬摂取により、晩年は別人のように枯れてしまい…声量も失われていった。
彼女が麻薬に手を染め始めたのは二十代だったという。


──1941年、当時26歳だった彼女は1930年代にハンガリー語から英訳された「Gloomy Sunday (暗い日曜日)」を歌った。
それは、自身最大のヒットとなった「Strange Fruit (奇妙な果実)」(1939年)に続く好セールスを記録した。
こうして彼女は成功への階段を着実に昇り詰めてゆく。
そんな中、トロンボーン奏者であり麻薬の密売人でもあったジミー・モンローと関係を深め、母と住む家を出て早々に結婚することとなる。
10歳の時に強姦され、相手が白人だったために(彼女が被害者なのに)逆に売春容疑で逮捕されるという理不尽な経験を強いられた過去を持つ彼女にとって、ジミーとの出会いは特別な意味を持つものだった。

「母はジミーとの結婚を“きっと後悔するに違いない”と私に忠告したわ。」

それは彼女が27歳の頃に経験した苦い思い出だった。
ある晩、ジミーがシャツに口紅をつけて帰宅した。
彼はビリーに気づかれたことを悟ると、言い訳の言葉を次々と並べ出したという。

「他の女と何をしてきたとしても、私に嘘をつく彼の態度がどうしても堪えられなかったの。彼の言い訳をさえぎって私はきっぱりと言い放ったわ。風呂にお入んなさい!Don’t explain!(言い訳しないで)」

これで一切は終わらせたはずだった。
しかし、彼女にはその夜のことがどうしても忘れられなかった。
自分が口にした“Don’t explain!(言い訳しないで)”という言葉が、頭の中で渦巻いていたのだ。
彼女はどうにかして、その苦しさから抜け出そうとした。
その不愉快な経験は“悲しい歌”となって後に自身が唄うこととなった。


言い訳はいいの
ただ「このまま一緒だよ」と言って
戻って来てくれたことが嬉しいの
だから今は黙って…言い訳はやめて

言い訳で何が得られると言うの?
その口紅の話なんて聞きたくない
だから今は黙って…言い訳はやめて

私はあなたを愛している
愛は何にでも耐えられる
私が想うのはあなただけ
私のすべてはあなたのもの

人の噂に泣かされてきた
あなたの嘘も知っている
良い悪いはどうでもいいわ
あなたがいてくれるなら

お願いよ 静かに黙っていて
あなたは私の喜び、痛み、命の光
だから今は黙って…言い訳はやめて


「Don’t Explain」は、ビリー・ホリデイと作曲家アーサー・ヘルツォーク・ジュニアが1944年に完成させ、1946年にデッカレコードからシングル盤としてリリースされた。
ジミーの兄クラーク・モンローは、ビバップが生まれた店として名高いハーレムのクラブ”モンローズ”の経営者だった。
ジミーは兄の店で演奏活動をしてたが、ヘロインの密売容疑で逮捕され、ビリーが多額の弁護費用を払う羽目となった。
男で苦労する彼女の姿と歌がシンクロして、この歌も大ヒットしたという。
生前、ビリーはこの歌についてコメントを残している。

「この歌を聴く女性は、女の悲しさに身をつまされるという。もしもこの歌の作者が誰かと訊かれたら…ジミー・モンローだと答えるわ。口紅をつけて帰宅するような男達が世の中からいなくならないかぎり、この歌は永遠に歌い継がれていくのかもしれないわね。」

ジミー・モンローと一緒になって、彼女はあることに気がついた。

「彼は私に隠れて変なものを吸っていたの。」

そして…ジミーは彼女にアヘンやコカインを覚えさせたのだ。
10歳の頃に強姦され、理不尽な逮捕を経験した彼女は、度々叫び声を上げながら恐怖で目覚めることがあったという。
麻薬はそんな彼女の心の弱さに付け込んできた。

「私たちの結婚生活は終りに近づいていた。私が麻薬の虜になったことをジミーになすりつけようとは思わない。自分のしたことは自分で責任を持つべきだから。誰もがこの習癖の虜になる時は同じような経過をたどるものよ…」

やがて彼女はビバップのトランペット奏者ジョー・ガイと出会い、ジョーの影響で今度はヘロインにも手を出すようになる。
黒人として初めて立ったメトロポリタン歌劇場での晴れやかな舞台でも、デッカと契約を交わしたときも、彼女はジョーの支配下にあり、ヘロイン漬けだったと言われる。
彼女は当時を振り返りってこんな言葉を残している。

「私は最も稼ぎのいい奴隷の一人になったわ。週に1,000ドルを稼いでいたけど、私にはバージニアで綿摘みをしている奴隷ほどの自由もなかったの。」

やがてホリデイの周りには「契約を守らない」「よく舞台に遅れる」「歌詞を間違える」といった噂が囁かれ始める…


<参考文献『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』ビリー・ホリデイ(著)油井正一(翻訳)大橋巨泉(翻訳)/晶文社>

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