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キム・ゴードン27歳〜ソニック・ユースの始動、初めてのレコーディング

2018.10.13

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キム・ゴードン。
ニューヨーク生まれ、ロサンゼルス育ち。
カリスマ的な人気を誇ったオルタナティヴロックバンド“ソニック・ユース”のベース&ボーカルを担当。
バンドは70年代の終焉と同時期に活動をスタートさせ、2011年に活動休止した。
音楽活動のほかにファッションブランドX-girlの創設者でもあり、80年代〜00年代までのグランジ、オルタナシーンに大きな影響を与えてきた人物として知られている。
アーティスト、ミュージシャン、プロデューサー、ファッションデザイナー、文筆家、女優として活躍してきた彼女は、27歳の頃どんな日々を送っていたのだろう?


1970年代後半から1980年代前半にかけてニューヨークで沸き起こった“No Wave(ノー・ウェーブ)”というムーブメントがあった。
パンクロック、実験音楽、実験映像、パフォーマンスアート、コンテンポラリーアートといった多彩な要素が交わりながら生まれた事象である。
そんなノー・ウェーブが終りを告げようとしていた1980年4月、彼女は27歳を迎えた。

「ステージでの演奏を始めたばかりの頃だったわ。当時は自分が女であることは意識していなかったし、正直なところ“女っぽさ”についてはほとんど考えたことがなかったの。ハイヒールを履いたときは例外だったけど、そんな日はむしろ女装をしているような気分だったわ。ステージで集中しているときは、自信からくる心のたかぶりとセクシーな気分、そして周りから区切られた空間を感じていたの。肉体が消えたようにも感じていたわ。それは努力を不要とする無重力の恩寵みたいなものだった。」



彼らは結成したてのバンドらしく、自分達が何をやっているのか?まだはっきりとわかっていなかったという。
バンドの実質的リーダーだったサーストン・ムーアは、ニューヨークの老舗的ライブハウスCBGBの常連客だった。
サーストンはある日、CBGBのオーナーにライブをやらせて欲しいと懇願した。
彼の熱心さに圧されたオーナーは、4バンド出るうちの一番手としてソニックユースを出演させた。

「私たちは最初の足がかりとしてするべきことに取り組んだわ。ライブの他にレコーディングも必要だった。」


当時録音されたEPが彼らにとって最初の音源となった。
タイトルはバンド名のまま『Sonic Youth(ソニック・ユース)』と名付けられた。
全5曲入り、30分にも満たない作品だった。
レコーディングのための資金をあまり持たなかった彼らだったが、レーベルのはからいもあり当時コロンビアレコードが所有していたロックフェラーセンターにあるブラウザ・サウンドというスタジオで録音することとなった。

「大きくて古い立派なスタジオだったわ。ブロンディーやラモーンズも録音したその部屋で、私たちには8時間のセッションを2回行なうことが許されたの。」


彼らは最初のセッションでベーシックトラックをすべて録り終え、2回目に与えられた8時間でヴォーカル録りとミックス作業を行なった。
彼女は、そのレコーディングのことを鮮明に憶えているという。

「私たちには決まったチューニングがなかったわ。普通のチューニングか、そうでなければ外れているか。私たちの騒々しいサウンドが、比較的抑制のきいたものにどうやって変容させられていくか?目の当りにしたのは、このときが初めてだったわ。このあと私たちは長きに渡って“ソニック・ユースの録音物はライブに比べて全然ぬるい!”と苦情を受け続けることになったの。」



収録された「I Dreamed I Dream」という曲は、もともとインストゥルメンタルだったという。
スタジオ内でメンバー全員が一節ずつ思いつきのままの言葉を紙切れに書き、ヴォーカルを録音する段階で彼女がなりゆきまかせで歌詞を繋げていったのだ。

「ソニック・ユースはその後30年に渡って続き、この歌詞が評論家たちによって意義深いものとして扱われたりするのだけど…もともと行き当たりばったりで生まれたことなど誰も知らないのだから(笑)」


レコードを作った後バンドは何をするか?
答えは一つ「ツアーに出る」。
彼らはまずミネアポリスの先進的な美術館、ウォーカー・アート・センターでライブをやることになった。
そしてイングランドでも初のツアーも決まった。
当時、彼らがやっていたような類の音楽は、どちらかというとアメリカよりもヨーロッパの方がオーディエンスを増やすのには楽だったという。

「私たちはイングランドで良い扱いを受けたわ。それはアートを優遇する政府から、クラブが資金援助を受けて文化センターのような役割を兼ねるやり方の恩恵だったと思うの。80年代前半イングランドの音楽シーンは、ひとつの島としては広大で混沌として熾烈(しれつ)な競争状況だったわ。」




<参考文献『GIRL IN A BAND キム・ゴードン自伝』キム・ゴードン (著)、野中モモ (翻訳)/ DU BOOKS>

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